自衛隊第一次の防衛力整備の構想も、やはり私は必ずしも北だけに限るとは思いません。北海道に、たとえば今回の法案でお認め願う十三個師団のうち、四個師団を置くということは、一つはあそこは地域が広いということと、もう一つは、有事の場合における内地からの輸送力等にも時間を要する、非常に困難でございます。そういうような面を考えるのでありまして、特別にあそこだけを取り上げて北方防衛を強化するという意味ではありませんで、国全体を考えての配置と、こういうふうに御了解いただきたいのであります。
自衛隊第一次の防衛力整備の構想も、やはり私は必ずしも北だけに限るとは思いません。北海道に、たとえば今回の法案でお認め願う十三個師団のうち、四個師団を置くということは、一つはあそこは地域が広いということと、もう一つは、有事の場合における内地からの輸送力等にも時間を要する、非常に困難でございます。そういうような面を考えるのでありまして、特別にあそこだけを取り上げて北方防衛を強化するという意味ではありませんで、国全体を考えての配置と、こういうふうに御了解いただきたいのであります。
もちろん遠隔の地であること、一つは国境を持っていること、これは当然であります。しかしながら、同時に、今度の十三師の配置をごらんいただきますと、広島にも、あるいは相馬ケ原のある群馬県の前橋近く、こういうものにも配置をふやして新師団を置く形になるのでありまして、必ずしも北だけに全部の重点を注いでいるということでもないと私は思っております。
韓国のクーデターに対しまして、特にこれを契機として防衛体制を変えるという考えはございません。やはりわれわれは民間の友好というものをもちろん考えまして、敵国とか、敵視するということは何ら考えない。ただ、国内の防衛といたしまして、九州にも、あるいは中国にも、あるいは北海道にも、それぞれ国土、国情に応じての師団配置を考えておる。クーデターに対して特別なということはない。また、しないという考えでございます。
もちろん韓国でどういう事態が起こりましても、われわれは国土の防衛でございます。国内においてその事態を正しく把握し、そして国内においての必要なる限度のいろんな措置は、また、大事な段階におきましてはシヴィル・コントロールの精神がありますから、その範囲内におきましてわれわれは国土の自衛をする、これだけの考えでございます。
まあ他国のことですから申したくありませんけれども、御質問かありましたが、かりに何らかそういう事態が起こったにしましても、これは日本の自衛と直接の関係はございません。従って、日本の基地を使って直接戦闘参加にいくということになれば、御存じの通り、事前協議の対象になるわけであります。
これは私の解釈では、政治優位というふうに解釈すべきじゃないか。政治優位でございますね。言いかえれば民主主義的な軍隊管理でございますね、こういうふうに私は解釈すべきじゃないかと思うのでございます。よく世間では文官優位と申しますが、文官は私の補佐官でございます。そうではございませんで、憲法上の用語を多少拝借すれば、文民優位という言葉がいいかもしれませんが、私は、正しい意味では政治優位、軍が政治を支配するのではなく、政治が軍的なものをきめていく、その政治は民主主義政治である、こういうふうに私は考えております。
これはもちろん言葉の問題ではございませんが、言葉の問題になりますと、これは法制局長官あたりにお尋ねしていただく方がむしろ正確かもしれませんが、これは歴代の内閣におきましても同じような解釈をし、また、同時に、法の立て方、たとえば防衛庁法、治安出動あるいは防衛出動、あるいは私の上に総理がいること、そうして総理大臣は国会において民主的に選挙される、こういうような関係から私はこの原則は立っておると思うのであります。
平素の、たとえば政策上の基本的な問題は内局の補佐を受けて、私が統括者としての責任をとります。ただし、もちろん重要事項は閣議というものがございます。また、政府というものは、当然国会の十分なる意思を体してやっていく、こういうことに当然なっておるわけでありまして、私は、これはあくまでも十分近代国家としてのいわゆるシヴィル・コントロールの形は、世界的に決して負けているものではない、むしろ私は、日本の自衛隊というものは、シヴィル・コントロールの制度は一応よくできている、こういうふうに考え、また、外国の諸君もそういうふうに見ておるのであります。
核装備、核の持ち込み、あるいは非常に大きな兵器を持ち込むことは、もちろんそれは現在しておりませんし、また、そういう事態が起こりますことは、当然事前協議の対象になる。
日本に基地のありますことは、もちろん日本の安全のためであります。そうしてそれ自体が、直ちに全面戦争の抑制力と言えないにしましても、私は、局地戦というものを押えることが、やはり局地戦から発展して全面戦争になる、そういう意味では全面戦争の抑制力にも私は寄与しておると、こう申し上げておるのであります。
日本の基地を与えておりますことは、安全保障体制からきておると思うのでありまして、これは私から申し上げるまでもなく、安全保障条約から地位協定ができて基地が与えられておるのであります。従って、基地の意味というものは、日本自体にとっては、直接局地戦的なものであります。ただ、その補給源等、あるいは修理能力等の点から置きますれば、艦隊行動等に対してそういうものを提供しておることは、全面戦争の抑制力にも間接的に私はやはり必要だという意味でも基地がまた与えられておると、こう思うのであります。いま一つは、基地は、当然そういう意味で備えるためには訓練の場になるわけであります。こういう意義があると思います。単に基地を有事の場合にだけ使うのではありません
