この清算問題は、その後、東亜国内航空が引き継ぎまして、日本航空との間で協議を進めてきておるわけでございまして、現在の段階では相当、両者の間で煮詰まっておるわけでございまして、まだ最終的に決定いたしておりません。
この清算問題は、その後、東亜国内航空が引き継ぎまして、日本航空との間で協議を進めてきておるわけでございまして、現在の段階では相当、両者の間で煮詰まっておるわけでございまして、まだ最終的に決定いたしておりません。
この点は未確認でございますけれども、当時は日航側としては約二十八億だったと思いますが、その程度の債権があるというふうに言っておったというふうに承知いたします。
日航と東亜国内航空のいわゆる清算問題、これは二十八億という数字は先ほど私が申し上げたとおりでございますが、これは日航側があらゆるものを要するに計算いたしまして、日航側として要求し得るというその当時判断いたしたものが二十八億でございますけれども、これはお互いに両方の言い分があるわけでございますから、何が客観的に正しいかということは、両社が協議し、また最終的には政府としてこれを判断しなければならぬということでございます。現在これを鋭意詰めておるわけで、もう相当程度詰まっておるわけでございますから、いずれ近いうちに妥当な結論が出るというふうに思います。
四十五年の十二月に、日航の国際線用として四機購入を認可いたしました。 それから国際線に当時使っておりました三機、これの国内線への転用、これをその当時認可したと、こういうふうにおっしゃいましたけれども、認可した事実はございません。
国際線用として四機の購入は認可いたしております。
国際線用として四機の購入の認可の是非を審査いたしますときに、日航の当時持っておりました長期計画というものを参考にいたしました。その中に、日航としては三機を国内線に転用する、こういう計画があったわけでございます。したがって、運輸省としては当然そういうことがあり得るということをこれは承知しておったということは言えるわけでございますけれども、しかしながら、その三機の転用そのものをその時点で認可したとかなんとかということではないわけでございます。
日航の計画として三機を転用する、こういう計画は運輸省としては説明を聴取いたしておるわけでございまして、したがって、そういうことがあり得るということは十分承知いたしまして、そして国際線用として四機購入を認可したと、こういうことでございます。
四十七年度にそういうことがあり得るということは十分承知しておったわけでございます。
どういうふうに申し上げたか記憶がございませんけれども、もしそのように申したとすれば、それは私が説明をいろいろいたしましてもこの点がなかなか御理解いただけないということについて、私自身も非常に実はもどかしく思っておるわけでございますけれども、しかし、なかなかその点が御理解いただけないということを私自身非常に残念に思っておる、こういうことでございます。 しかしながら、この点についてはその四十五年における判断と四十六年における判断、これについてのつながりはどうかということについて、結果論的にはいろいろ御議論いただけると思いますけれども、そのときそのときにおいては、当時の事務当局はそのときの客観情勢に合わして最善の判断をすべく努力したと
お答え申し上げます。 エアバスの導入につきましては、日航、全日空ともに四十五年ころからその検討をいたしておったわけでございまして、各社の計画によりますと、四十七年の四月ごろからエアバスを導入したいと、こういう計画があったことを承知いたしております。
運輸省といたしまして四十七年からのエアバス導入を決定いたしておったわけではございませんで、各社の計画の中でそういうことが計画されておったと、こういうことでございまして、これは当然のことながら、四十四年、四十五年当時非常に輸送需要が旺勢でございまして、年率二五%以上の伸びを示しておったわけでございます。しかも一方において空港事情等につきましてはやはり窮屈になってきておりまして、自由な増便もできないわけでございます。したがって、旺盛な需要増に対応し、しかも増便もある程度抑制できる、こういう観点から、各社が十分な安全性の確保ということを前提にいたしましていわゆるエアバスの導入を計画しておったということでございまして、これはもう当時世界的な
運輸省といたしましては、四十七年度から仮にエアバスを国内に導入いたしました場合に、空港事情といたしましては、幹線については必ずしも導入は不可能ではないという感じは持っておりました。しかしながら、本格的にこれを導入していくためには、必要な空港の整備というものも引き続いてやる必要はあるという状況でございまして、政府として四十七年度からエアバスを導入させるんだということを計画を決めておったということはございません。その点は先ほど御説明したとおりでございます。
四十五年に策定いたしました五カ年計画は、これは四十六年度から五十年度までのいわゆる五カ年間に整備すべき空港についての計画でございまして、特に何年度にどこを完成する、こういうふうな決めはございません。したがってこの五カ年計画は、四十七年四月からエアバスを導入させる、こういう前提でそういうことを決めた上で五カ年計画を策定したと、こういうことではないというふうに承知いたしております。
先ほども申し上げましたように、運輸省といたしましては四十五年当時、各社が四十七年四月ごろからエアバスを導入する計画を持っておるということは承知いたしておりましたし、また幹線については必ずしもそれは不可能ではないと、こういう感じを持っておったわけでございますけれども、いわゆる空港整備五ヵ年計画の中で四十七年度四月導入を前提として計画を策定したということではないというふうに承知いたしております。
先生御指摘の点は、ただいま大臣が御説明申し上げました四十七年七月の大臣通達で四十九年度以降導入を認めると、こういう方針を鮮明にいたす前に、エアバス導入について運輸省が延ばした方がいいではないかという行政指導をした、そういう有無をお尋ねだと思います。 この点につきましては、確かに四十六年に入りまして二月ごろでございますけれども、当時の客観情勢は、いわゆる万博が終わりまして、四十五年終わりごろまで伸び続けておりました輸送需要がやや停滞いたしまして、各社のいわゆる利用率というものが非常に下がってきておったわけでございます。それから各社の計画を見ますと、先ほど申し上げましたように四十七年四月から新機種を導入する、日航は国際線で使っており
先ほど申し上げましたように……
そのような観点から少し先に延ばしたらどうかという、そういう意思表示をしたということは事実であろうと思います。
これは当時、折に触れてそういう意思表示をしたというふうに考えるわけでございまして、いつ、だれが、どこで、だれにそのような意思表示をしたかということは、役所といたしましてもそういう記録が残っていないわけでございますし、また会社の方にもそういう記録はございませんので、だれがだれにやったかということは判明いたしませんけれども、そういう意思表示が航空局からあったと、こういうふうに理解し得ることは、これは日本航空にしても全日空にしてもこれを肯定いたしておりますので、その事実は間違いなかろうと思います。
これは当時の航空局でそういうふうな検討をしたということでございます。
当時のこの方針は、だれが決めたとか、だれが言ったということではなく、当然これは航空局の中でそういう議論がされて、そういう航空局としての意思が事業者に伝えられたと、こういうことでございまして、だれが発議をし、だれが決めて、だれが言ったということではなく、当然これは運輸省という、航空局という組織でそういうことが決められて意思表示されたというふうに考えます。