はい、西村秀昭です。
はい、西村秀昭です。
ええ、私自身です。
正確に言いますと、アイティーエム証券が入っている投資事業組合の評価、これについて意見をしたということですけれども、買い付け単価よりもたしか四、五倍ぐらいの評価をしたんではないかというふうに思います。特に浅川社長からどうこうしろというようなことはなかったと思います。
最初のかかわりは、投資事業組合ではなく、そのファンドの組成ですね、第一号のファンド。名称は、エイム・ミレニアム・ファンドだったと思います。 その後、十四のサブファンドがあるわけですけれども、全てアンブレラファンドの下に入っておりますんで、その全てに当社が関与したということになっております。
それは当初の話だと思いますけれども、二〇〇二年七月ぐらいですね、当社が危機に陥ったときにAIJ投資顧問のファンドから出資を受けたというところです。
ちょっとスキームの意味が分からないんですが、まあ単純に投資信託から出資を受けたということですんで、まあこれは浅川社長の判断で投資されたというふうに思います。
評価は、評価意見は申し上げましたが、最終的に監査法人からは採用されなかったというような話を聞いておりますんで、かさ上げ自身に最終的にかかわったという形にはなっていないというふうに思います。
監査報告書は半年から七、八か月遅れて来るものですけれども、一億、あっ、一千五百八十億円ですか、これを集めたものは、全て新規の公募の状況でファンドを集めたと。これが月々ネット・アセット・バリュー、HSBCから来ておりまして、これを見ておりましたんで、まあ、特に疑いは持たなかったということです。
以前はおかしいと思ったというふうに言った記憶はないんですけれども、運用の中では、彼がいつも説明していたのは、マーケットが動かないときには利益が出ると、まあ利益が出しやすいと。マーケットが大きく動いたときには損をする可能性があると。そういったときに、不安に駆られてちゃんと運用ができたのかというような質問をしたと。あるいは、いろんな話もありましたけれども、その都度、営業マンも含めて真偽をただして、ちゃんとした答えが返ってきたと。それをもって信用しておったということです。
三年ほど前まで二人でよく行ったと。その後も行ったことはありますんで、その以降は行っていないということではないです。 加えて、打合せということについては、お互い役割分担ができておりまして、私が会社案内を説明して、で、運用については浅川社長の方で言うということですんで、特段の綿密な打合せは必要なかったということです。
そのプレゼンの打合せということではないですけれども、七階と八階、同じビルの中にありますんで、行き来はそれなりにありました。
常時ではないですが、同席したことは何回かあります。
松木氏については、チーフ・インベストメント・オフィサーということですんで、今は体を壊されていますけれども、当初から彼の考えた運用手法、これがAIJ投資顧問のファンドの運用の柱になっておりましたんで、彼からどういう形で運用するか、どういうふうにマーケットに対応していくかという話を教えていただいたという形です。 高橋さんについては、同席することはありましたけれども、ほとんど発言はなく、いただけって言っちゃ失礼ですけれども、そういうような存在でした。
英語、まあ旅行に行く程度の英語はしゃべれたというふうに思います。ビジネスで流暢に会話できるレベルでは到底ないと思います。 また、香港には、年数回、仕事と旅行ということで行っていたと思いますけれども、旅行は別にして、仕事については何のために行っていたとかというのは私は聞かされておりません。
どうして。どうしてと言われましても、まあそれだけ営業マン七人と私と合計八名で、お客さん若しくは、まあ社内もいろいろありますけれども、使っておったということです。
概算で調べましたところ、二十年度からですね、二十年度が約九十件、翌年度が約六十件、で、二十二年が四十五件、まあこれが五万円の内訳です、ああ、数ですね。
前の御指摘ですけれども、五万円以上という御質問を受けておりましたんで五万円以上をピックアップしましたけれども、二基金、三基金、一緒になっているときもありますんで、実際、一基金当たり五万円というともう少し数は少なくなると思います。 加えて、最高金額でいいますと、各年度約二十万円前後ということでして、これも、当社も含めて五人、六人という人数がいますんで、一人四万ぐらいの形になりますけれども、これも世間の常識からすると高いかなというふうには思います。
ええ、一日二軒ぐらい行ったときにそういう金額になったということです。
書いておりました。
ええ、趣味の一環で書いておりました。