各政党間で意見の一致を見ますれば、これはもう文句なく政府の方で提出をいたすということでございます。
各政党間で意見の一致を見ますれば、これはもう文句なく政府の方で提出をいたすということでございます。
確かに本年の二月、三月にそのような御質問をいただきまして、総理からもそういう御答弁があり、私からも答弁したことを覚えております。 そのときに私が申し上げましたのは、調査会をつくるにいたしましても、問題点をまず浮き彫りにしなければなりません、そういう問題点を浮き彫りにした後にその調査会をつくることを考えたいと思います。いまやみくもにつくらなくて、各省の事務官同士の折衝を当分の間行います。かように申し上げたと思います。そういうふうな折衝の過程が大体終わりまして、臨時国会で、さて調査会をつくるかあるいは懇談会にするかということでございましたが、臨時国会という性格が一つございますし、また法律を通すにしては内閣委員会もまだいろいろとお忙し
そのほかに理由がありとせばということをおっしゃいましたが、大体いま各省、関係省の事務折衝が終わったと申し上げましたが、それらによりますと、一応昭和三十六年の長沼答申の基本方針を踏襲する、こういうことでございます。これは御承知のとおりに、「公営競技の存続を認め、少くとも現状以上にこれを奨励したいことを基本的態度とし、その弊害を出来得る限り除去する方策を考慮した。」こういう基本方針でございますから、これの上に乗っかって、そしてその弊害の除去に努めようではないか。この弊害も具体的に三、四挙げておりますけれども、そういうふうなものを中心課題といたしまして懇談会を行い、そしてその懇談会における各委員の方々の御意見を参考にして、それを行政に反映
先ほどから私答弁申し上げているときに、調査会には一切しないんだということは申し上げてないのです。ですから、まず懇談会でやりて、そしてその上で必要があれば調査会にいたしますということを申し上げておる。この前の昭和三十六年の調査会も、あの期間は四カ月なんですよ、あの調査会は。調査会は十回会合をいたしておりますけれども、四カ月であの答申を出しておるのです。ですから、懇談会というふうな形、その前に各省間の調整をやりました。これはもうすでに終わりました。それで懇談会を始めます。この懇談会でどうしてもこなせない、またどうしても調査会が必要だ、こういうことになりますれば調査会をつくるには異存はございません、かように申し上げておる次第でございますか
ですから、必要がありますればそのようにいたしますということでございます。
いや、私は確かにお話を伺いました。この間、個人的なお話も一伺いまして同じようなことを申し上げたつもりでございます。それで、調査会にしないということは一切言ってないのです。必要があれば調査会にいたします。そして、この弊害は、昭和三十六年にああいう基本方針を持って長沼答申が出されながらも、昭和三十六年の公営競技調査会、公営競技団体五つの団体がございますが、その売り上げのいまや二十倍になっておるわけでございますから、いろいろ問題が生じておることもよく承知いたしております。ですから、この弊害はどうしても除去しなければならぬ、かように考えておりますから、小林先生の御期待に背くようなことはいたしません。ただ、方法としましては、懇談会でできればそ
放棄請求権の方から申し上げますが、これは昭和四十八年からこの請求権の問題につきましては実態の調査を進めておりまして、大体概況の調査が終わった次第でございます。 いまおっしゃいましたように陸上部分と海上部分とございますが、陸上部分が十二万件ぐらいございます。おっしゃいましたような金額、一千七十億ぐらいの金額になります。ただ、海上部分の方は一つにまとまりますので、いわば話がまとまりやすかったということもございまして、これはほぼ話し合いが地元とまとまっております。そこで、五十三年度の予算につきましては、十億ほど沖繩開発庁の方から概算要求をいたしております。まず五十三年度から払っていこう、こういう考え方でございます。それから、いまの陸上
放棄請求権の窓口につきましては、沖繩開発庁が今後当たりますし、そして五十三年度にはその協議会を持ちます。そして順次それを処置していきたいと思います。それからいまの市町村道路についてでございますが、これは先ほど来申し上げましたように、でき上がったことの理由、その時期、そしてまたどのように利用されたかということをよく研究しなければならぬ。そして、政府が持つべきものは持つし、そしてまたそうでないものはそのような処置をいたさなければならない。これは研究を要するところだと思いますから、来年度も引き続き研究していきたい。百十キロメートルというものが新たに出ましたので、これを含めて来年度も研究していきたい、かように考えております。
