厚生大臣に御質問申し上げますが、これは厚生大臣ということよりも法務大臣に質問するのが妥当だと思いますけれども、厚生大臣の考え方をお聞きいたします。 終戦後、極東裁判がありまして数名の方がそれぞれ刑に付されましたが、そのほか、日本の軍事裁判によって相当な方々が処刑されておる。この問題について、極東裁判と日本の軍事裁判とは一体どう見るべきかと。この問題について、厚生大臣のお考えをお聞きしておきます。
厚生大臣に御質問申し上げますが、これは厚生大臣ということよりも法務大臣に質問するのが妥当だと思いますけれども、厚生大臣の考え方をお聞きいたします。 終戦後、極東裁判がありまして数名の方がそれぞれ刑に付されましたが、そのほか、日本の軍事裁判によって相当な方々が処刑されておる。この問題について、極東裁判と日本の軍事裁判とは一体どう見るべきかと。この問題について、厚生大臣のお考えをお聞きしておきます。
それは読んで字のごとくでございまして、私は、そういう意味で尋ねておるわけじゃないんです。戦争責任においてどちらが罪が重いだろうか、どう判断すべきだろうかと。それはいろいろ感情があります。敗者を勝者がさばくということはいままでなかったじゃないかという反論もございますし、国民感情もいろいろあります。しかし、終戦後二十八年もたった今日、極東裁判で裁判を受けた人あるいは国内の問題で軍事裁判を受けた人と、これをいま静かに考えてみる場合に、極東裁判は外国の人がやったんだ、軍人裁判は日本の軍隊がやったんだと、それで片づけられるかどうかという問題なんです。字句の問題じゃなくて、精神的な問題をお尋ねしておるのであります。
わかりました。そういう大臣のお気持ちをくんで御質問を申し上げていきます。 そういうお考えからしますと、いろいろ刑法の中身がそれぞれ違っておりますが、たとえば、極東裁判によって極刑をされた方々の遺族に対しては慰謝料が、遺族扶助料が当然支払われておる。これは法律できめられておるから、ここで異論を申し上げるわけでも決してございません。しかし、日本の軍法会議で処刑された方々の中に二十八年たって今日まで遺族扶助料ももらっておられない方々がおられるわけなんです。これは、一体どういうふうにお考えになりますか。
わかりました。そういう意味で、恩給局長お見えになっておりますね、お尋ねいたします。 私が援護局にお願いしましていただきました資料がここにございますが、これも法律できまっておると思うのですが、軍法会議で刑がきまって大赦令で大赦になった、そういう方々も二年以下の人は恩給復活だと、それ以上は復活じゃないと思っておりますが、それはいかがですか。お尋ねいたします。
そうしますと、私がいただいたこの資料の中で終戦前のことは一切含んでおりません。終戦後軍法会議によって刑を受けた人、それぞれありますが、合計で二千三百二十三名おります。その中に大赦令に該当しない人が相当ございますが、これは別の問題としておきたいと思うのです。同じ軍法会議であっても、一般刑法を使用されてやられたとか、あるいは私たちが聞くにたえないような事件もございますから、そういう問題を一緒に私は質問しておるんじゃないんです。 それでたとえば、いま厚生大臣が言われました逃亡の罪、これ一つとってみましても、終戦になってから五百一人の人が処刑を受けております。そうして、二年以上の刑に服された人が四十名おる。さらに抗命の罪、これで九十名の
厚生省、わかりますか。
そうすると、これを調査するとすれば、援護局が調査するんですか。それで、一応急なことで調査できておらないかもしれませんから、わずか百八十四名です。そのうちおそらく大部分の方はそういう資格のない方だと思いますからわずかだと思いますが、調べればすぐわかると思いますから、一応調査していただきます。 そこで、昨年衆議院でこの種の問題が質問あったときに、こういうことが言われておる。昭和二十年八月十四日ポツダム宣言受諾と同時に日本の陸海軍は解消したものと認めなければならない。そのため陸海軍人を軍法会議で処罰したものは無効となるというような見解、それに似た見解を陸幕が出しておる、こういうことが言われております。これは、当時の竹下官房長官も認めて
軍隊が崩壊してしまってから、一部、一定の期間そういうことはやられたと思うんだけれども、それは、同時に軍隊が崩壊しておるから、その後にこれは消えるものだと、こういうふうに解釈されておるものと思いますが、それはいかがですか。
それはわかっておるのです。それはわかっているけれども、そういう過渡期の場合のその処置というものは一時的な処置であって、そして、新憲法下になったならば、これは当然消滅するものだと私は思っておるのです。それはなぜかならば、そういうどさくさのまぎれに正しい軍法会議が行なわれておるか、行なわれておらないかという問題が問題なんです。そのころ軍法会議の法務官だけが整然としておったという姿じゃなかったと思うのです。あとで事例も出しますがね。そういう法秩序、きまった法律どおりの裁定でなかったことも、その当時のどさくさではやむを得ないと私は思うのです。しかし、それはそのとき一時であって、新憲法下ではそれは一切認めることにはならないんだ、私はそう思うの
