私は、その選挙の実態というものについてつぶさに存じませんので、コメントすることは差し控えさせていただきます。
私は、その選挙の実態というものについてつぶさに存じませんので、コメントすることは差し控えさせていただきます。
政党助成法による助成というものは、国会議員数であるとか得票率であるとか、そうした要件を満たすものに対してなされるわけでございますから、それが憲法に反するものであるというふうには私は考えておりません。
それは政教一致があるという前提のお話でございますね。しかし、それは仮定のお話でございますから、私が申し上げたのは、あくまでも政党助成法による幾つかの要件、先ほど申し上げましたような要件を満たす場合に助成が行われるということでございますから、そのことは憲法に反するものではない、こういう趣旨のことを申し上げたわけでございます。
その辺の実態については私も承知しておりませんので、何ともお答えをいたしかねます。
もし事実だったらと、そういう仮定のお話でございますから、答弁は差し控えさせていただきます。
今申し上げたとおりでございます。
その一連の経過について大蔵大臣御自身から御説明がございました。弁明がございました。今後しっかり身を律していきたいということでございますから、そのお言葉を重く受けとめたいと思います。
お待たせしまして申しわけございませんが、また答弁が食い違ってもいけませんから、資料を見てできる限り誠実にお答えをさせていただきたいと思います。正確にお答えをさせていただきたいと思います。 佐川氏との交友関係の始まりは、佐川氏が父の所有しております細川家代々の京都別邸を知って気に入りまして賃借をするようになったことでございまして、これは佐川氏の隣人でありました元参議院議員の河本嘉久蔵さんという方が、もう亡くなられましたが、私に父との賃貸借契約仲介を依頼をされてきたことが発端でございます。 したがって、佐川氏は父の所有する住居の貸借人という関係でございまして、いわゆるタニマチと政治家という関係とは異なるということでございます。佐
父と佐川との関係につきましては、事務所を通じて調べてみましたが、父の方に聞いてみましたが、京都の別荘の方につきましては、最初の契約が昭和五十五年一月一日から契約をいたしております。昭和五十九年十二月三十一日までの間、その後更新をしておりますが。 それから、赤倉の別荘の方につきましては……
恐らくその日時よりも若干前ではないかと思います。しかし、記憶は定かではございません。しかし、父に紹介をしたということでございますから、多分、その直前か何かわかりませんが、その少し前にはお会いしていたのではないかと思っております。
京都の別荘の方は、先ほども申し上げましたとおり、私の父の所有物件でございまして、十四、五年前に父を佐川氏に、先ほど五十五年と申し上げましたから十四、五年前に佐川氏に紹介したということになるわけでございますが、佐川さんに貸しておりますのは父でございまして、父と佐川氏との間の賃貸借関係につきましては私の関知するところではございません。私は立ち会ってもおりません。 しかし、今回月刊誌に掲載されたこともございまして、私の事務所から佐川急便の本社に問い合わせをいたしましたところ、京都の別荘は佐川側の迎賓館兼福利厚生施設ということで使っているということでございまして、そのときの契約につきましては、父の方の担当者が、だれかわかりませんがその者
私はちょっと記憶をしていないんでございますが、昭和五十五年の八月十九日、ハワイの佐川グループの福利厚生施設のオープン式典に参加したとかいろいろ言われているということでございますが、また、今も何かビテオがあるというお話でございました。先般の委員会でもそんなお話がございましたが、当時も今もそうでございますが、まあ超過密のスケジュールで私も動いておりますので、当時ハワイにも何度か足を運んで、各種の行事に、県人会等々の行事もあったかと思います、そうしたものに出席をしておりますので、一々そういう細かいところまでは記憶をしておりません。
その写真も拝見をいたしました。写真に出ておりますから、それは事実であろうと思いますが、残念ながら記憶はしておりませんでした。
どういうところを御視察をなされるのかということは私もわかりません。それから、私自身がそういう御紹介をしたかどうかということにつきましても、先ほど申し上げたように、全く記憶をしておりません。
主として京都におられましたから、京都に行ったときにお目にかかっていたと。しかも京都に行って必ずしもお目にかかるということではございませんでしょうから、五十五年から五十七年、その間に何回ぐらいかということはちょっとはっきりいたしません。
多分そういうことであろうと思います。 五十七年の五月ごろ、京都でお目にかかっているのであろうというふうに思います。
ほかの話もあったかもしれませんが、そのことは覚えておりません。
先ほど申し上げたように、京都で私がお目にかかったというふうに記憶をしております。
どこまでその理由を説明をしたかはよく覚えておりません。今言われたようなことを主として話してお願いをしたのではないかというふうに思っております。
そのときだったか、それから時間がたってだったか、その辺は覚えておりませんが、いずれにしても融資の窓口として当時の東京佐川急便を紹介をされました。その後の借入並びに返済に関する事務処理の一切は事務職員に任せて、あちらの担当者としてもらったということでございます。