交通区分の変更ということは、一番最初は四十八年の九月の閣議で決定されたものでございます。これは五十一年に実施するというふうに決定をされました。それが五十年の六月の閣議で、五十三年の七月末に実施するというふうに変更延期されたわけであります。その閣議の前に、沖繩県側も参加されまして関係協議会を開かれております。その関係協議会の中で、五十三年の七月の末を目途とするということに沖繩県側も同意をされて現在に至り、そして来年の七月を目途としてこれを変更するということになっておるわけでございまして、いま急にこれを言い出したわけではございません。そのようなことが一つございます。 それから物価にはね返るということをおっしゃいましたが、そういうこと
第三点の見切り発車をしないということからお答えいたしたいと思いますが、われわれとしては見切り発車をいたさないという気持ちで現在も進めております。 御承知と思いますが、昭和四十八年の九月十八日の閣議で、五十一年実施を目途ということがすでに一度決められておりました。それが県当局の延期方の要請によりまして、四十九年の六月十八日に管理部会におきまして変更をいたしまして、五十二年の夏を実は県当局は希望したんでございますが、それよりも一年延ばしまして、五十三年の七月末を目途というふうに五十年の六月の閣議で再度これを決定した次第でございます。それで、いよいよ来年の七月末に交通区分の変更実施ということになったわけでございますから、その間の事情を
おっしゃいますように、飛行機の方のああいうふうな悪天候によりまして、沖繩県議会の方々が、関係議員の方々が出て来れないようでございますが、来週早々には上京なされると思います。そのお話も伺いたいと思っております。 なお、県議会の方の様子は、電話を通じましてこちらの方にあらかた全部入っておりますので、どういう御要望かということもほぼわかっております。 見切り発車をしないと申し上げましたのはそういう意味もございまして、県議会の方々がおいでになることを待ちまして、それで閣議、政令決定ということに持っていきたいと考えております。 それからその次の問題は、おっしゃいましたように、県と市がそう縦の系列ではございませんし、那覇市、沖繩市に
ただいまの御質問の具体的内容に入る前に、大まかなことだけを私の方からお答えをいたしておきます。 五十二年度予算でこの交通区分の変更によるもの、要求はすでにこれはもう決まっておりますけれども、五十四億でございます。融資枠は十二億でございます。そして、補正予算として要求をすべく準備をいたしておるものが十七億ございます。それから五十三年度の概算要求といたしまして、各省庁からではございますけれども要求いたしておるものが約百五十億ございます。そして融資の枠は百十一億でございます。それらを合わせますと、合計といたしまして約二百二十億、それから融資の枠といたしましては百二十三億ということでございます。 この「約」がつきますのは、先ほど申し
おっしゃいますように三つの要望が特別事業として出ております。 それで、二番目の方はともかくとしまして、一番目と三番目の交通センターですか、交通公園に伴うところの交通センター、それから三番目の方の災害医療センター、この二つについての調査費ということでございますが、これは規模も、それからまた敷地も何も決まっておりません。非常に漠然としております。そういうふうな関係がございまして、事業調査費として取るのはむずかしいのではないかという考え方をいま持っております。そこで、担当省庁とも打ち合わせをいたしておりますけれども、事業調査費としての追加要求をするかどうか、あるいは余りにも漠然といたしておりますから、これは総理府の方で沖繩県の交通区分
順序は逆になりますが、いまのような今回の交通区分変更に伴うところのいろんな事業につきまして地元を潤すようにと、こういう御趣旨でございますが、それはそのとおりでございまして、全国一の失業率を持っている沖繩県でもございます。非常に不景気でもございます。そういうことから考えまして、実は、この政令を急いでおるのもそれが一つのゆえんでもございます。早くその事業を出しませんと、いまの例にとられましたすみ切りも一挙に出しますと、地元の業者だけではなかなかできないというふうなこともございますので、なるたけ早く政令を出して事業に取りかかりたい。そして、こういうふうなすみ切りの事業なんというのは大工事でも何でもないんですから、これはもう沖繩の業者ででき