それも存じております。それも存じておりますが、今日の時点から考える場合に、大赦令によって罪を免除されたというそのものに私は今日は疑義を持っておる者です。当然軍隊がなくなった。それは、明治憲法のもとで軍隊が認められ、軍法会議が認められておった期間の問題は別として、大赦令で免除になったということでなくて、当然終戦直後はその罪はなくなったと、私はこう見るわけなんです、軍隊がなくなったから。でなければ、これから私が質問に入ります終戦当時の都の防衛の主力航空隊であった厚木航空隊の司令が、海軍大佐小園安名氏が、これが徹底抗戦を叫んでやった場合の軍法会議には、これは御承知のように、陸・海軍刑法によっては佐官以上には弁護士が二人ついておらねばならな
もちろん、このあと法務省に私は尋ねていきますよ。しかし、援護局を預かっておるあなた方の考えをいま聞いておるわけなんです。これは、法的に法務省に質問するようにちゃんと次の時間とってありますから。これは法的に私は皆さんに質問しておるわけじゃないのです。あなた方が、援護という名前でやっておられる限りにおいて、こういう事態があった場合はどういうふうにお考えになるかということを私は聞いておるわけなんです。
こういうような、人が人をさばく場合にはあくまでも厳然たる規定に従わなければならないはずです。そうしなかったらそれは無効なんです。それなら先ほど申し上げましたように、これもまた向こうでやりますけれども、弁護人が一人もつかずに、そしてどさくさできめられたやつが正しいとお思いになりますか。当然きまったように軍法会議なら軍法会議でも弁護人が二人つかなければならないはずです。それが弁護人がついていないんです、一人も。何の釈明の余地も与えられておらないんです。それで、先ほど厚生大臣も言われましたように、敵前逃亡であってもあの場合はやむを得ないんだ、だからこれは無罪にすべきであるということをおっしゃられておるわけです。この小園大佐の罪名というもの
局長のただいまの答弁と全く私も同感です。だからこういう質問をしたいんです。 当時、調べてみますと、台湾におきまして、航空隊は、内地が降伏しても台湾は徹底抗戦だということで八月の二十日まで夜間訓練までやっておるわけなんです。そういうのは一切罪がないわけです。そしてさらに、終戦放送後、第五艦隊は出撃しておるわけです。そういうのも何の罪も科せられておらない。それに、ただ抗戦だといってビラをまいた人を長にして六十九名の人がこの罪に問われたというのは、たまたまその直後、アメリカの駐留軍が厚木を駐留の基地にしたいといってきたので、アメリカに対する非常な遠慮からこの人たちが犠牲にされたというような気がして私ならないんです。だれ一人傷つけていな
そのお答えもわからぬではありません。たとえば、親心であったかもしれぬけれども、結果的に見れば一番親心じゃなかった。逆に、これを米軍に裁判してもらったら、この人たちは極東裁判でやられた方々と一緒に二十八年間遺族はちゃんと遺族扶助料もらっておったわけなんです。かりに親心であったとするならば、そのために二十八年間、遺族は泣いているんです。それを何とかしてこれを助けてやらねばならぬじゃないかというのが皆さんの気持ちの中にもあるはずなんです。法律がじゃまになってこれができないなら、法律を出さねばならぬと私は思うのです。そうして一時でもそういう悪夢は早く洗い流してやらねば、そのままもんもんの情を抱いて未亡人がなくなっていったら、だれが慰めるか。
そうすると、恩給局の方におわかりかどうか知りませんが、この小園大佐以下六十九名に対して、小園大佐は終生禁錮、それからその他の方は八年から四年の大体禁錮刑の判決を受けましたが、これはいつですか。正確な日時、わかっておったら知らせてください。
そうすると、大赦令が一番最初に出たのはいつですか。
わかりました。 そうすると、昭和二十年の十月十七日には大赦令が出ておる。その一日前に、終生禁錮刑をやられたんですか。しかも、大赦令の出たあとに十一月の八日に出ておる。また六十名の人は十二日。わずか五日前、何かここに政治的なにおいがしやしませんか。大赦令があした出るというのがきょうわからぬわけないでしょう。しかも、それは適用されないんでしょう。何か政治的な意味がありやしませんか。
私が質問しているのは党与抗命のほうです。
そうすると二十七年に小園大佐は仮出獄した、二十七年の大赦で仮出獄したと、こういうことになりますね。
私の調査では、二十七年に仮出獄をしております。そうして三十五年になくなっております。