そうです。
そうです。
世田谷区世田谷四丁目六百九十番地です。
五十歳です。
さようでございます。
さようでございます。
大正十一年に警視庁巡査を拜命しまして、昭和八年に巡査部長、昭和十四年に警部補、二十一年に警部、昨年の十二月第二係長、大体勤務場所は万世橋、世田ケ谷警察署、新場橋警察署、監察官附、それから捜査二課、大体は殆んど捜査二課でございます。
万世橋警察署で刑事係。
約一年余りやつたと思います。
はあ。
捜査二課ができまして昭和二年に参りまして、巡査部長になつた昭和八年まででございます。それから世田ケ谷署の刑事係の部長に参りまして、昭和十一年に又捜査二課に戻りまして、それから十四年に警部補になりまして、新場橋署の捜査主任になりました。同年に又監察官附になりまして、十五年の十二月に捜査二課に参りまして、それから引続き……。
はあ。
さようでございます。
さようなことは絶対にありません。大体捜査二課の取調というものは、新憲法以前から、取調を受ける人達が相当の地位もあり、名誉もあり、有識の人でありますから、そういう点についてはかねがねもう昔も今も変りがないように注意をしまして、そうして取調をしておるのであります。尚捜査二課の調べというものは決して強制をしたり、そういうようなことをしては、本当の調べはできないのであります。結局お互いの真心と真心が通うような、至誠天に通ずるような気持で取調をしなければ、決して相手が本当の供述をしないのであります。従つて強要したり、大声を上げるとか、そういうようなことは絶対にありません。
そう深更に及んだことはありません。ただ多少雑談をしたり、差入れの関係で若干遅くなつたと思いますけれども、深更に及ぶというようなことは絶対にありません。
そう何回もないと思います。
九時頃じやないかと思いますが、はつきりいたしませんが、それは留置場から出したり、入れたりするときに時間を付けてありますから、それをお調べになれば分かると思います。それから検事さんの調べも大分受けまして、検事局から帰るのを待つて、さようなことでまあ遅くなつたこともありますけれども、深更に及ぶというようなことは絶対にありません。
さようなことは絶対にないと思いますが、取調に対しては、私が大体各係を指揮をしまして、取調をみずからもし、又させたのでありますけれども、今申上げたように、我々の取調というものは、決してもう相手に或る一定の枠を嵌めるとか、或いは強制するとか、そういうような取調をしたのでは、本当の相手の真実の供述を得ることはできないのであります。従つて本当に虚心坦懐にお互いの血と血が通うような気持になつて、そうして話をし合うのでありまして、当時佐藤さんもこだわりのない、本当に明るい気持で供述をし話をし合つたのでありまして、恐らくそんなことはなかつたのであります。さようなことを申上げるとするならば、佐藤さんが出てから何かそこに心境の変化があつたのじやないか
さようであります。それはもう佐藤さんもなかなかしつかりした方であつて、我々が仮に何かそんな強要がましいことをしたとしても、そんなことに怖れるような、そんな人格じやないと私は信じております。我々も佐藤さんはなかなかしつかりした方である、我々の気持も分り、我々も佐藤さんの気持がよく分つて、そうして本当に事実の真相を明らかにする、こういうお互いに理解し合つて、本当に明るい気持で取調べたのであります。従つて佐藤さんに対して強要がましいようなお取調をしたことは、絶対にありません。
それは今言つたように、佐藤さんも虚心坦懐な明るい気持で話をされたのでありますし、私はもう盡くこれは真実間違いないと確信しておつたのであります。尚私達はこの搜査に当つては綿密な搜査をしまして、例えば経理関係におきましても、銀行等の経理関係はもう一万円以上の出入りは盡く取調をする、こういうふうな綿密な搜査をしたのでありますが、それに適合するように話が出て来るので、いろいろの裏付があるので、佐藤さんの話は、もう絶対間違いないと確信しておつたのであります。
それは詐欺事犯の取調は大体本人の性行、来歴、生計状態、経理関係、経理関係におきましても、そういう従来古い関係から取調をして、綿密な搜査をして行かなければあとでこれは取調を受ける者の考えの含みのあるものは、あとでいろいろな切札を持つて来る場合がありますから、財産がないと言つておりながら大いにある。或るいはこういう事実があるにも拘わらず、それを伏せて置いて、公判廷に行つてから出して来る。そういうふうな虞れもあるのであつて、この搜査については、そういうような詐欺事犯の搜査につきましては、そういう虞れもあるので綿密な経理関係の搜査した関係から、佐藤さんがあのような事実を申述べるようになつて来た……。