科学的調査をやりまして、その結果事態が著しく悪化しまして憂慮すべきこういうような事態になった場合には再指定を行うということも辞するものではない、そういうように申し上げる次第でございます。
科学的調査をやりまして、その結果事態が著しく悪化しまして憂慮すべきこういうような事態になった場合には再指定を行うということも辞するものではない、そういうように申し上げる次第でございます。
今回の法案の趣旨は、これからは特に予防と健康管理というものに重点を移行すべきときに来た、したがって予防、健康管理の方面についていろいろ新しい施策も展開をしていくと。それと同時に調査は引き続いて必要な地点については続行していく。その調査の中にはNOxはもとよりSO2も入るでしょうし、全般的に公害全体をにらむ、公衆衛生的観点も入りますし医学的なあるいは疫学的な観点も入るでしょう。そういうような面から調査を続けてそしてそのデータを常によくにらんでいく、そういうような総合的な結果をよく判定をした上で考えていく、そういうことになると思うのでございます。したがいまして予防と健康管理を中心に移行する時代に入った、そういうような考えでやるし、今まで
データに基づいて、そしていろいろ先ほど申し上げたような観点からこれを調査をした上で、その上でこれは相当な障害でありかつまたこれは処置しなきゃならぬ、そういうふうに考えたときにそういう処理をすると。人命を損なうというようなときはもうもちろんやらなきゃならぬところであって、健康を維持していく上においてお医者さんが判定してみてこれはもうひどい、ほうっておいてはいかぬ、そういう健康管理上の観点からこれはやるべきで、人命云々というようなことはもとよりそれは考えなけりゃならぬし、その以前にこういう処理を行うべきものであるということは当然のことなのであります。
原生林の保護の重要性については全く私も同感でございます。ブナの原生林の保護の問題が各地で起こっておるようでございますが、やはり貴重な資源あるいは生態系の保持という面からも、ブナの問題だけではなくして全体の生態系というものにかかわるという観点にも立って大事にしていかなきゃならぬと思います。どの地点をどうするかということは、もちろん国立公園法の適用区域ということも頭に置きながらその場所その場所によって判定していくべきであると考えます。
審議会につきましてもいろいろな性格のものがあると思います。私が私の私的な研究団体、機関としてつくったものもございますし、法律に基づくいわゆる八条機関といわれる正規の審議会もございます。おのおのそれぞれの性格に従って適正に運用さるべきものであると思います。法律に従ってできましたものは国会の御賛成、御承認を得てできているもので、それはそれらの法律の趣旨に従って審議さるべきものであると思います。 しかし、そういう審議会におきましては議事規則というようなものは審議会みずからがお決めになるのが例でございます。外から審議の方式まで拘束するということは越権のさたであります。したがいまして、審議会の皆さん方が一致してお決めになったルールは政府と
これは高桑先生の御専門の領域で、私から御答弁申し上げるのも僭越でございますけれども、今後も調査を必要な地点については続ける、それでそのデータを参考にして判定をしていく。しかしデータというのは、数字だけじゃなくして公衆衛生の両全体、その地域の状況というものもやはり考うべきものではないんでしょうか。あるいは患者個人個人の皆さんの症状はもとよりそうでありますけれども、やはりNOxのような場合、特に自動車による排気ガスというような問題についてはその状況全般を把握するということも大事ではないかと私は思っております。
やはり主観的な恣意的な判定というものを排除するために、継続的にやられておる科学的データというものが一つの重要な判定資料になるであろうということは申し上げるまでもないと思うんです。
政府としては、必要な地点に引き続いて継続的な科学的調査を続行していく、その結果を見つつ特に健康管理あるいは予防に対する対策を強化していくと。それらの濃度は状況により場所によっても違うだろうと思います、そういう意味におきまして機宜に応じた対策を特に予防や健康管理の面で行うと、そういうふうに考えてまいりたいと思うのであります。
まず、公害対策に要する費用というものは汚染者が負担する、いわゆるPPPと前に申しましたが、それがまず大原則であります。自動車について見ますと、それについては排ガス処理装置などを装着することによって公害費用はある程度負担はしております。しかし最近の情勢を見ますと、自動車所有者の側からは非常なクレームがありまして、自動車重量税とか自動車の税金が余りに多過ぎる、もう少し自動車にかけないでほかのものから取れないものか、そういう苦情が非常にあります。確かに、柳町の辺とかを見ますと自動車にもうちょっと考えてもらっていいのかなという気もしないことはありませんが、しかし実際問題として、今の状況から見ると自動車に対するそういう負担というものは非常に高
