いわゆる脳死を人の死と定義する法律の制定に向かうことになるかどうか、これは今から何とも申し上げかねるわけでございます。しかしながら、制定した場合のその制定の影響の度合い、効力の及ぶ範囲等々、それらの問題については恐らく調査会において当然視野の中に入れて調査審議をしていただけるものであろうかと思っております。
いわゆる脳死を人の死と定義する法律の制定に向かうことになるかどうか、これは今から何とも申し上げかねるわけでございます。しかしながら、制定した場合のその制定の影響の度合い、効力の及ぶ範囲等々、それらの問題については恐らく調査会において当然視野の中に入れて調査審議をしていただけるものであろうかと思っております。
脳死を認めるということになりますと、それに関連する問題として、例えば先生が御指摘になったようなレスピレーターをじゃ外すのかどうかとか、あるいはもはや医療というものをその段階で打ち切ることにするのかどうかとか等々の、確かに深刻な問題が出てこようかと私も想像しております。したがいまして、必ずしも脳死立法に一直線に向かうというそういう目的の調査会ではございませんけれども、やっぱり脳死の問題を考える際にはそういった問題点あるいは先生御指摘のそういう国民の心配等々も十分に視野に入れた御論議をお願いいたしたいと思っております。
正直に申し上げまして、医療オンブズマンという制度が妥当なのか、あるいはその何らかの監視機構を設けたらよろしいのか、私にはちょっとお答えがしかねるわけでございますけれども、しかしおおよそ医療というものに対しては当然の大前提として患者と医師の間の信頼関係というのが不可欠のものだと、こう思います。そういう意味では、一人一人のドクターの倫理的な考え方をしっかり持ってもらうことも基本かもしれませんが、やはりまた一つの制度、仕組みとして言われておるところのインフォームドコンセントですか、患者に対する十分な説明、そして患者あるいは家族の理解、納得というもの、こういうことがもっともっと普遍化してくればすばらしいことじゃないかと、こう思います。
先ほどもお答えいたしたわけでございますが、具体的に総理大臣がどのような諮問を調査会に対して行うかによってその内容もまた決まってくる問題でありますけれども、本法案の提出者としての希望を言えば、脳死の概念、脳死の判定基準の取り扱い、脳死を人の死として認めるか、また認めた場合の法的な手当ての必要性など、脳死をめぐる諸問題、また臓器移植に関しましては、その手続等を明確にすることとか、あるいはまた記録の十分正確な記載と保存とか、さらにはその費用負担のあり方とか、あるいは全国ネットワークの形成の仕方、あるいはまた国内のネットワークのみならず、海外との関連において、ネットワークあるいは海外からの患者の受け入れをすることがあるかどうかとか等々の問題
調査会の委員の数を何名にするかというのに私は別段定量的な根拠はない、こう思っております。しかし、過去の例を見ますと、第二次臨時行政調査会の場合は九人、臨時教育審議会の場合は二十五人などの例もあるわけでございますが、本法案の場合は、各界の有識者に御参加を願い、かつ二年間でかなり精力的に調査審議をしていただく必要があることから十五人程度が適当ではないかと考えました。 また、その委員の人選に当たりましては、先ほども御答弁申し上げた次第でございますが、私はやはり健全な常識を持ち、かつ公平な判断をできる方というのに参加していただくのが大事だろう、このように思っております。
調査会の審議が公開か非公開かということは、これは会の運営の基本にかかわることでもありますので、その判断は調査会の自主的な判断にゆだねたいと私は思っております。 しかしながら、今委員御指摘のように、情報の公開ということはまことに大事なことでございますので、提案者の希望といたしましても情報の公開については最大限のことをぜひやっていただきたいと考えております。
今厚生省の方からお答えのありましたように、私も概念的には脳死と臓器移植は区別され得る、こう思います。しかしながら、実際に臓器移植が行われる場合にはその大前提として脳死の認定というものは避けて通れないわけですから、密接な関連をまた持つ問題であろうか、このように理解をいたします。 それから、私が外国に調査に行ってきた所感を述べろということでございますが、まずもって私も、心臓の移植治療を受けた方々、あるいは先天性胆道閉鎖症というんですか、ああいうことで肝臓の移植を受けて、そして手術も立派に成功して社会的にも一人前の立派な生活をしている方何人かにお目にかかりまして、そういう意味ではこの治療法、治療のすばらしさというものに感銘したことを覚
今お答え申し上げたように、私も概念的には脳死と臓器移植というのは区別できると、こう思うのであります。しかしながら、実際論としては密接な関係がある。私は不可分とまでは申し上げません。密接な関連があると、こう認識をいたします。
人間の死を一個の生物の死として見れば、これはあるいは医学的な定義の範囲内の問題かと思いますけれども、私ども人間はいわば社会的存在であり、また文化的存在でもある、こういう面も否定できないかと思います。となりますと、やはり人間の死を受けとめるためには、いわば一般的な社会的受容というのを外しては考えられない。そういう意味では社会通念に従うということに私も賛成でございます。