地元の要望と合致するように、コンセンサスを得るようにというお話でございましたが、そのためにわれわれとしましても大変な努力をいたしました。五十年の六月の閣議でそのように五十三年の七月末ということは変更されまして、その後、五十一年度では調査費をとりまして大いにその調査をやったわけでございますし、五十二年度からは実施予算をとって現在まで至っておるわけでございます。これもまあ政令が出ないためにこの実施予算の方も使えないと、こういう状況でいま現在おるわけでございますけれども、その間にわたりまして地元の話し合いは、もちろん先ほど特別交通室長が申し上げました委員会も通じ、個別にも何回もお話をいたしました。その上でいろいろと煮詰めてきて、いよいよこ
見切り発車の問題につきましては、主たる問題は三つあったと思うんであります。一つは、いまおっしゃいましたような那覇市との了解——一番こう交通混雑がいたしておりますし、一番の都会でもございますし、那覇市長、那覇市との了解が一つの問題。 それからもう一つは特別記念事業、この特別記念事業をどうするかと、これが一つの問題であったかと思います。 まだもう一つございますが、まあ、大体この二つないし三つの問題があったかと思います。 いまの那覇市との了解でございますが、これは九月の五日に沖繩県と那覇市との話し合いが行われたと聞いております。現地の総合事務所の方から全文、全部その報告が入っておりますけれども、この両者の話し合いにおきまして大
私はここ二、三日でそういうふうな了解ができたということを申し上げているわけではないんでありまして、五十年の六月に閣議がそういうことを決定いたしまして、その後漸次いろいろな形で地元との話し合いを行っておるわけでございますから、そういう大詰めがこの九月の初旬にいろいろな形であらわれてきたと、かように思っている。 先ほど一つ申し上げませんでしたが、バスの補償の問題にいたしましても、これにしましてもずいぶん長い期間をかけていろいろ運輸省の方が話し合いをされまして、それも最終段階でやっと片がついてきた。これも本当にごくわずかな金額が現在どうなるかという点がございますけれども、これももう大筋では片がついた、長い期間のものが、最後に大詰めに来
御承知と思いますが、私たちは見切り発車しないということはかねがね言ってまいりました。また、できるだけ地元の負担はなくしていこうと、これは政府の方で背負っていこうという考え方が基本にございます。そこで、実際は地籍明確化法の政令と一緒に出そうと、公布しようという考えを持っておったんです。ところが、三日に沖繩の方の県会があるということがございました。それからまた、五日、六日ごろに沖繩県と那覇市の方のお話し合いがあるということもございました。それからまた、この特別委員会の諸先生方がお帰りになって九日にこの委員会を開くということもございました。そういうことで次々と延び延びになってきておるような次第でございます。そこで、私の方としまして、どうに
山中先生は柔軟、柔軟とおっしゃいますけれども、いままで柔軟に対処してきたんですよ。それで大体大筋において御了解を現地の方も得てきて、それでしかも七月の末日までに諸準備を完了しなきゃならぬと、こういうことでもございますので、ここで一カ月延ばし、二カ月延ばし、あるいはその七月を八月なり十月なりにしていくということがどれだけの利益があるのか、どれだけのメリットがあるのか、私はその点は疑問に思うんです。ですから、七月末を三カ月、半年、一年延ばしていくことは、もうこれは混乱を長引かせるだけであって、やはり七月末までにわれわれとして十分な態度で、そして現地の交通の安全も十分に図りながら、そういった、しかも地元のコンセンサスを得ながらそれでやって
いや、わかっていますけれども、いままでそういうふうな柔軟にもう対処してきたし、いろいろお話し合いもいたしましたし、大筋で了解もついておることでもございますから、天候が悪くていらっしゃれなかった県会議員の方々、これの決議なり陳情というものにつきましては、これはもうぜひお会いしてお聞きすることに決してやぶさかではございません。しかし、それを持って帰って現地の反応、反響によってまたいろいろと何かが生じたからと言われても、これはまた私の方としては困ることでございまして、やはり行方定めぬような決定の仕方はこれはできません。もう来年の七月の末日にこれを実施するといたしますれば、やはり九月の中旬ぐらいまでがタイムリミットであるということを重ねて申