私も渡邊さんの証言も読みました。ただ、角田さんのように専門的知識ないままに読んだわけでございますけれども、これは読みました。が、そもそも渡邊検事調書とかいうのが出てきたりすることは、私は報道によるいわゆる検事調書というものを私は読ましていただいておりますが、あの証言は確かに私は読ましていただきましたが、絶対に私はそこで皇民党問題というものが議題として中心課題で話されたというふうには思っておりません。
私も渡邊さんの証言も読みました。ただ、角田さんのように専門的知識ないままに読んだわけでございますけれども、これは読みました。が、そもそも渡邊検事調書とかいうのが出てきたりすることは、私は報道によるいわゆる検事調書というものを私は読ましていただいておりますが、あの証言は確かに私は読ましていただきましたが、絶対に私はそこで皇民党問題というものが議題として中心課題で話されたというふうには思っておりません。
これは金丸証言をこの間読ませていただいて、石井さんと会ったときの模様がお話しされておりましたが、あのような、あれと同じようなお話があっておりました。したがって、そのときに石井さんという人がおられたんだなということを私なりに察知することができたわけでございます。
石井さんと会ったときの状態を金丸先生からお聞きしまして、そのとき私が察知したというのが正確ではないかと思います。
確かに私が今察知したというような表現で申しましたが、当時、昭和から平成という時代のさなかにありました。しかし、私は金丸先生には、ああそこまで、済まぬことだなという素朴なそんな感じでございました、あのお方の人生観も長い間に私も承知しておりますから。しかし、私は、具体的にそれがどうであったかというようなことは、最近の報道を聞きながら、なるほどなと思っております。しかし、そのとき、今、角田先生おっしゃいますように、それについては直ちに時の内閣総理大臣として調査を命じ、それを明らかにすべきだというところへ私の思いが至らなかったことは、これは事実でございます。それは私の不敏と申しましょうか、と言われても、そのときに直ちに調査を命ずるというよう
先般、衆議院で御質問を受けましたのは、今、北村先生がおっしゃるとおり、東京佐川急便からという前提のお尋ねでございまして、ありませんと申しました。が、家族に何か盆暮れ来たかとか、そういうことについては、実はきょうその質問を予定しておりませんでしたので調べておりません。ただ、私なりにきょうまでに調べたかったのは、一つございますのは、私は全国に三千数百の一口月一万円の後援団体がございます。その中で七十二カ月間にわたって月一の一口をいただいておる会社が二つ、その県のいわば佐川関連の会社ではないかということを今調査しておるところでございます。
これは委員会で何か出せと言われれば、国会の子でございますからそれは当たり前だと思いますが、ただ、仮にもしお中元とかお歳暮の品物なんというのまで、これは違っておったから偽証だと言われるような状態でない形で御寛容をいただけたらと思っております。
先ほど申しましたように、各県の佐川関連の運送会社二社から七十一カ月と七十二カ月とか、それはあると思います。きょう調べてまいりませんでした、何年何月から何日までと。その他のことについては、私はないと思っておりますが、先ほどお約束しましたように、調査しろということについては素直にそうしますと、こう答えておるわけでございます。
事実ではないということをまず申し上げます。 それから、重大な問題の中に、いわゆる新聞の誤報問題ということになりはしないか、あるいは名誉棄損の問題にもつながりはしないかという問題があろうかと思いますが、それをお書きになる前に、こういうことをどうも書いたようでございますといってうちの事務所へ連絡があったようでございますから、まあいつもあることでございますけれども、記事はこんなであっても訂正記事はこんなでございますし、私はそれについての対応はしていないということが事実でございます。
安藤三蔵さんは亡くなられた方でございますが、北方四島、特に島根県は竹島問題がございますので、それのキャンペーンをたびたびやっておられた団体であり、そしてその要望書を一日内閣のときか何かに、私から渡してもらえぬかというようなお話があったことを覚えております。
安藤さん、仁義社というのは、私は、右翼団体という言葉が適切であるかどうか別といたしまして、国家主義、民主主義を標榜する政治結社の一つであるという認識はあります。が、それに対して私が特別な援助をするとかいう立場にはなかったというふうに思います。
その一点だけがいわゆる先生と私の基本的に違うところでございます。私は、そのような誤解とかいわゆる憶測とかに基づいて今体系づけられている一つの論理が生きていくということが、これは国内外の信用を失うことであり、これを誤解を解き、真実を解明することによってみずからの責めを果たしたい。これは平行線であっても私はそう言い続けることしかないと、このように思います。
私が、衆議院でお尋ねいただいて、金丸さん、小沢さん、それから渡違さんがいたねと言われましたから、そう申しました。 それから、青木君がいたかというお尋ねでございますが、おったと思います。 中尾さんにつきましては、実は私は、おられたかおられなかったかということが正確な今まだ記憶はございません。
公式なことを言うわけじゃございませんが、保存義務が政治資金団体の場合は三年でございますから、したがって、その証拠書類を正確に、猪熊先生こうですよと言ってお出しすることはお約束はしかねるということでございます。
それは私が、失礼でございますが、同じ言葉を繰り返すようでございますけれども、渡邊さんの丁寧な丁寧な何かお話の中に私はそんなしたがって印象を受けたと申しまして、それがきょうの委員長の葛藤発言にまで至っておるわけでございますが、印象を受けたのは渡違さんの丁寧な丁寧なお話の中でそんな印象を受けたというふうに思っております。
失礼では決してございません。が、私自身今申し上げたとおりでございます。丁寧であればあるほど、私はそういうことがあるんじゃないかという印象を受けたと。それは実際かくかくしかじかでかくあるという三段論法的な話は、恐らく私になさる心境ではあられなかったんじゃないかと思います。
二十九日に行くか行かぬかという議論でなく、行くことは私は心に決しておりました。ただ、私は当時のことを思い出すと、要するに中曽根先生と少なくとも同じ日でないといかぬなとかいろんな礼儀とか、そういうことも考えておりましたので、行くことは決めておりましたが、ということをまず一つ申し上げます。 それから、このいわゆる金丸証言でございますが、私も読みましたが、ちょっと正確な表現でないところもございますけれども、右翼を使ってなったというようなことはちょっと私もどういう意味がわかりません。中にはあのとき私が意を通じて大宣伝活動をやらしておるんじゃないかと言う人もいらっしゃいましたから、それとこれとは私も今ちょっと正確には理解できません。
したがって、先ほどのお答えにも申しましたわけでございますが、あの金丸証言に出ております石井さんと会ったという事実のお話がございました。したがって、石井さんという人がいわばの存在というのを私はそのとき知ったわけでございますが、具体的にどのようなということはそのときお話もございませんでしたし、そしてどちらかといえば最近の報道等で私が知っておる域を出ていないということでございます。
この青木君との関係については、私は何も聞きませんでした。
渡遷さんが同席しておられたという話は聞いておりますから、御関係がある方であろうというふうに思います。
重ねて申し上げますようですが、具体的にそうした話はありませんでした。ただ、お会いしたときの模様等のお話がございましたから、私が先ほど言葉を選んで察知したと申し上げたわけでございます。