はい。
はい。
はあ。
総裁は二十三年の九月から、二十四年の九月十五日に公団が廃止になるまでやりました。
その前は——公団ができましたのが昭和二十二年の六月であります。当時副総裁として就任いたしまして、総裁になるまでは副総裁をやつておりました。
その前は公団の母体であります地方石炭の近畿石炭株式会社の社長をやつておりました。
はあ。統制会社であります。
現在はまだ何もやつておりません。
始めようとは思つておりますが、まだ私はやつておりません。
はあ。私の近畿石炭の前、石炭の販売業をやつておりました会社がございまして、その会社は今スタートしております。それを私は援助いたしておりますが、まだ役目にはついておりません。
福山協栄株式会社でございます。
組織とは何でございますか。
配炭公団は基金が二億であります。
基金と称しております。いわば資本金に該当するものでありますが、しかし政府の出資金でありますから、基金であります。 公団の目的といいますか、これは経済安定本部長官の安める配給計画と配給の指示等に基きまして通産大臣の監督のもとに石炭の適正なる配給をする、こういう公団法の建前になつております。それでやつております仕事は、全国の石炭並びにコークス、亜炭、これの一手買取り、しこうしてこれの一手販売ということをやつておりますのと、価格を調整いたしますために、いわゆるプール価格をつくりまして、需要家に売り渡す石炭の価格の統制をいたしております。その他と関連いたしまして、輸送、保管等の仕事が付随するのはもとよりであります。いわゆる普通の会社で言
職員は、最初公団が出発いたしましたときは、おおむね日本石炭と地方石炭とが母体になつておりまして、たしか日本石炭が四千名くらいだつたと思います。四つの地方石炭がありましたが、これが約五千名くらい、約九千名くらいで仕事をいたしておりました。その後いろいろ業務の拡張並びに亜炭の統制等を始めることになりましたので、最高がたしか一万四千名くらいだつたと記憶いたします。その後亜炭の統制を撤廃いたしまして、当時約二千名くらいの職員の整理をいたしましたから、公団の末期でありまする昨の九月現在におきましては、一万一千名くらいであつたと思います。
石炭は坑所——坑所という言葉を使います。つまり炭坑の坑口と申しますが、坑所で受取りまして、それを公団の手によつて、それぞれの輸送機関であるいは港へ出し、あるいは貨車で直送する。さらに港へ出したものを港で貯炭し、揚げ地へ持つて来る。揚げ地へ持つて来ましたものを、それぞれ配炭局の手によりまして、運送業者その他を使いまして、需要者に配給する、こういう順序であります。
これは公団は、公団法の関係から不動産を所有できませんので、たとえば荷役設備等につきましては、日本石炭が所有しておりましたもの並びに地方石炭——これはいずれも閉鎖機関になりましたが、これを閉鎖機関から借りて、公団がみずから運営する、ないし各揚地におきます輸送会社というか、民間荷役会社と契約いたしまして、一切の運搬は輸送機関を別に雇うといいますか、契約をしてやる、こういう仕組みになつております。
さようでございます。
一番大きいのは鉄道でございます。これは鉄道省がやる。それから機帆船は西日本石炭輸送会社、これが政府の方の石炭の輸送の一つの統制会社、いわば一種の独占機関となつている。これを利用いたしました。それから汽船は御承の運営会。こういうのがごく大ざつぱに申しまして、おもなる輸送機関であります。
この保險は、なかんずく海上保險の問題になつて参りますが、従来今申しましたような仕事は、実は日本石炭がやつておりましたが、日本の大きな保險会社、八つか九つかありましたがこれとやはり公団が契約いたしまして、保險をつけております。私就任いたしましてまず最初に考えましたことは、ごく荒つぽい考え方でありますが、次第に石炭の生産量もふえて来る、そうすると保險の金額は莫大なものになる、私は三十年この石炭の仕事に携わつておるわけでありますが、今までの保險の状態がどうなつておるかということを、業務局に命じていろいろ調べさせましたが、とてもなかなかめんどうなことで、従来のような方法では窓口もたくさんあつていけない。何とかひとつ統一したいという意向もあり
従来日本石炭のときには各地に、たしか九州に二箇所、それから宇部、北海道、こういう方面に保險の代理店がおりまして、これが公団になりましても引続いて代理業務をやつておつたのであります。そこで、私が考えた今の自家保險がだめだ、しからば公団でもやはり保險をつけなければいけない。ところが内部でいろいろ聞きますと、従来の代理店では各地に分散しておつて、成績も上らないし、事務の処理も敏活を欠く。何とかこれを改善しなければいけないということがすでに日本石炭当時にもあつた。また保險会社の方からも、何とか窓口を一緒にしてもらいたい。そして事務の敏活をはかりたいというような意向なり機運なりがあつたわけです。そこでいろいろ研究しました案の中で、しからば公団