ちょっと聴きとれませんでしたが……。
ちょっと聴きとれませんでしたが……。
戦争は絶対に避けたいけれども、侵略されてきた場合においてこれを避けるという方法がありませんので、それで自衛のための範囲において武器を持つということは、兵隊を打つということはやむを得ないことだと思っております。
憲法調査会が設定せられることを予想いたしまして予算を請求しております。
八木君の言われる通りに、国会に憲法調査会を置きたいということを私は言いました。言いましたけれども、だんだんと考えてみまして、外部から学識経験者を多数入れる場合においては、内閣に委員会を設ける方が例が多うございまして、その方が便宜だと考えまして、前に国会に置くという私の意見を変更して内閣に置くことにしたわけであります。
外部から、外界から学識経験者を多数入れる場合においては内閣に置いた方が先例が多いものですから、深い意味なくそういう道をとりました。決してこれによって国会の決議権というものは少しも減るものではありません。国会の決議権というものはじゅうりんせられる例というものはあり得ないものですから、この内閣に作っても一向差しつかえない、私はそう信じております。
国会の決議権というものには少しも影響のないことですから、あなたの、やり方というものも違憲だということは言えないと思います。けれども、便不便の点から考えてみますれば、内閣において委員会をこしらえて、直接に代議士諸君の中に入って、一緒に討議をする方が便宜だと考える次第であります。
憲法調査会において調査し得る範囲内におきまして、改正する必要があるかいなか、その点を初めとして、全般にわたって審議をしてもらうわけでありますけれども、われわれの考え方はどこにあるかと言えば、自然と限界があるものと、それは現在の憲法はとにかく日本が戦争に突入にいたしまして、えらい経験を得たのでありますから、その戦争に突入して得たところの経験はやはり生かしていくことが必要だ、それは主権在民の方が日本の将来のために危険が少い、そういう経験を今度の戦争によって得たのでありますから、この主権在民ということは憲法改正のときには触れないでおきたいというわれわれは意向を持っておるのであります。なお、しいて言えば、基本人権などについても幾分か書き方ぐ
お説の通りに厳正に審査をしてゆかなくてはならないものだと思っております。
明治憲法が生きておりました当時においては、明治憲法を最上の憲法だと私は思っておりました。それに率いて演説をしたも のであります。
戦争に敗れ まして、現在の憲法ができたときには自然と私の意見も変りました。
憲法が改正されるとき、現在の憲法ができますときには、まだ明治憲法になれておるわれわれは、とても主権在民ということが、何といいますか、円滑に日本に行われるものではないと思っていました。それがやはり戦争に負けて国民の感情も激変いたしまして、それで憲法の改正後すでに五年もたって、その間主権在民の政治というものが円滑に行われる経験を日本は得たのでありますから、私の考え方も自然と変るのもやむを得ないと思います。
とにかくすべての政治のおもなることが国民の多数の意思できまるということになれば間違いも少いいうのが一番大きな理由だろうと思います。
主権在君時代にはいろいろの制度がこれに付加して、そうして君主を助けてきたわけであります。従って枢密院であるとかもいろいろなその他の制度がありまして、すべての制度が日本をやはりこういうふうにしたという責任があるわけでありますから、それらの制度をみんなやめて、新しい時代になったのでありますから、今度の憲法による筋を大体の筋としていくというのが国民としては当然であろうと私は考えております。
主権は国家にあるという議論もむろんあります。ありますが、国家というのはなんでしょう。(笑声)国家というのはやはり国民が主じゃないでしょうか。土地と国民――そうすれば国家にあるというのも、主権が国民全体にあるというのと大しての変りじゃないと私は思います。
共和政治というのには特別の意義がついておりますものですから、私はそれは近ごろそういう言葉は使わないのですけれども、すべての国民が主権者であるということは、民主政治においては、これは通用の論でありまするから、アメリカでも、イギリスでも、どこの国でも、すべて主権は在民だ。少しも疑っておりませんから一向差支えないと思います。
日本の憲法の君主の象徴という制度はほとんどイギリスに似ておると私は考えています。
それは国会できめるのじゃないでしょうか。発表とか何とかは国会できめるべき問題だと思いますが……。
よく考えます。
二大政党の運営は、やはり責任をとるということが第一だろうと思います。自由民主党あるいは社会党は各党ともに責任をとる。その次には、お互いに寛容の精神でもってつき合う、そうして、ちょっと申しましたように、だんだんと話し合えば、誤解がなくなれば、政策というものは自然と近似してくるものと思うのであります。誤解があれば政策が飛び離れて違うように見えますけれども、よく相談をしてみれば政策というものはだんだん近似してくる。日本をどういうように持って行くかというようなことについて、さほどにとっぴに離れているということはほんとうはあり得ないことと思うのです。ですからして、二大政党は政策を明らかにして、そうして寛容の精神でつき合って、話し合いをして、そ
私は第一次鳩山内閣を作って以来、自分の国民に申し述べたことの実行に努力しております。その通りになかなか行くものではありませんけれども、努力をしてそれに近寄った政治をやっていると思っております。