それは、多数をとっている方が政権をとるわけであります。多数をとらなければ、政策の実行はできません。しかし、それが三年か四年も続けば、政策の変化もくるだろうし、政府の失敗もあるでしょうから、そこで政局が自然に変転していくわけであります。
それは、多数をとっている方が政権をとるわけであります。多数をとらなければ、政策の実行はできません。しかし、それが三年か四年も続けば、政策の変化もくるだろうし、政府の失敗もあるでしょうから、そこで政局が自然に変転していくわけであります。
これは、社会党がどういう政策をとるから保守党としては困るという考え方をするでしょうけれども、多数少数は保守党の考え通りにきまるというわけでもありませんから、選挙のたびごとに国民がこれを決定してくれます。
演説は認めます。その通りに話しました。
そういう考えは持っておりません。
保守政党と社会党は、今日のところずいぶん政策の差が大きいです。けれども、私はこれは長く続きはしないと思うのです。互いに了解をすれば、同じ日本人が、根本的にそんなに違う考えを持つというのは、よほどおかしいのです。私は大体において近寄ってくるのが将来の趨勢だと思います。
私は、小選挙区制が通りましても、二大政党が崩れるとは思いません。二大政党は、小選挙区制の通過によって、将来にわたって育成されるものと思っております。
私はそんなことは考えたことがありません。小選挙区制によって保守勢力が独裁的な勢力を得るというようなことは考えたことはありません。選挙をしてからの話にいたしましょう。そんなことは私はあなたの方の全く杞憂だと思います。
区制の変更について国民の総意を問いただすという例はほとんどないと思います。
つまり、小選挙区制にするがいいか、大選挙区制にするがいいかというようなことを国民に問うた例は、私は少いだろうと思う。それに従うという考えは今持っておりません。
大正九年の先例はあなたのお話によっても違うでしょう。先例にはならないでしょう。
私は、小選挙区あるいは中選挙区にするということについて、国民の総意を問う必要はないと思っております。
私は、たびたび解散するということはいいことだと思うのですよ。とにかく、国民の意思を問うということは、国民に主権があるといいながら、国民の主権を実行する機会というものは選挙のとき以外にはないわけなんですから、選挙をたびたびするということは、民主政治にはふさわしいやり方だと思うのですよ。だけれども、選挙にはやはり弊害がついていまして、あまりにむやみにやることは、理論的によくても、できないのです。それですから、外国の例を見ましても、四年に一ぺんくらいが適当な機会になっていると私は思うのです。日本などは、比例でいきますと、むしろ選挙が割合に多いのです。
代議士すべてがどうということは言えませんけれども、多くの保守党の候補者で、あの選挙のときに保守合同を政策の一つとして訴えた人はずいぶんいます。ここにいらっしゃる方のうちでも、保守合同を唱えて当選された方はだいぶあると思います。
私はあなたのような心配はまだしたことはないのです。
理論的に考えれば、党員は党議に服するのが義務と思いますので、党できめた公認は、私は大体においてそれを承認してくれるものと思っております。
私はその心配はないとただいまも答えました。
私は先のことはよくわかりません。
小選挙区で選挙をして保守党が負けたから、負けたことを理由にして選挙法を改正するというような考え方は私持っておりません。
そういう考えを持っておりません。
そういうことを考えておりません。