国政調査権の発動の問題というものはよく今までも議論になったものでございます。いわゆる国会法百四条に基づく国政調査権の発動であるのかないのか、まずその認定の問題がございます。それから第二に、その発動があるかないかというような点も国会が御判断をなさることがまず最初でしょう。そういう意味におきましてこれは国会の問題でもある、そう感じております。
これは、先ほど申し上げましたように審議会のルールという面がございまして、やはり政府としましては審議会のルールというものを尊重しなければならない。さもないと審議会自体が将来構成されないという危険性も出てくるわけであります。
委員会のことは各党の理事が御協議になりまして理事会でいろいろ運営のことをお願いしておるわけでございまして、理事会の御意見というものがどういうものでございますか、我々が聞いておる範囲内におきましては政府が答弁したような考えに立っておるわけでございます。
中公審の委員はいずれも公害対策に関する学識経験者の中から選任しております。私の記憶では専門家の中にはお医者さんがたしか九人入っていたと思います。そのような学識経験者によって患者さんの実態あるいは環境の状況等も踏まえて慎重に審議が行われたものでありまして、今後とも公正な審議が行われるものと考えておるわけでございます。
今回の改正におきましても、既に認定を受けておられる患者さんの方々には従前どおり補償を行うということは前から申し上げているとおりです。それと同時に、健康被害を生じさせないように予防あるいは健康管理という点に重点を入れて今度はやるのだと申し上げているので、そういう患者さんを出さないように、仮にもそういう方が出てくるというような場合には十分健康管理を行うなり調査を行う、そして予防に万全を期する、そういう態度で臨んでまいりたいと思っておる次第なのでございます。
今回の制度改正に当たりましては、改正の趣旨、内容について関係地方自治体を初め関係者にできるだけ説明を行いまして理解を得られるように努力してきた次第でございます。改正法案が成立した後におきましても、その施行に関して関係者に対する説明等を行うなど制度改正が円滑に実施できるよう今後とも最大限の努力をしてまいりたいと思います。
今お話しのように約五百億円、そのうち毎年二十五億円というものを使ってやろうとしておるわけでございますが、この基金による事業は大気汚染による健康被害を予防する上で重要な役割を果たすものと認識しております。この事業は環境庁長官の監督のもとに行われることとなりますが、基金事業が実効あるものとなるよう政府としても最大限の努力を行う所存でございます。
衆議院で答弁しましたとおり政府としては公害問題に関する調査はこれを続け、その結果を見て必要に応じて適切な対応を行う所存であります。科学的調査の結果により非常に憂慮すべき状態が出てくれば当然再び指定することも含まれていると考えております。この点については環境庁長官にも十分よく指示しておるところでございます。
環境行政は非常に重要な国務であると思っております用地味な行政でございますけれども、しかし人間の生命や地球の環境保持という面から考えてみますとゆるがせにできないほど重要な行政であると考えております。御趣旨に沿いまして今後とも環境庁を大事にし、環境行政を重視してまいりたいと思っています。特に環境汚染の未然防止あるいはさらに地球的規模の環境問題への挑戦、貢献を行うべきことは非常に多いのでございまして、御趣旨に沿って努力いたしたいと考えます。 山田委員がお触れになりましたが、あなたからPCBについて非常に執拗なかっ適切な御質問をいただいたことをよく記憶しております。いろいろ御鞭撻をありがとうございました。
もし国会の関係でお許しを得、また状況が許すならば、アメリカへ参りましてレーガン大統領と首脳会談並びに国連総会において日本の立場を鮮明にする演説をしてきたいと思っております。 まだ国連総会における演説について草稿が固まっておるわけではありませんが、今の御質問に対しまして考えつくところを申し上げますと、何といっても現在一番大事なことは平和と軍縮の問題で、現在既にシュルツ国務長官とシェワルナゼ外務大臣との間でINFを中心に米ソの交渉が進みつつあるやに承っております。これは非常に大事な瞬間に今たどりつきつつあると私は見ておるのです。 そこで、両者が大局的見地に立って核兵器を減少させ、さらにこれを地上から追放する、そういう方向への第一
平和と軍縮の問題というものは、かなり技術的な難しい要素も実はあると思います。 平和というものは戦争のない間の谷間みたいなものなのか。二十世紀を見ていますと、二度の大きな大戦を経験し、また各地においていろいろな小さな紛争、大きな紛争等がありまして、恐らく二十世紀というものは戦争の多い世紀であったと痛感するのではないかと思います。 二十世紀終わりになりまして、こういう二十世紀のこのような悲惨な経験を繰り返さないように二十一世紀を心がけなければならぬ。そういう意味において、二十世紀というものを分析し、反省し、指針をつくり出す大事なときに入りつつあるように思います。そういう一つとして核兵器の問題もございますが、やはりこれは何といって