それは、お答えしますが、不戰條約の第一條に、国家の政策の手段としての戰争というものと、国際紛争解決のための戦争ということを二つ並べて書いております。それでありますから、初めの憲法の草案の方に書いてある「国の主権の」云々という文字は、不戦條約第一條のしまいの方を先に書いてあるので、それを私先ほどちよつとお話したのですが……。
それは、お答えしますが、不戰條約の第一條に、国家の政策の手段としての戰争というものと、国際紛争解決のための戦争ということを二つ並べて書いております。それでありますから、初めの憲法の草案の方に書いてある「国の主権の」云々という文字は、不戦條約第一條のしまいの方を先に書いてあるので、それを私先ほどちよつとお話したのですが……。
「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」というので、やはりあなたの言われる通り、二つとも国際紛争解決の手段ということにかかるようですね。
私は、不戦條約の第一條をそつくりそのままの文字を書いても体裁が悪いから、日本の憲法の草案を書く人が少し文字を直して書いたので、大体ここから来ておるのだというふうに今まで思つておつたのです。
松本案と称する政府案には、国防の問題を憲法に書いておつたのです。しかるに二月二十一日に幣原総理大臣がマツカーサーに会見をしたときに、マツカーサーはその点を取上げて幣原さんにいろいろ話をしておるのです。その一部分に——これははたして向うの言つた通りのものであるかどうかは、私にはお請合いすることはできませんが、少くも幣原総理大臣が話されたことをその場で私が筆記にとつたものです。多少違つておるかもしれませんが、そのときにマツカーサーの言つた言葉は、軍に関する規定は全部削除した、この際日本政府は国内の意向よりも外国の思惑を考うべきであつて、もし軍に関する條項を保存するならば、海外諸国は何と言うだろうか、また日本は軍備の復旧を企てると考えるに
それは金森君が進駐軍に行つて修正案の説明をしておるわけなんです。金森君の言つた言葉は、「国際平和を誠実に希求し、」ということを受けておるんだから、その意味で、その目的を達するためにという意味だと、こう言つて説明して、ケージスに話したところが、ケージスが、しかしそれはそう言うけれども、こういう意味にもとれるのではないかといつて、私の言つた意味を言つたそうです。そこで、いやここではそうではありませんと言つて、オーケーをとつて来た。それで私が言うのは、第一項ですね。憲法第九條第一項と第二項というものは、これは別々の問題なんです。全然関係のないものなのです。なぜかというと、憲法第九條第一項によれば、もしこれだけならば、不戦條約以来の世界の定
日本が戰争放棄の態度を声明したということは、新憲法に始まるのじやないのです。一九二八年に不戰條約に調印したときから、軍部は知りませんけれども、少くとも日本政府の方針は戰争を放棄するのだと言つて来た。何も新憲法によつて戰争を放棄したのじやないのです。新憲法によつて新しくできたことは、武力を持たぬということが新しく生れて来たことであつて、戰争は放棄しても、武力を持つてさしつかえないということは、十何年ふれて来ておる。そういう意味から言つても、第二項、第一項は不可分であるという解釈は少し無理がある。
向うの意思はそうなんです。
これは立法者の意思というものは、法律解釈の上においてある程度の参考にはなるけれども、そう絶対の権威があるものじやないのだから、問題は「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戰力は、これを保持しない。」という、これをどう解釈するかということが重い問題なんで、当時の立法者が何と考えてこういう文字をつけたかということは、單なる参考の一助にとどまるわけです。私はただその点の一端を補足したのであつて、必ずしも提案した者の意思がこうだつたから、解釈がこうなるということまで主張し得ないことは、われわれとしても、それはわかつておる。
