そうです。
そうです。
会社の方は最初昭和五年に日本精工株式会社に入りまして、昭和二十一年の七月までおりました。それから日本水素株式会社に変りました。
大体最初研究の方面をやりまして、それから企画、建設、各工場がありまして、その工場長をやりました。
ええ。
これは日本精工に日野原氏が見えられたことがありまして、その際に私一、二回お眼にかかりました。たまたま日本水素に來ぬかというような話がありまして、私も戰爭中の技術者としての仕事が大部分完了しまして、ほとんど残務整理をやりておりましたものですから……。非常に熱心な、氣分のいい方で、それじやさしつかえなければ参りましようというような、非常に簡單なものです。
私の專門は大体機械方面です。
機械の方面と申しますと、大体精密方面の機械とか、化学方面の機械とか、そういうものに関連したものです。
今おります。
そうです。
入つたときの事情はよく存じませんけれども、社長が昭和電工に入られるというような話がありまして、手助けに行かぬかというような話がありましたので、私氣持よく引受けたのであります。それ以前の事情についてはつまびらかでありません。
いきさつはよくかわりません。
あります。
三十一日に行きましたとさにはGHQの係の方にあいさつをいたしまして、そのときに電工の再建のために努力しろというようなお話を一緒に聞いたことを覚えております。
そういうような話を、われわれ重役がそのとき何名行きましたか、三、四名行つたと思いますが、そういうような話をGHQでしておりました。
それから三十一日の次が何日でしたか、翌月だと思いましたか、翌月の三日でございましたか、初めでございますか、どつちか記憶がありませんですけれども、行きまして、最初われわれは特別な話はなかつた。あいさつだけはしたと思います。その後社長がいろいろな話を受けて、それから昭和電工に前からおられた重役が話を受けまして、そのときに私も一緒におつたと思います。
そのときの話は、私自体が聞きましたことは、新しく入つた重役だというように紹介をされまして、直接私一人の話でなく、全体に話したというように記憶しておりますが。
そのときに個々に話はありませんでした。そういうように記憶しておりますが。
やはり電工の再建のために努力せよというような趣旨の話がありまして、ぜび緊急の生産であるから、速急に昭和電工の建直しをせよ、これが大きな話の主体であつたのです。そのために万難を排してやれというような話であつたと記憶しております。
ええ、そうです。
どういうふうに……社内の整備をやれというお話があつたのです。