そういう点につきましては、私も常識外というか、それ以外に特別申上げるという自信もありませんが、とにかくその辺を御判断をして頂かなければならないかと思います。それから先ほどの第一回の、二十五年十二月の、先生のおつしやつておられる陣中見舞ということは、これは社会通念から判断して頂いて、その点は私としてはまあ持つて行つて上げたということだけにして頂きたいと思います。
そういう点につきましては、私も常識外というか、それ以外に特別申上げるという自信もありませんが、とにかくその辺を御判断をして頂かなければならないかと思います。それから先ほどの第一回の、二十五年十二月の、先生のおつしやつておられる陣中見舞ということは、これは社会通念から判断して頂いて、その点は私としてはまあ持つて行つて上げたということだけにして頂きたいと思います。
そういう御質問でありますので申上げますが、大体まあお弁当のほかに、行きつけの料理屋、食堂へ行つて、それは一杯や二杯飲んだということは、ないというのが間違いであつて、あるほうが当然なんです。それから今のように幾ら贈つたというのは、私も実はさつき申しましたようなメモが出て来たから、ここへ来て行つているのじやないか。一体その金はどこへ行つたのだ、行きどころを……。私はまあ隔離されておりますから隠すわけにも行かんし、じやその通り、裏付けするようにして下さい……、大体そういう意味で言つたのを向うが確認した。それから私自体から差上げたということもあり、特にこれは二十万円前後において早く持つて行つてくれというような慫慂を受けたこともありますので、
その総額の金額は全部をひつくるめて、三十万円を含めたものが百万に満たないということなんです。 それからもう一つは、そのどこどこというお話ですが、私の記憶のあるところでは、大体国会のとき、第七かそこら、一回五万円を持つて来て、先生がもらいたいというお話でお渡しした記憶がございます。その以外はまあ会社に来られたときにちびちび渡したように、先ず大体そういう記憶です。
その点につきましては、大橋先生が私の所の顧問弁護士ということか、さもなければ大橋先生個人として私に接していたかということの見解なんです。それで当時はまあ私もはつきり、先ほど申しましたように、それは大橋先生には恩義はありますが、正しいことは正しいことにして頂かないと、後ほど私たちも困ります。先生自体も困ると思います。だから私ははつきりしたことを申上げますけれども、それは当時は先生が弁護士として私どもの顧問弁護士として来られたという立場でしたら、それは即会社としての立場で差上げたと、こう申上げたのです。
私は当時代表権を持つておりましたから、当然私がお雇いした、僭越ですが、お雇いしたと言い切れます。それから又、当時推薦して来てくれた人は役所の人ですから、石破二朗さんかまあそういう話、それから鎌田庄太郎さんというような人が、そういう人の口ききで私の会社へ推薦して来た。それで私がそれを採用した、こういうことなんです。
それは私の金もあり、又会社の金もあるわけです。当然会社でまあお渡しするときは、会計に私が言いつけまして、それから会計が出しますから、会社から出ております。
当時入るときに、石破さんやそれから鎌田さんのお話とそれから先生のお話と総合なさると、とにかく、私のほうも、じや、そういうお話だつたらお入りになつて頂きたい。それから実は選挙に出るのだというお話もございましたのですが、当時とすれば、まあそれも当時はやめたかたが選挙に出られて、立候補されるというのも私たち事業屋から見れば、これも常識なんです。それではというわけで、この三十万円を貸してくれとおつしやられたときは、まだ入つてないときで実は一面識というか、ただ單にお雇いしたというだけであつたから、如何に金の価値のないときでありましても、三十万円はちよつと多い、出しかねると思つた。併しながら、そういつた経緯もあり、まあ将来そのほうで働いて頂ける
その点は一度俸給をきめたら、きめまして雇つた以上は、俸給を払わないということは、これはちよつと妙なもので、例えば、技術屋さんならテストをして見て、それで価値をきめるということもできますが、如何せん、弁護士さんというのは、要るときは要るけれども、要らないときは本当に要らない。働いてもらうときが来て、初めてその対価が発揮されるのだ。ですから私とすれば、当然お雇いした以上は、毎月の顧問料を差上げる、人道的に考えても一番正しいと思つたからお出ししたわけであります。