ちよつと一言づけ加えて発言をお許し願いたいと思うのですが、この委員会で直接に当面しておられる問題ではないと思いますけれども、警察予備隊が国内治安の維持のためであつても、相当の実力を持つたものでなければならないという感じは、現在私は持つておるのです。私はちようどロシヤの革命のころに現地におりまして、ケレンスキー政府が共産革命で倒れる前の晩の状態も見ておつた。ケレンスキー政府が倒れたのは、守る力がなかつたから倒れたので、相手が強かつたのではない。相手の当時の赤衛軍というのは、労働者や脱走兵や、実に雑然たる無統制な部隊であつて、ほとんど隊を組んで歩くことさえもできないようなのが、政府の立てこもつておる冬宮へ押しかけて行つた。ところがケレン
今回の平和條約は、わが国の歴史における画期的の記録であり、永久に民族の脳裡に残さるべき記念塔であります。しかもこの條約は、戦争によつて引起されたる一切の過去に終止符を打つと同時に、日本が世界的怒濤の中に処して将来進むべき新しい針路を決定したものであります。新しい方針を決定したと私が申すのは、単に日本のみの問題ではありません。連合諸国、なかんずくアメリカの政界、言論界の間においては、今回の対日條約調印は、アメリカの安全保障に関する新しい政策の出発点であると申しております。この平和條約と安全保障條約とを一体として考えてみれば、それは将来日本がいわゆる民主主義諸国群と歩調を合せて共産勢力に対抗する決意をなした、一つの表徴と見るべきものであ
連合側の意向について特に吉田総理大臣を追究すべき理由はありませんからこれ以上申しませんが、ただいま吉田総理の言及された国際信託制度の問題について一、二政府に伺いたいと思う。今度の講和会議で成立した條約案の規定によれば、いわゆる南西諸島、奄美大島、鬼界島、琉球群島、小笠原群島等を含むこれらの南西諸島は、結局においてアメリカより国際連合に向つて、国際信託統治制度の適用を申し入れる、そうしてそれまでの期間は、アメリカ政府がこれらの諸島にみずから統治を行う、こういうことになつておるのであります。その場合に、信託統治制度によつて統治せられる島々の地位がどうなるであろうかということが、日本国民の最大の関心事になつておることは、御承知の通りであり
吉田総理のお答えは必ずしも間違つてはおりません。信託統治地域がどういう形で統治を受けるかということは、先ほど私が言及した通り、直接利害関係ある国々が集まつて信託統治協定というものをつくつて、それで確定するのでありますから、吉田総理のお答えは間違つておるとは思いません。吉田総理が他の同僚の質問に対してお答えになつたものの中川に、西南諸島の国際信託統治は、軍事上の必要からアメリカが統治するのであるから、軍事的必要がなくなれば、必ず日本に返還されるものと確信すると言つておられる。従つてその吉田総理の確信ある言明が、何らか條約以外の文書でとりかわされておりますかどうかお伺いいたします。
結局吉田総理大臣が、軍事上の必要がなくなれば、西南諸島が日本に返るとお考えになつた根拠は、ダレス氏その他との談話の機会に、これをにおわすような話があつたということでありまして、それが実現すれば、日本国民として確かに慶賀すべきことには相違ないが、一体南西諸島が軍事的な拠点として重要性を持つというのはどういう場合であるか。もしアメリカ、日本が共産勢力に対抗する基地として、西南諸島に重要な意味を認めておるとするならば、これは必ずしも正当ではないと思う。ということは、アメリカはすでにフイリピン及び日本の四つの島に有力な軍事拠点を持つておる。沖縄及び小笠原列島はこれに補助的な基地として価値がありましよう。しかしながらもし日本及びフイリピンこお
遺憾ながら西南諸島百数十万の島民諸君は、ただいまの吉田総理大臣の御答弁だけでは納得が行かないだろうと思う。しかしこの上吉田総理にこの問題についてお尋ねをしようとは思いません。 次には中国との関係についてお尋ねをいたすのでありますが、中回との国交を回復するために、中国に、中共政府を相手に交渉をするのか、国民党政府を相手に交渉をするのかということは、すでに本会議においてもしばしば質問が出て総理大臣はこれに応酬をしておられた。結局どちらを選ぶかということはまだ明瞭にされていないのであります。やむを得ず私もお尋ねをするのであります。しかしお答えはきわめて簡単でけつこう、中共政府を相手として條約を結ぶのか、国民党政府を相手にするのか、お示
