九万五千は五月二十日のタス通信によるソヴイエトの発表であります。これに基いて我々は九万五千という数字を認めておるわけであります。
九万五千は五月二十日のタス通信によるソヴイエトの発表であります。これに基いて我々は九万五千という数字を認めておるわけであります。
それについてお答えいたします。大体各分所において、スターリン大元帥への感謝文署名運動の準備会というものが、大衆集会において各分所に置かれまして、それから全地区においては、各分所の代表地区に集まりまして、その中から全地区の準備委員会というものを選んでおります。このようにして下から下からずつと民主的に選んで、各地区から結局特にハバロフスク地方、それから沿海州地方以外はチタ、或いはイルクーツク、中央アジア方面からは、汽車の便や又人員の点で、又いつ移動するか分らないので、これに参加することはできなくて、結局文書によつてこれをハバロフスク地方に一任する、そういう文書を得まして、そしてこれを我々は九月七日の……。
あります。それは十六地区においても、各地区においてもやりましたが、又自分の地区においても、これに参加した者は何名、拒否者が何名、総員何名というように出して来ましたし、各地区においてもこれはやつて来ました。参加した所は……。
それははつきり記憶にありません。ハバロフスク地方においては、これは明瞭に出て来ております。
他の地区においては、そう理解してよろしいです。
ハバロフスクとそれから沿海州は大体今申上げた方式によつてやつております。他の地区においては、大体署名書を送つて来た奴に基いて、これを送つたわけでありまして、その数ははつきりしたことを掴んでおりません。
これは今直ぐ分つておりません。これは後から文書で送りますが、大体数の問題について、若干私は自分の見解を申上げたいと思います。(「見解は要らない。証言だ。」と呼ぶ者あり)
そういう我々は自由を與えられております。
中央アジアの方は距離からいたしましても、又ハバロフスクへ来るといたしましても、一週間或いは五日というように長い日にちが掛かりますし、これは又捕虜だけで勝手に歩くわけに行きませんし、ソヴイエト側の将校が附いて行かなければならないというような状態で、向うの方からはこれに参加することはできなかつたわけであります。
それは各地区から代表が来る場合は、必ずソヴイエト側の将校の方が、我々を保護するために附いて来てくれております。
保護するためです。
例えば、捕虜でありますから、他の者から見ると、証明書なく他へ連れて行かれるとか、或いは危害を加えられるということのないように、保護し、保護するために我々を送つてくれておつたわけです。
何でありますか。
まあ我々も捕虜ですから、あなたのおつしやる通り正式に言えばそうだと思いますが、我々はまあ保護されておつたというように考えておつたわけです。
主としてハバロフスク地方、その参加地区は、第十六地区、それから第五地区、コムソモリスク、第四地区、イズヴエスト地区、第十九地区、ライチハ、それから沿海州の管轄の内務省、それから労働大隊、それから最終集結のナホトカ、それから樺太のオハ、これらの地区が主として参加しております。その外中央アジアの方からも、只今申上げましたように、各地区から署名した文書が郵送されて来ております。これを我々の方でまとめて、モスクワに贈呈したわけであります。
それについてはもう、ちよつと記憶にありません。この問題については、日本新聞の相川さんがよく知つておるのでありますから、この御質問に答えて頂きたいと思います。
中央アジアから、それからモスクワ地区から我々に送つて参りました。地区名を今思い出せないので、記憶を辿つて、文書で又これを申上げたいと、このように考えております。
日本新聞の発行、これは大体工場が別のところにありますので、はつきりした数字を我々掴んでおりません。これは日本人側には誰も分らないと思います。
自分は部数は分りません。
自分は十月の二十一日にハバロフスクを発つたんでありますが、コバレンコさんは依然として日本新聞社の、自分の出発した当時は社長であります。休暇のためにちよつと休まれたが、新聞社の社長は依然としてコバレンコ中佐であります。