兵器処理の問題についてG・H・Qまたは八軍の方と折衝したことは一遍もございません。
兵器処理の問題についてG・H・Qまたは八軍の方と折衝したことは一遍もございません。
小松氏のことは私は知りませんでしたが、総務局長に就任しまして、兵器処理の仕事に関係するようになりましてから、そのお名前は聞いておりました。そうして一遍商工省へ私が呼びましてお話したことがあります。そのとき最初にお目にかかつた。
それは兵器処理委員会をつくる直前でありました。
小松隆氏がいろいろ努力されて、兵器の拂下の問題を折衝されたことは聞いておりましたが、五社の選定等にまで立ち入つたようには私は聞いておりません。
私は総務局長として商工省全般の問題でいろいろ忙がしい地位にありましたので、委員会ができましてからはその事務は兵器処理班というものをつくつて、そこに委しまして、私自身直接関係しておりませんでしたので、小松隆氏にもその後は一遍も会つておりません。
そうであります。
班長は先ほど申し上げました大堀事務官を充てました。
ほかの人たちは私より前からその問題に関係しておつたと思います。わかると思います。
その問題は私存じております。
兵器の拂下を受けまして兵器処理委員会をつくて、ここで処理するようになりましたのは、小松氏の努力が大いにあずかつて力あつたというふうに聞いておりまして、從つてその兵器処理委員会をつくつてそこの委員長をきめるには、そういう功績から申しましても、また英語が上手で連合軍側と折衝する点から申しましても便利であるというような点、それからさらに今後の委員会の運営にも小松氏がやれば非常に円滑にいくというようなことから、自然に各方面で小松氏が委員長になることが適当であるという空氣が当時すでに釀成されておつたように思います。私といたしましてもそういう事情を聽きまして、小松氏に委員長になつていただくのが適当であると思いましたので、部下ともいろいろ相談の上
先ほど申し上げましたように、私の就任前から商工省の範囲における活動は開始せられておつたと思いますから、ほかの証人からなおよく聽いていただきたいと思いますが、私はバラード大佐が五社の選定についてまで意見を述べておるということは当時全然聽いておりません。ただ商工省としては、連合軍から示された方針に基いて委員会をつくり、それの担当業者を選ぶことをきわめて事務的に取扱つて、その結果鉄の方から二社、非鉄金属から三社を選んだように記憶しております。
私の了解しております範囲では、バラード大佐から五社にやらせろというようなことは言われなかつたように思います。あくまでも日本側の官廳において五社を適当と認めて選定したというふうに私は記憶しております。
私の方でも監督いたしておりました。
私の在任が翌年の一月上旬までで、きわめて短い期間でありましたので、はつきり監督したというようなことは申し上げられないのでありますが、いろいろ実質的に委員会の活動について、殊に処理しました兵器のあとの配分の問題につきましては、商工省が主となつて監督したのであります。
第一の五社選定のいきさつ、理由につきましては、私が就任いたしましてから正式に決裁されたのでありますから、私として当時その選定の理由等については深く部下に質しまして、その上で適当と認めて決定したのであります。そのときの選定の理由といたしましては、兵器の処理は迅速にしなければならぬ、敗戰國に兵器をまた下げ渡すということはごく異例なことで、向うは非常な好意でありますから、早く兵器たる原型をなくす、それを最も迅速にやらなければいかぬというのが連合軍側の御希望でありますので、その迅速に処理する力をもつた業者を選ぶというのがその際の最も重要な選定の要件でありました。そういう点から考えまして、適当と思われるのがこの五大会社であつたので、私もそれに
いろいろ報告等は当時あつたと思いますが、何しろ前のことでありますので、どういうことが当時問題になつておつたか、よく私は憶えておりませんのでああいうふうに申し上げたわけであります。今記憶に残つておりますのは、その一番問題にしましたのは、兵器処理委員会の予算の点でありました。兵器処理委員会をつくりますときに、その費用で赤字が出た場合には、政府において予算的措置を講じて填補してやるということにしてあつたのでございますが、その後係の事務官が私のところに参りまして、大藏省へ交渉したけれども予算がとれない、業者にはそういう填補をしてやるという約束で委員会をつくらしたのに、その予算がとれないとたいへんだというようなことを言つて非常に心配しておりま
それは私記憶がはつきり残つていないということは、おそらくその後、委員会の監督が順調にいつておつたからだと思います。私も委員会をつくりましてからは、その仕事に非常に関心をもつておりましたので、ときどき報告を求めたり何かしておりましたが、その内容について記憶がないのは、おそらく大体うまくいつておつたからだと思います。ただその予算の点だけははつきり憶えております。予算の点は当時私も非常に困りましたので、その点だけを覚えておるのであります。ほかのことは忘れたからでございます。
私が委員会が順調にいつておつたと申しましたのは、委員会そのものの動きが順調にいつておつたという意味でなく、兵器処理の仕事が順調にいつておつた、そういう意味で申し上げたつもりであります。
原案が決定しておつたとは申しません。原案をつくる準備行動がすでに始まつておつたというふうに申し上げたのです。
その引継を受けなかつたという意味は、いわゆる引継事項として前の局長から、こういう問題がある、これについては今までこう処理してきた、今後はこう処理すればよいと思うというような、特にそういうようなお話がなかつたという意味で申し上げました。仕事はもちろん從來から引継いでやつたわけであります。