はい。
はい。
ただいま取締役で、本社の総務部長をいたしております。
創立当初から関係いたしております。
創立時の二十一年の三月から創立事務を担当いたしまして、創立と同時に取締役に就任いたしました。
いや、その当時は本社事務所——まだ部制がございませんで、たしか今年の初めから総務部というものを設けまして、総務部を兼務いたしておりました。
S・S・Kの創立の端緒は、占領軍最高司令部の佐世保工廠再開の指令がもとでございます。それに基きまして、運輸省から佐世保工厰再開の際に、これをどこのだれに運営させるかを……。
証人はS・S・Kの創立と同時に取締役に就任いたしました。現在東京本社の総務部長を担任しております。 その次の会社の創立の経緯と北村徳太郎氏との関係について申します。最高司令部の佐世保工廠再開の指令が、日本政府あてに二十一年二月十六日附と、同月十八日附で出ました。そのときの指令事業は艦艇の解体、それから艦船の引上げ、占領軍艦船の修理、こういうものが主要事業となつております。二月十八日の指令は、この佐世保工廠の運営は純民間会社をもつてやるべしという指令であります。それで二月に運輸省の慫慂に基きまして、造船連合会がこの新会社を担当する候補者を選択いたしました結果、占部造船株式会社、三井造船株式会社、この二社が主株となつて新会社を組織し
株式を土地の有力者に加わつて出資してくださいましたことが一つで、ほかに別段立入つた積極的なことはなさいませんでした。
さようでございます。
この事業経営に必要な大体の範囲を見立てまして、土地、建物、構築物、機械の目録をつくりまして、これを大藏省國有財産局長に一時使用許可の願出をいたしまして、二十一年の三月三十日付をもちまして、國有財産部長から使用許可の内定の通知がございました。実際の決定的な使用許可は熊本財務局が追つて出すはずということでございました。それで追つて熊本財務局から正式の許可がございまして、使用範囲はその後漸次拡充いたしまして、最初は土地の廣さ七万五千坪程度でありましたが、その後使用範囲の拡張願をいたしまして、現在十万坪外内の土地を使用いたしております。
創立当時から取締役でございます。
取締役会に御出席になつたのは取締役として五、六回ぐらいです。
昭和二十一年から昨年の九月ごろまでであります。
就任される前であります。昨年の七月に社長に就任されましたが、その社長就任の前が五、六回ぐらい、いわゆる平取締の資格で御出席だつたように記憶しております。
会議は東京でやります場合と佐世保でやります場合とがあつて、東京でやる場合はたいてい出ております。
ほかの方と同じ程度にちよいちよいとさしはさんでいらつしやいます。ほかにも同様の取締役はたくさんおります。それで、皆で話合つたわけでございまするが、大体において中座されたり、あとから來られたりするので、会議の初めから終りまでおられたことはあまりありません。
つまり会議の協議事項が一つずつありますと、おられるときには、それについては説明者の説明もほかの重役と一緒に聽く。そうしてほかの重役並の意見をお吐きになつたということはございます。
これは前の社長の辞職以後、約一箇月間社長が欠員でございました。後任者がなかなか見つかりませんので、役員の中から北村さんにお願いしようじやないかという動議がございまして、社長の選考委員を組織しまして、北村さんをその委員が推薦いたしました結果、自分は忙しいけれども名前だけならよかろう、こういう御承認があつたわけであります。
今やめておりますが、当時監査役をやつておつた水谷長太郎と申します。
名誉社長と申しますか、名義社長と申しますか、世間一般に申します取締役会長というごく軽いのがございますが、会長でもない、社長なのでございますが、ごく軽い意味の名前だけ出してもらつて、ほかに代表重役がおりまして、実務はその方でやつていくということになつておりました。