荷役は前段申し上げましたように、本団ではそういう問題はないのでありまして、各支団、配炭局がやつておりまするから、御質問の要点がどういうことであるか存じませんが、それぞれの荷役業者と折衝いたして賃率の協定をしてやつております。
荷役は前段申し上げましたように、本団ではそういう問題はないのでありまして、各支団、配炭局がやつておりまするから、御質問の要点がどういうことであるか存じませんが、それぞれの荷役業者と折衝いたして賃率の協定をしてやつております。
はい。
荷役統制会社と言いますか、港湾会社が各港に御承知のように統合して一つになつておりました。大阪は大阪石炭運送というものが一手にやつております。東京その他各地とも、当時は例の統制の時代でありますから、業者がみんな一諸になりまして、一つの機関で統合してやつております。
商品の保管と申しまますか、貯炭の管理でございますね。
大体貯炭が厖大にできかけましたのが昭和二十四年の四、五月からでありまするから、それまでは御承知のように、石炭は足りない足りないで、ほとんど貯炭管理というようなものは別になかつたのでありまするが、公団が廃止されまする三、四箇月前から、非常にむりな貯炭をせざるを得ない状態に追い込まれまして、公団の末期には私はつきりしたことは記憶いたしておりませんが、約二千箇所近い貯炭場に、言いかえればむちやくちやな貯炭をせざるを得ないようなところまでやらなければ、五百万トンの石炭が貯炭できないような状態になりましたので、管理の方はやかましく言つておりまするが、なかんづく大阪のような百万トンを越える貯炭、しかも次々と地元からは運んで来るという状態でありま
これは大体直接やる建前ですが、結果におきましては、遠隔な場所なんかは、おそらくその土地の貯炭場を提供しておるといいますか、あるいは荷役をしておるといいまするか、そういうものに常時のことはやらして、そしてこちらが監督をするという立場にあつたのじやないかと思います。今申し上げまするように、ずいぶん辺鄙なところにも貯炭いたしておりまするから、そこへ一々人を朝晩となしにつけているということは、おそらく末期においてはできなかつたと思います。
さようでございます。
ありません。
これはどういう方法と申しまするか、いろいろ推移があつたのであります。先ほど申し上げましたように坑所で受取る。ところが坑所で貨車に積みますのにも、従来日本石炭が同様な仕事をいたしておつたのでありまするが、やはり貨車が入りますのも、夜入ることも朝入ることもありまするし、なかなかその受取方というものは、現実には一々見るということはむずかしかつたわけであります。そこで当時公団ができました昭和二十二年六月時分から、その以後もそうでありまするが、われわれが受取りまするのをよく監督するという意味におきまして、山元駐在員というものを、全国に約二千名近くだつたと思いますが、つけたわけであります。それを山元に駐在をさす。そこでやはりこういうバルキーなも
いや、山元で問題が起るといいますのは、つまり山元で受取つてしまいますから、その受取る際に、これはもう少し積めとか、これはまだ十五トンに足らぬとか、足るとか、十八トンの貨車に多いとか少いとか——これは要するに、炭質によつて重量と容積の関係が違いますから、同じ十五トンの貨車でも、十五トン積めない軽い石炭もありますし、あるいは十五トンの貨車に十六トン積んでも、十五トンの容積に満たぬのもあります。そういうことで、山元におきましても問題が起るわけであります。
大きな問題は需要家に入つてからで、需要家の方から苦情が出るわけです。
これは受取るときにルーズであつたということもあるかもしれません。口で一箇月三百万トンの石炭と申しますが、種々雑多で、夜荷役も貨車が入り次第積みます。公団内部でも、今申しましたように、支団ももう少しこれに対して嚴重にやらなければいかぬじやないかということで、結局地元に駐在員を置いて、公団の責任において受取ろうということになつたのであります。ルーズだつたとは思いませんが、たくさんの中ですから、自然そういうこともあり得たと思います。
これはいろいろ言われておりますが、おどかされたというようなことはあまり聞いておりませんが、渡す方と受取る方でありまして、その間利害が常に相反しておりますから、自然問題が起りがちなことでもあり、起つたケースもあるだろうと思つております。どこにどういうケースがあつたということは、われわれの耳には入つておりません。
あれは公団の廃止がたしか九月十五日でありますから、一箇月前の八月十五日から、自由経済に移る過渡的な一つの方法として、生産者が自己の責任において山で積んで、自己の責任でこちらへ渡すということになつて、山元で受取ることをやめたように記憶しております。
数量は相当に出ました。
その当時はわかりませんでしたが、現在そういうようなことがあつたとかなかつたとか言つております。
これはこういうことなんです。ほとんどしろうとが行つたということはちよつと極言でありますが、大体駐在員に二つの性質のものがあつたと思うのです。中には非常にエキスパートで、公団に入りますのにはあまりにも年齢がとり過ぎておる。それでせめて山元駐在員にでも採用してもらいたいと言つているもの。それから海外引揚げとか何とかで経験のあるものを募集したのでありますが、山元駐在員を募集するにつきましては、何月何日までに何名を配置せよ、何月何日までにどこそこのどこへは必ず配置せよということで、私ども駐在員の定員を充たす命令を非常にやかましく受けたのであります。ところが当時食糧も不足でありますし、住宅もありませんし、なかなか行く人がないわけであります。そ
前にと言いますと、自由経済のときにですか。
これは本質的の問題になりますが、石炭は日本では、米と同じように余つた歴史が多いのであります。私三十数年ばかりやつておるのですが、元は石炭はああいうバルキーのものですから、ハンドリングするたびに途中で二%や三%欠斤が出るのは当然だ。元の言葉で言えば押石があつた。生産者が百トンというときには百三トンあつて、それで百三トンの仕切りにした、こういうのが石炭の長い歴史だ。あるいは五分あるいは三分の押石をしたことがあります。ところが石灰が非常に少くなつて参りますと、やはりどうしても少く積んで多く渡したというような状態になりがちのものです。それで自由経済のときでありますと、おのおのの山からおのおのの山のものがそのままの形において移送され、需要家に
これは何も配炭公団にそういう意識があつて、いいかげんにとつたということはないと思います。統制経済といいますか、しかも配炭公団は化けものみたいな厖大な組織でありますから、なかなか末端にも十分徹底しない、あるいは能動的な、能率的な働きもできぬというようなことは、公団の性格からあるいはあるかもしれぬと思います。