どうぞ。
どうぞ。
はい、結構です。
たまたま私が事務所におりましたら、渡邉さんという方から電話が来ることはほとんどなかったんですが、そのときは渡邉さんから、また私もおったものですから、直接電話がつながった。そのとき渡邉さんが私に、十億献金をしたいが、会社に取りに来てほしいというお話がありましたから、それには及びません、それはいただくわけにいかないと言ってお断りをした。ところが、数週間後に御本人が現在の事務所の地下に来て五億円を生原秘書に渡したという話を、二、三日たってから、私も選挙であっちへ飛びこっちへ飛びしてるものですから、そういう話を生原秘書から承った、そういう状況であります。
私はその問題については、私自体が、えらく周りでいろいろ心配した人がおるようでございますが、私は全然心配はしなかった。たまたま田原現在の法務大臣の。パーティーか何かあった。そのとき私も行ってあいさつをした。そうしたらその十六階かどこかのちょっと広場のようなところへ集まれということで集まった。その集まったとき、竹下、小沢、私、死んだ青木、死んだ中尾宏と、中尾宏と青木君が非常にこの問題について心配をしたようであります。時に私の事務所に来てもその話が中尾君からあった。しかし、私はそういういろいろの事情があるということで、経世会の代議士の若い人やあるいは全国の国民の一人一人が、右翼まで使って総理大臣になりたいのかしらというようなうわさもあると
いや、大丈夫、大丈夫です。そういう状況でございますから、私が皇民党を頼る必要が絶対ないという考え方の中で、皆さんがいろいろ、我が経世会の先生方が慌てたが、私は全然慌ててはおらなかった。ですから、私は皇民党も何も全然知らない、会ったこともない、話したこともないというのが実際の姿です。必ず私は竹下総理大臣が生まれるという判断をしておったわけであります。
あのとき渡邉さんがいたのかな、いなかったのかな。 何しろ私の強く印象に残っておるのは、竹下、私、小沢、青木、渡邉、こう私は理解しておるのですがね。たまたまそのときは。パーティーで下で、私も酒は強い方ですから、水割り三杯ぐらい飲んだと思うよ。それから十六階か何かに行って、そこでも水割りが出た。そこで二、三杯飲んだ。そういう状況で、またその問題は、私はこんな話は何度聞いたって大事な話じゃねえやと、えらい関心がなかったということで、そのときの状況は余り詳しく覚えていないのですよ、実際は。酒に酔ってという意味でもないが、その程度では私は酒は酔わないんだ。
全然、私は一回もないのですが、たまたまリニアモーターカーのいわゆる試験線のトンネルを山梨県の都留市で前田建設が隧道を掘る、そのときの着工式に出席して、帰りに私の自動車がその間につかまって、後ろにつけられて、それでようやく初台でぐっとおりて横道へ入っちゃって、でかい自動車ですから向こうもなかなかついてこられぬでということはありましたが、会ったことも話をしたこともありません。
ありがとうございます。
いや、とんでもないです。
いえ、大丈夫です。
このぐらいの紙、このぐらいかな、一枚。
まあ巻けば巻ける。
一メートルまではいかないな。
一枚です。
これは検事さんが最後に、私は検事さんに一回会ったですから、検事さんがワープロをそばに置いていろいろしゃべる、私も聞く、うなづけるものはうなづくというようなことででき上がったものです。
それは、私が新聞記者会見をする前に、私の秘書である生原が竹下ともよく相談し、それから小沢とも相談してこういうものをつくりましたと。そのとき私が、あれは衆議院の選挙前かな、これは何ともわからぬ、いや、衆議院選挙前だったと思う。
何が最近ですか。
その問題でいろいろ新聞に書かれておりましたが、実はこの問題については、皆さん御案内のように、私のうちの前には七十人も、カメラマンだ、新聞社だ、マスコミがいて、私が出たくも、検察が私を調べて、私のうちへ来たいとしても、どこへ私が出かけるにしても、オートバイまで各社が持ってきておって、私の行き場所をつかまえることは当然だということとあわせて、私が年をとっているものですから、弁護士さんとそれから生原がそれを抑えておったという点はあったと思いますよ。私が検察を面会するのを拒否しておったというような新聞記事が出ておるが、拒否なんて全然。 ちょうど安部先生が私の弁護士を引き受けてくれるというとき判をついた、そのときの上申書が初め。それで、そ
それは、だからお父さんを督促してくれという事態で、それはちょうど私が上申書を、安部弁護士さんに会って、そこで相談して上申書を出すという段取り。
はい。