もちろんです。
もちろんです。
大学の学長などの方々が、教育の民主主義を守るべきことを述べられております。この点につきましては、私も賛成であります。本法案は、教育の民主主義をそこなうものとは私は考えていないのです。あなた方の御質問の中心は、いつでも教育委員の任命制と公選制とについて御質問がございまして、任命制がこの民主主義を破ったというようなお考えが論拠となって攻撃的質問があるのでありますけれども、私どもは教育委員の選任方法として、公選制でなければ民主主義に反するというものではなく、住民の代表である長が住民の代表である議会の同意を得て任命することも、民主主義をそこなうものではないと考えておるのでありまして、これはやはり政府の精神が徹底しないために、民主主義の破壊が
心の底を申し上げます。教育によって戦争の好きな国民を作るというようなことを絶対に考えておりません。
ほんとうのことを言っているのです。実際その心から戦争国民を作るような気持は毛頭ありませんし、私は教育の理想とするところは、ほんとうの民主主義国家の国民として、適格なる国民を作りたいと思っておるのであります。民主主義というのは、とにかく人間の人格の尊厳を尊重するとか、人間の自由を尊重するとかいうことは基本なのでありますから、そういうようなことを、そういう教育をやりたいというので、命令服従の教育を作りたいというような考えは毛頭ないのです。
完全無欠ということは、これはなかなかむずかしいことでしょうが、とにかく民主主義国民を作るのに、一歩進んだ法案だと思っております。
これは国民全体と相談をしてきめるということは事実上不可能ですから、国会でもってきめてもらうより仕方がないと思っております。
私は国民の意向は無視できないと思います。やはり国民に意見があれば、それらを慎重に考慮に加えて決定すべきものと思います。
国会の多数でもってきめていくより仕方はないでしょう、結論は……。
私はこの法案は民主主義を発展させるのに必要なものだと思っておるのであります。通したいと思っております。
秋山君の言われる通りに、私は個人の人格の尊厳を尊重するような諸制度が作られていくことは必要だと思います。
ああいう戦争を始めたとか、ああいう戦争を再びしないとかいうようなことに対して反省すべきことは当然だと思います。
私は民主主義というものがどういうものだということを、子供のうちから理解させていく必要があると考えております。
民主政治というものは、どういう理由で起きたか、歴史的にどういうように発達してきたか、民主主義の先進国ではどういうような慣例が存在しているかというようなことを、子供の時分から、中学の時分から頭の中に入れていく必要があると思っております。
戦前におきましては民主主義ではなく、主権が国民にあったわけではないのでありまして、君主政治であった。そうして一身を犠牲にする、こういうことに主点を置いて教育をしてきた。これからは自分自身というものは尊いものだということを教えていく必要があろうと思います。そこが違うと思います。
あなたのおっしゃる通りの考え方をしております。
自分の人格の尊厳を考えるということが、民主主義の要諦であるというか、根拠ではありますが、この自分の人格の尊厳を尊重するというのは、同時に他人の人格の尊厳を尊重するということも含まれているのであります。これを誤解しまして、自分の人格の尊厳を尊重する民主主義になると、自分が主権者になったというので、自分のためならば何事をしてもいいというような考え方が生じるということは、あまり国家としては喜ばしくないのであって、ほんとうの民主主義というものは、お互いに人格を尊重し合うということが必要で、自分のことのみならず、他人のことも考えるということが必要だ、そこにやはり一応の考えを持たなくちゃならないというのが根底だと私は思うのです。そういう意味で国
秋山君の言われる中央集権とか、教育の国家統制とか、あるいは官僚の統制ということは私は望んでおりません。今度の法律もそういうことを目的とはしておらないのであります。
閣議で決定いたしますときには目を通さざるを得ません。
この法律案は中央政府が権力統制をしようとするものと考えて出したものではないのですが、どういう点がそういうことになるのでしょうか。
中央政府が権力の統制をしようという考え方で、そういう規定を設けたのではございません。