キッシンジャー博士がどういうふうな御意見を言われましたか、これは一つの学者でございますから、そういう立場からの批判をされたのだろうと思います。ケネディの方はアメリカの、御存じの通り、最高の責任者で、その国防予算特別教書は、国民にその協力を求める意味で国会に訴えると同時に、予算要求をいたす説明である。同時に、またアメリカ国民に、あるいは友国であるそれぞれの国、あるいはその他の世界に一応自分の防衛に対する意思を表明したものだと思うのであります。従って、私は、アメリカの意思といいますか、アメリカの国防、あるいは安全保障に対する考え方というものはケネディの教書を主体にして考えております。そうなると、その考え方といたしましては、今言われました
遺憾ながら、私どもといたしましては、御意見とは違った意見を持っております。御存じの通り、日本は確かに自衛力としましては、国力、国情に応じ、また、自衛の任務からいたしまして、局地戦というものを主体にして考えておる防衛力の漸増整備をはかっておるのであります。しかし、その局地戦といえども、非常に最悪な事態になった場合に、局地戦の形がどういう形で起こってくるかによって、わが防衛力で足らぬ場合には集団安全保障体制でいく、これは国連の憲章に認めておる当然のわが国の権利でありますから、それに従ってわが国は日米安全保障条約を結んでおるわけであります。 また、基地があるからといって、直ちにこれが出動の根拠地に、ことに海外の日本侵略に対する出動の根
他国のことの批判は避けたいのでありますが、ラオスの現実は、御承知の通り、日本の国情とは全然違っております。地形も違っております。日本の国の中にはジャングル等はないと思います。そういう点からいきましても、いろんな要素を——私は、他国のことでございますから、ラオスの国家の批判は申し上げませんが、これはおのずから鶴園さんおわかりになっていただけると思う。日本の国情とラオスの国情が同じ、こういう前提に立っての御議論は、私は受け取れないのです。
私は、もちろん政治が基本である、国の守りに政治が基本であることは私も同感であります。しかし、御存じの通り、他国の例を引きたくありませんが、西ドイツにおきましても、あるいはイギリスにおきましても、自由圏の近代国家におきましても、政治が安定しながら、なお基地を持っておる。日本の基地というものも、決して無意味でないことを御了解願いたいと思います。
簡単に申しますと、防衛という仕事は、やはり一つの勝負事でございます。だから、いろいろな千差万別の場面を考えるということは当然でございまして、われわれが碁というものをやりましても、いろいろな想定のもとに布石をする、局面の変化によって。その意味で千差万別の布石をする。それを常時任務といたしておるわけでありますけれども、固定したものではないという意味で私どもがお示しするわけにいかない、そういう意味であります。
私が一つの例として国際共産主義の脅威というものを申し上げたのは、御承知の通り、共産主義の首脳部におかれましては、解放戦争は正義の戦争であると、たびたび戦争を是認している言葉があるわけであります。そういうようなことからいきましても、私は、やはり一つの戦争を抑止する、あるいは自衛する立場におきましては、一つのやはり勢力になるということは言えると思うのであります。そういう意味で申し上げたのであります。具体的に、それじゃどの国がどういうふうにするということを国会の席を通してわれわれが言うことはいけないことであるし、また、言うべきではないと私は思うのであります。
私は、先ほど申し上げましたように、やはり共産主義と申しましても、憲法の上から申しましても、憲法の思想の面から申しましても、自由であることは、ただ、共産主義というものの行動の中には、破壊というものを是認する面もあります。また、歴史の示すところであります。また、国際共産主義の戦列に加わっておる人たちの言葉の中に、戦争を是認する話も時おりあるわけでございます。これらも私は、一応われわれの自衛としては考えるべき場合もあります。しかし、具体的に、あるいは個々にということになって参りますと、もちろんわれわれはそれぞれの国と友好関係を結ぶのでありますから、個々の国に対してかれこれと言うことは慎んでいかなければなりません。基本は、何といたしましても
私は、憲法はもちろん尊重いたします。思想の自由、言論の自由、従って、自衛隊員が、かりに他の問題でも、できるだけ自由な立場において意見を述べてもらうということもいいと思います。しかしながら、同時に、共産主義におきましては、破壊的な、あるいはもちろん右翼もありましょうが、破壊的な面という要素が伴いやすいことは、これはもう私から申し上げるまでもなく、そういう事例があるのであります。暴力による革命、あるいは憲法をこえた革命、こういうような面から考えますれば、共産主義に対してやはり一つのそういうことを教育することは、これはあたりまえである、事実を説明することだ。それからもう一つは、自衛隊の中には、私は、やはり共産主義を信奉する人は、おそらくお
私は、自分で間違ってないと思っております。要するに、自衛隊は国土の守りであります。言いかえれば、外から、あるいは内側において秩序を乱す場合におきまして、与えられたる任務を遂行する。その場合におきまして、共産主義的な行動におきましては、秩序を乱すという場合が多いのであります。またこれは御存じの通りであります。その場合においての私は一つの——しかも、それに対して反対する者が入っているのに対して押しつけるのなら、これはまた一つの問題でありましょう。相手自体がそういうような立場で自衛隊に入ってくるのがほとんどであろう、そういう建前から私は事実をよく解明していくことは、憲法の思想を何ら侵害していない、こういう解釈でございます。