同じ竹内でございますけれども、私は決してこの問題の専門家でないわけでございますので大変お答えしにくい御質疑をいただいたと思いますが、しかし私が今まで自分で勉強した範囲内の知見を申し上げれば、竹内基準についてはおおむね妥当という評価が多いのかなと、こう見ております。しかしながら、先生御指摘のようにあれだけでは不十分だ、こういうものをプラスしろ、こういう御意見もございますし、やっぱりそれは補助手段として認めてもいいんじゃないかなという御意見もあるようでございますが、何しろ私は素人でございますのでこれ以上の御答弁はしかねます。
先生、先ほど体が冷たくなる、こういうお話でございましたが、確かに私も日本人の死の一般表現として体が冷たくなるとか、あるいは息を引き取るとか、脈が触れなくなるとかという、こういう表現があることは私も承知をしております。また、この脳死を指して温かい体の中の死んだ脳とか、脈拍が触れる死体とかという、こういう表現もあるやに私も聞いております。 これは日本人の死生観とか遺骸観ということになると先生の方がむしろはるかに御専門なわけですけれども、あえて私から若干そこを申し上げますと、やっぱり日本人は亡くなられた方、あるいはその遺骸については尊崇の念を抱いているように私は思います。そしてそういう意味では、そういうものを余り傷つけるようなことをす
調査会の委員の数を何名とするか、絶対十五名でなきゃならない、それ以上でも以下でもいかぬと、そういうふうな私は定量的な根拠は実はないと思っております。まあこの辺が適当な数字かなというようなところが本音でございます。 しかし、今先生が脳死は脳死で、臓器移植は臓器移植でと、こういうぐあいにいわばセパレートした審議というものも必要ではないかと、こういうお話でございますが、私は、調査会が審議を始 めましたときに、その審議の必要性等々からまいりますと、そういうような専門部会を設けるというようなこともあり得るのかとも思っております。となりますと、専門部会を設けますと、また専門委員の委嘱という道も出てくるのかと、そういった方法については政令に
ただいまのお尋ねに対しましては前に述べたような答弁になるわけでございますが、これも午前中にもお答え申し上げましたが、この調査会法案の審議をめぐっての国会の重要な論議あるいは指摘、こういうようなものについては私から調査会にしかるべき方法で伝達をし、また考慮を要望してまいりたいと思います。
お答え申し上げてきておりますように、会議を公開にするか非公開にするか、これはまさしく会の運営の基本にかかわる事項だと思いますので、調査会の自主的な決定にゆだねたいと思いますが、仮に公開という方針を決めたら、それはまたそれなりに結構なことでございまして、もともと私どもが干渉すべき事柄でもないと思います。
何遍も繰り返しお答えしているわけでございますが、公開にするのか非公開にするのか、こういうことはまさしく会の運営の基本にも関することでありますので、調査会の自主的な判断にゆだねたい、こう思います。したがいまして、公開にしたからクレームをつけるとか、非公開だからそれでよかったなんという、あらかじめそういう予断は、先入観は私は持っておりません。
公開だと自分の思っていることを率直に述べられない、非公開だとそれが保障される、私はそういう判断基準はいかがかと思うのであります。 私ども委員の人選の基準としては、先ほど来お答えしておりますように、すぐれて医学的な問題ではありますけれども、医学界だけでなく法曹界もあるいは経済界も、言論界、婦人団体からも広く参加をしていただきたい。ですから、私なりに選考の基準というのを一言で示せと言われれば、私は、健全な常識を持ち公正な判断ができる人、これを基準にしたらよろしいかと思いますが。
これからの調査会の会議の中身を私がいささか推測で申し上げるのはいかがかと思いますけれども、あるいはその論議の中で患者のプライバシーというような問題がもし出てくるような場合になると、これは慎重な配慮を必要とするのかなという気もいたします。あるいはまた、治療法の秘密というのはあるんでしょうか、そういうものもあるいはひょっとしたら出てくるのかなという気がします。 しかし、今の二つのことの理由でもって直ちに私は非公開とも言うべきものでなく、まさしく調査会の自主的な判断におゆだねをしたいと思うんです。
今も申し上げましたように、これからの調査会の論議の内容について私が推測を述べるのはいかがかと思います。かえって、そういう推測を述べると誤解を生ずるんじゃないかなという気もいたしますが、しかし何といっても公開か非公開かというのは会の運営の基本にかかわることでございますので、やはり第一義的に調査会の自主的判断がよろしかろうかと思うんです。
なぜ委員に守秘義務を課したかということですが、最近の立法例には多く守秘義務を置いておるという、この規定を一つの念頭に置いたわけでございます。調査会が審議の中身で、いわばさっきも申し上げたようにあるいは患者のプライバシーというような問題が出てくるかとも思いますし、また調査会が各方面に資料提出の協力を要請した場合に、その内容を公開しないことを条件に出してくるケースもあるいはあるのかなと、こうも予想もされます。そういう意味で、守秘義務の規定をとりあえず置くということは本調査会の円滑運営上やむを得ない事態に対処するためのものとひとつ御理解を賜りたいんです。
守秘義務を課したことによって会議の非公開につながるんじゃないかというお尋ねでございますけれども、私はそうは判断いたしません。やはり、会議の非公開か公開かという判断の基準は、むしろ調査会が審議対象に取り扱う事項、そういうようなところからの御判断だろうと思います。