高
高山秀夫
1949-12-23
参議院・在外同胞引揚問題に関する特別委員会
六月に辞められたという事実は全然ありません。それはデマであります。
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六月に辞められたという事実は全然ありません。それはデマであります。
それは自分は記憶にありません。
はつきりした記憶はありませんが、大場三平はペンネームでありまして……。
これは淺原正基のペンネームだと思います。
淺原と自分とは友人であります。
淺原と諸戸は同一人であります。淺原正基が本名でありまして、諸戸文夫はペンネームであります。
証言します。但し淺原正基ですね。淺原正一ではありません。
淺原正基と諸戸文夫はこれは同一人であります。諸戸文夫の方はペンネームであります。
大場三平も淺原のペンネームであります。
日本新聞は赤軍が日本軍捕虜に與える新聞でありまして、工場も別にありましたし、何名に一部というような発送の問題等については我々は全然知りません。
外蒙の代表は参加しておりません。
しておりません。
紅露さんの方から各地区においての名前を思い出せというのでありますが、各地区の名前を今記憶を辿つているのでありますが、まだ思い出せません。
自分が日本新聞の責任者ということでは全然ありません。私は日本新聞の内部にある宣伝部の日本人側の責任者である。
新聞はコバレンコ社長の指導の下に出されておりますし、部数等については我々はこれは全然関係ありません。私はただ外部に対して、各文書において、ポツダム宣言に基いて日本の民主化と非軍国化、こういう宣伝と、そうして文書課の職務として民主化するという問題を指導しておつたわけであります。
自分は数の問題において、三十数万というふうに書かれておりますが、ソヴイエトにおいて自分が現実を見て参りまして、而も自分達は最後の引揚者でありましたし、この数においては非常に違いますので、これは私は支持いたしません。現実に基いてこれは矛盾しておると思います。