西
西川英三
元油糧配給公団副総裁
1949-11-11
衆議院・考査特別委員会
時期的に言いますと、昭和二十一年十一月に初めてこの増産奬励金というものができ、二十一年三月に大豆協会はできたわけです。
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時期的に言いますと、昭和二十一年十一月に初めてこの増産奬励金というものができ、二十一年三月に大豆協会はできたわけです。
そうです。特にアメリカ大豆協会において確認された世界におけるただ一つの大豆協会であつて、適当な機関で、それと連絡を持つているということで、大豆協会にやつてもらおうということになつておつたのです。
アメリカ大豆協会とは、適当な時期に技術者の交換、情報の交換は両方義務的にやる。
やつております。
情報交換ですか。それはそうです。やつております。
それは大豆奬励金というものは、大豆増産のために全面的にそれぞれの用途に使うわけでありますから、油糧配給公団の公団法上の立場から行くと、公団が直接やるということはやはりさしつかえがある。そういう解釈で大豆協会にやつてもらうことが一番適当と思つたからです。
私はそうは考えません。
おりません。
大豆協会の運営の意思は、役員会がきめるわけですから……。
公団の人間がやつておるわけです。
私はそう考えません。
それは農林省と物価庁が相談して、大豆協会出そうということに……。
できてから……。
やりました。
食品局長だと思います。
それは三堀さんです。
会長は手当のほかにはございません。
半年五万円……。 〔「年十万円だな」と呼ぶ者あり〕
旅費については知りません。
会議費はありません。(「交際費は」と呼ぶ者あり)交際費はありません。