それは無論人間的というか、大橋さんを尊敬しておるから、その場合委嘱したのでありまして、その点は選挙ということも一つあリますが、お雇いした以上は、俸給を払うのがこれは鉄則だということなのです。
その点につきましては、多分二十三年の暮だと思いますが、行かれたときに、先生まあ行つて来るから頼むというお話だつたものですから、では先生私も選挙資金というか、運動資金を差上げなくてはいけませんねといつたらば、まあ一つ頼むと、まあこういうお話だつた。それで私もそれじや選挙資金、運動費用という……。そのとき選挙に行つた以上は、当然金を持つて行けば、もうこれは何に使おうと、選挙費用に使われても……、先生がたもよく御存じのはずだと思う。そういう点でありますから、もつと特に違つた……、郵送したのではなく、持つて行つた以上は、これは陣中見舞のつもりでなのです。陣中見舞というのは、誰がお考えになつてもおわかりのことだし、私自体もそういう選挙にお使い
私は当時東京を出るとき丁度二十五万円持つて行つたのです。ですからそれが二十万円お渡して、あと旅費それから宿屋の費用だとかそうい生ものも加えまして、そのときは差上げたというような記憶だけではつきりしておりません。
それは人間には人情というものがあります。ですから私も何もこんなに大きくなつたり、天下周知の事実になつて来ることは、もう当時そんなに思つておりませんし、又私は党派を別にして速かに御損をかけた国家の費用が国に入ることを念願としておつた。ですから人情としてそう申上げたのでありまして、別に喧嘩とかなんとかいうことではございません。
それは私も前述の供述と同じように記憶はございません。ただそれの前のときに先生が島根に出られたときに、相原さんというかたと不破さんというかたから、電話で先生のところへ早く持つて行つてくれという電報があつたことは記憶しておりますが、その電報と、もう一つの電報は社会党のかたで梶川さんというかたが鳥取から援助して欲しいということを言つて来られたことは、記憶はあります。
それは一年三十六万円と計算いたしまして、当時先生からの要求額が三十万円でありました。ですから私は当時六月か八月、ちよつと年月は記憶いたしておりませんが、それから大体十カ月というふうに考えまして、それからその後私のほうでそういうようなお話があつたときに会社の帳簿に付けて、多分十カ月くらいの間を付けて差上げたと記憶しております。
それはこの過払いの前後でございます。とにかく古いことですから余り記憶ははつきりしておりませんが、とにかく前後に亘つて、そういうふうな……、多分あの年の三月頃を以て大橋先生は田中からの話で、やめてもらおうじやないかというような話が出まして、それで例の四月頃からか私の自動車を持つて行つてからは、顧問料ということじやないけれども、まあお会いして少し貸してくれんかと、先生にそう言われたこともあるし、いたしますのですが、大体その過払いの前後に先生に一応御遠慮して頂きましよう。会社が立つて行かなくなつた。当時その田中がそういうふうな金を隠匿しているとは私は夢にも思つておりませんでしたから、当時そういうふうなことで、一応御遠慮願いたい、それと同時
そうであります。それと先生が選挙に行かれる前です。
そうであります。
それは先ほど申上げましたように、こんなに大きくなつて騒がれるとは思つておりませんし、私も早くこの委員会を終つて国へ帰りたいと思つておつたし、和解のできておるものを刑事問題まで惹き起したということでは、それはおのおのお互いに隠し合つておるのだから、国民の皆様には申訳ないと思うから、それはあるだけ皆はつきり申上げてそうしてさつぱりしたいという気持であり、又速かに解決を願いたいという考えからこう申上げます。
前のほうの記憶と申しましても、当時私も今は全部全貌的に検察庁のほうから聞き、相手方が何をやつておつたか、実例をまざまざ眼の前に見せつけられておりますから判断ができます。当時は大体漠然と暗闇から牛が引つ張られたように聞かれたので、まるでもう家へ帰つたら卒倒したというようなことで、或いは陳述の間違いもあつたかも知れませんが、現在では相当しつかりお答えできると思います。
それは事実です。