ただいまの吉田総理大臣の答弁は、従来よりも一歩を進めた答弁でありまして、政府の意中はほぼ推察することができますが、一体今年の四月ロンドンで行われたダレス・モリソン会談において、中国を平和條約に参加せしめる問題については合意に到達しなかつた。その結果妥協案として、中共、国府のいずれを選ぶかは日本の選択にまかせるということが、当時の会議のコミユニケで発表されたのでありまして、今度は日本が腹をきめる番になる。それならば日本独自の考えで決定してよろしいのであつて、イギリスやアメリカに教えられて日本の態度をきめる必要は毛頭ない。そこで外国電報を読んでおると、アメリカ議会の空気は、日本が国民党政府と平和條約を結ぶことが、対日講和條約の批准を円滑
同じように電報を引合いに出すので、うるさい感じを與えるかもしれませんが、九月二十二日にワシントンから来た電報にはこういうことが書いてある。国府、中共のいずれが日本と講和を結ぶかの問題については、一部のアメリカ評論家は、すでにこの問題に対してダレス国務省顧問は、日本政府から国民党政府と講和するとの保障を得ておると伝えられている。また定員九十八名の上院議員の中で五十六名までが、日本と中共の間に正式な外交関係を結ぶようなことには反対の意を表明する書簡に署名している。この事実は、もし日本が中共とは講和しないという保障を與えなければ、アメリカ上院が條約の批准を與えることはむずかしいということだけははつきりしておる。こういう電報が九月二十三日に
吉田総理がわざわざ速記録をお調べくださるには及ばないと思います。事あまりにも顕著であつて、総理自身を煩わすような問題ではないと思いますから、それほどお心添えをいただく必要はない。 日米安全保障條約の前文の末尾に、米国は日本が直接及び間接の侵略に対する自国の防衛のため、漸進的にみずから責任をとることを期待する、と書いてある。防衛のためみずから責任をとるというのは、具体的に言えばどういうことをするのでありましようか、それをお伺いいたします。
ちよつと私の質問が明白でなかつたせいかと思いますが、主としてお伺いしたのは、みずから責任を負うというのは、具体的に申せばどういうことをすれば責任を負うことになるのかという点をお尋ねしたわけであります。
それならば例を引いてお尋ねをいたしたいと思うのですが、ダレス氏と吉田総理との本年四月の会談の内容について、ジヨン・フオスターダレス氏がUSニューズ・アンド。ワールド・レポートのフロムという記者に話をした内容が、本年四月二十九日のワールド・レポートに出ておる。そのダレス氏の談話の大要を簡単でありますから読みますが、こういうことが書いてある。「私が吉田総理との会談の際に指摘したように、ヴアンデンバーグ決議によるアメリカの政策のもとにおいては、いかなる国といえどもヴアンデンバーグ決議の、いわゆる効果的、継続的な自衛と軍事協力を行うことなしに、漠然と安全保障の上にただ乗りすることは許されない。従つて日本人は、われわれの措置が日本が軍事協力と
ただいまの御答弁といい、先ほどの衆議院速記録の問題といい、いつも例を引く方が間違つておるような立場に追い込まれるのでありますが、(笑声)これは他日また明らかにする機会が必ずあると思いますから、この際かれこれとは申しません。吉田総理大臣はしばしば、そして現にただいまも、自分の国の防衛は国民の手でやるのだ、そうしなくてはならないということを言われた。ではどうして防衛するのかと聞くと、軍備はしないと言われる。それだから国民が迷うのです。自力で国を防衛すると政府は言つておるが、何で守るのだろう、鉄柵をかついでいる兵隊は一人もないのではないか。どうして守れるのか、力の入れどころがないと考える。それであるから、総理大臣がそのときどきの思いつきで