もらいに行つたというより、当時その目録を出しまして自動車その他は私の手許にあつたのであります。そうして車券だけ田中平吉が持つておつた。それは社内内部できめたことを、当時金がないというので社内内部で私が出しましようということで出したやつで、特調にもらいに行つたのは私でなく、そういうことを運用したいということについては私と大橋先生と二人で行つたように記憶しております。
もらいに行つたというより、当時その目録を出しまして自動車その他は私の手許にあつたのであります。そうして車券だけ田中平吉が持つておつた。それは社内内部できめたことを、当時金がないというので社内内部で私が出しましようということで出したやつで、特調にもらいに行つたのは私でなく、そういうことを運用したいということについては私と大橋先生と二人で行つたように記憶しております。
それはそのほうは詳しい事情はわからないのでありますが、大橋先生がついて行かれて、多分三浦監事や川田部長に話をされたのは先生が口火を切られたというふうに記憶しております。
それは当時その金を、なかなか特調のほう金にして持つて来てくれというような話がありましたものですから、それでその自動車を自分のほうで売つて持つて行くということで、多分私の発議であつたのであります。途中から大橋先生がそれを廻そうじやないかというふうな話が出たように記憶しております。
その預金通帳の出し入れにつきましては先ほど申しました通りですが、この預金通帳は初めて私がその去年の三月に見たわけであります。それがいつこしらえられたやら、いつどこにあつたやら私はその判のことも全然知りませんでした。
それは大橋先生が自分の使つておる山下という者をして売らせるから、自分が責任持つて山下に売らせるからということで山下に渡しまして、その自動車が何でも売れたについて君の名前で預金通帳を作るから、三和銀行の日比谷支店へ行つてその話をしに行こうというので、私と大橋先生と山下茂氏と三人で行きまして山下茂氏が金を持つて来るからということだつたのでそのきは預金通帳は作らないというふうに私は記憶しております。
当時随分その点があいまいなんで、私も非常に憤慨しておるのは結局四十五万円に売れたと言つてみたり、或いは三十三万に売れたとか或いは百六十万に売れたとか、現金というそういう点は私は幾ら入つて幾ら出されたものやら私は全然門外漢にされておりましてそれはわかりません。
そのときは全然金も何も持つて行かなかつた。後ほど山下が持つて来て入れるからということでそのときはそういう口座を作つてくれという依頼に行つただけであります。
あとで経過を見ますと、そのときはすでに売れておつたことがあとでわかつたのであります。
その点につきましては、特調のほうでもどうも自分の不利になると言わないらしいのでありますが、その金の使い途については私にもその一切の話をして使うという約束だつたのです。それで出し入れについても一応私の了承を得て出すということになつておつたのです。ところがそれが一向守られておらないで、私がつんぼ棧敷のように上に上げられただけで、勝手にぼんぼんやつてしまつたようです。
そういう約束がありました。
この通帳は三和銀行の有光さんが印鑑と同時に保管しておつたのであります。ずつと保管しておつたらしいです。
はい。
その点については、私は再三再四勝手なまねをするといつて文句は言つておりました。それで、ですが一向に今山下が使つておる、山下が使つておるということだけしか聞いておりませんでしたから、別に勝手に出し入れしていいとか何とかいうことを私は聞いておりませんし、又承諾もしておりません。
それは川田次長と、それから三浦監事と、私と大橋さんの間で、大橋先生がそれを廻せば月一割乃至二割になる。それで高橋の生活資金を出してやれ、それで且つ田中がなかなか納めないで、高橋一人納めるのは不公平だから、田中が納めるに準じて百万円という、当時自動車が百万円の評価で特調に上つておりましたが、百万円を運用しながら高橋の生活資金を見てやるということは大体了承を得ました。それでそれについての全責任は大橋先生が負うということになり、そうしてそれについて、私にも使うことについては、一々君にも相談するからということであり、私も又そういう約束であつたものですから、それじや頼む、そのままそういうふうにやつて行くということは、その四人の中の了承でできて
最初今のお尋ねの中にあります田中は、当時自動車の車券を大橋先生に渡すときに、この百万以上に売れたらその余つた金は直ちに高橋に渡して下さいということを、田中が当時大橋先生に頼んだのです。でその運用の件に関しましてはこれは当時田中が入つておりませんでした。
百万円以上に売れたらその残余は高橋に直ぐやつて下さい、渡してくれと言われておつた。
田中に、大橋先生は。で私も無論当然その百万円の利息については認めておつたのです。ところがその百万円以上の金額については一向に、それも一緒につつくるんじやつてしまつて全然知らしてくれなかつた。
その百万円は先ほど申しましたように、田中が納めると同時に逐次にその百万円の金を田中が、当時田中は殆んど納めていなかつたのです。会社を持ち、会社の中にありながらも会社でも殆んど金を納めてなかつたのです。その比率から言いますれば、その百万円を田中が納めた比率に準じて逐次に納めておる。それでその間、納める間に使つてこれを利殖を図るというわけだつたと思うのです。ですからその百万円を、年限は田中が納めるに準じて逐次並行的に納めて行くということだつたのです。
もう一回申上げます。それは、百万円は当時田中が納めます金額に……金額が田中もやつぱり個人保証を得まして納めて行く、それでその特調が取立てにがかつたのは私の分だけ最初取立てにがかつたわけなんです。それを大橋先生は高橋が全部投げ出したことによつて困るからという話と、その金を利殖して高橋が困るために、高橋のために利殖を図つて生活資金を出すという話だつたのです。その点はだんだんとこう長くなるたびに、だんだんこじれて行つて、しまいには私はそんなことは知らなかつたということも特調の中で言い出す人も出て来た、当時はそうでなかつたのでありますが。でとにかく百万円の利殖を図る、責任を持つて自分が利殖を図るということだつたことは確かなんです、大橋先生が
それは百万円についての利息は、私も当然それは知つております。ところがその売れた金全額持つて行つて使われたということ、そうして全然見てやるといつておいて、たとえどなたに使わせようがそれは私の知つたことじやなく、大橋先生がどなたに使わせようということは私の知つたことじやないのですが、きめた約束の生活資金もきちんと出す、それから銀行の出し入れもきちんと一応人間であるならば、私も人間でありますから、やつぱりきちんと教えて、今こういうふうになつているのだ、それで特調から一体あれはどうなつておりますかと聞かれた場合に、いつも大橋先生だけが知つておることだ、それは見ようじやないかということも再三言われたことなんかありますので、そういう点をはつきり