気持はそうですけれども、実際問題としましては、お尋ねがなくとも、調和のとれた番組はこういうものだという見解を表明することもあります。
気持はそうですけれども、実際問題としましては、お尋ねがなくとも、調和のとれた番組はこういうものだという見解を表明することもあります。
私に直接そういうことを言ってきた人はありませんけれども、先般新聞で見ますと、民放連では、そういうことを言うことが放送内容に対する政府の干渉であるといって、何か反撃をしておるとか、したとか、しつつあるとか、そこはちょっとわかりませんが、そういう記事が載ったことは御承知と存じます。
今私は、受田さんとの間に、気持の上では意思の違いはないと思うのです。私は、法律に従って——法律上力を持ってはおりません。しかし、行政的ないわゆる指導によりまして、できるだけの努力をして、そういう方向に指導していくということについては十分努力しておる。ですから、行政官庁としては、法律がありますればもっと楽かもしれませんけれども、私は必ずしも法律が絶対に必要とも思いません。そこのところは行政の運用の妙味によってやっていけないこともありませんけれども、今度は法律をたてにとって反撃をしてくることがあるので、それに対しては弱いという実情もございます。民間放送といえども、常識を持っている限界においては、お互いにそこはうまくいくと思うのです。
法律を施行するのは政府の責任でありますけれども、法律を守るのは国民の義務だと私は思います。ですから、公共の福祉によってこういうふうにしなければならぬという第一条の規定は、民放はこれを守る当然の義務があるのでありまして、それを守らなければ民放自身が悪い。ですから、法律の適用を受ける人たちはそれを守る義務をちゃんと考えて常識的にこれを守る、同時にこれを施行する政府は常識的にそれを施行していく、こういうことでなければ、一方は守らぬものに対してどうしても守らせるということになれば、どうしたって法律上の強制力が要る。放送法というのはそこのところが非常に上品にできていると思いますが、常識といいますか、そういうことを前提とした法律に現在できている
厳格に三〇%ということは私は言えないと思いますが、大体その線には一応現在の放送関係は来ていると思っています。
さっき私の言葉がちょっと足りなかったようですが、その今の電波法七十六条の権限はあるのですけれども、一体歴然とこういうのが公共の福祉に反しているとかなんとかいう、調和を乱しているかどうかということについて、どうして立証するかという、立証責任がこっちにあるわけなものですから、事実上この法律を適用することは非常に困難であって、事実上の問題としては、この法律を適用する、この条文を適用することはなかなかできないのじゃないか、非常なまれな場合じゃないかと私は実は思います。
私は、さっきから、行政指導は一生懸命に十分にしておりますと申し上げておるわけです。その行政指導の執行力と言いますか、強制力というものが、法律にそのものずばりの、政府から指導したものに対して違反した場合には、それは処罰するというような規定がありませんから、強制力を持っておりませんから、そこのところはなかなか困難であるということを申し上げておるので、行政指導を怠っているということは、さっきから一ぺんも申し上げていないので、むしろ一生懸命やっているということばかり申し上げているつもりです。
根拠として、私の方から心持を言ったわけです。つまり、調和のとれたということは、三〇%教育、教養番組というものが含まれていなければならぬ、含まれていることが調和がとれたんだということは、われわれの方の法律の解釈でありまして、その解釈を私の方はこうだ、こういうことですから、その三〇%を積極的に言ってもいいわけですけれども、心持の上ではどういうことか。調和のとれたということは、それぞれめいめいの判断があるわけなんです。そのめいめいの判断というものが、最終的にどういうものが調和がとれているかということは、あるいは裁判によってきめられるべきものであるかもしれませんけれども、役所側としてはこういうのが調和のとれたものであるという気持でおる、こう
役所がやります。郵政省がやるわけです。
郵政大臣だと思います。郵政大臣がやるとお答えいたしました。
これは、抽象的には、客観的にそういうようなものがあり得るわけなんです。その政治的に不偏不党であるかとかいうことは、客観的にそういう基準があり得るわけなんでして、最終的にはわれわれも、こういうものが不偏不党である、こういうふうなところまでいったら片寄っているということに対して、判断というものはもちろんあります。その判断をわれわれがした場合に、放送局に対してそれを注意するということは私たちはいたします。
争いになれば、これは当然裁判所が最終的にはきめるわけです。われわれの方としては、われわれの方の見解を示して、こういうのは片寄っていると考えるという注意を与えます。与える立場です。
それが非常にむずかしいところなわけです。抽象的に一般的にすべてのケースに適合するような基準があれば、おそらくその基準を法律に書くでしょう。具体的な一つの放送、たとえば安保条約のときの実況放送というものをやった場合に、その実況放送の内容が不偏不党であるかどうかと判断していくわけですから、基準というものはなくて——ないといいますか、一般的な基準というものがなくても、そこは判断といいますか、心証といいますか、そういうことだと思います。従いまして、その判断に基づいて行政処分をする場合には行政処分をする、行政処分をした場合に、それに対して反対の訴訟が起ってきた場合には、最終的には裁判所が判断をすることになると思います。従って、われわれとしては
政治の不党とかなんとかいう問題として注意したのは、私が大臣になりましてからはありません。
前にもないと言っています。ただずっと前に、お尋ねになりました内容の問題、調和がとれているかとれていないかという問題については、注意したことはあります。
私どもは直接モニター制度を持って監視しているわけではございません。しかし、そこは非常に便利な世の中でありまして、新聞にもいろいろ出てきますし、投書もあります。電波審議会の委員さん方の御意見もありますし、そういうようなものを総合すれば、あの放送局はややバランスが悪いなということは、おのずから判断がついてくるわけであります。
その通りですから、始終頭に置いております。
電波を免許するときに免許料を取るべきじゃないか、あるいは電波の使用税といったようなものを課すべきじゃないかといったような意見はあります。それも放送法の改正のときにおそらく審議のテーマの一つになるのじゃないかと思うのですけれども、現在のところにおきましては、もうけたものをできるだけ社会に還元するように、すなわち番組内容をよくするように、そのほかたとえば学校に対してテレビをできるだけたくさん寄付するというようなことを考えている放送局もありますし、その他得てきたところの利益を社会にできるだけ還元するように、目下指導に努めている次第です。
私は、電波を特定の人に免許して、それを根拠にしてやっておるから、従ってその企業に対しては特別な高率の税金を課さなければならぬという考え方は、必ずしも成り立つ考え方ではないように思います。
電波の免許料というものを取ることと、年じゅうそれによって利益を上げているから、高率のより付加的な税金を取るということとは別問題なんです。営業体である以上、ある特殊の業体であるがゆえに付加的な税金を取るということは、一体どういうところに根拠を求めるのか。従って、私は、電波使用税というようなものはどうも理論的に成り立たないんじゃないかという感じを持っていますけれども、必ずしも私はこれを研究した上で申し上げているのではないので、もう少しよく研究して、場合によっては訂正するかもしれませんけれども、今卒然としてのお尋ねでございますから、私も卒然として私の現在頭の中にある感じを申し上げた次第です。