下関と北九州の道路につきましては、これはもう三十年ぐらい前からの話だと記憶しますけれども、少なくとも、下関に行かれたと思いますので、門司まで上がっていくというのは、地理的にずっと上に上って、まあ、あそこが当時一番近かったからそういう方法だったんだと思いますけれども、現実問題、北九州の主力地域、八幡とか小倉とかそういうところが主力、主力という言い方をするとまた問題になるのかもしれませんが、昭和三十八年に五市合併して、あれは最初の一番大きな合併の例なんだと記憶しますけれども、そのときと違いまして、今、八幡、小倉あたりが主力、そこの方から真っすぐ上がっていった方がはるかに近い形になっておりますので、そういった意味では、直線的に結ぶというこ
