この方針を起案いたしました当時は確かに四年何カ月ということでございましたので、別に他意があって短く書いたというつもりは毛頭ございません。
この方針を起案いたしました当時は確かに四年何カ月ということでございましたので、別に他意があって短く書いたというつもりは毛頭ございません。
撤去の手順といたしましては、まず、この鉄塔を設置した者に対して撤去の要求を正式にいたすところから始まろうと思います。もしそれに応じない場合には所要の法的手続を講ずるわけでございまして、そういうすべての方法について関係方面ともいろいろ協議をして検討いたしておるということでございます。 具体的には、撤去の手順の前に、大臣から御説明申し上げましたように、燃料輸送の方法について、まずこの確実な実現を見るということが先決でございまして、しかる後に鉄塔の除去についての手続を進めてまいりたいと思っております。
先ほど申し上げましたように、まず、燃料輸送についての確実な方法を確立するということであろうと思います。しかる後に開港予定というものがそこから具体的に起算されることになりますので、そこで鉄塔除去の緊急性というものが具体的に発生してくるということに相なるかと思います。
先生の御指摘の点と、それから鹿島、神栖等の地元の町からいわゆる安全対策等についていろいろな要望がございまして、それをどのように国として受けとめるかということとは先生の御指摘の消防法の許可ないしは首都圏整備法の承認ということとが相関連するわけでございますので、そういう点について、できるだけ早い機会にそういう問題について解決をしたい、と、大臣はこういうふうに申し上げたと思います。
これは具体的に鹿島港において中継基地をどのように整備するかという、その方法と関連いたすわけでございまして、どのように具体的にその方法をとるかということを現在詰めておるわけで、したがって、その方法が確立いたしますと、それに従っていわゆる首都圏整備法なり消防法の手続が始まる、こういうことだと思います。
地元対策等の付帯条件とあわせまして、具体的に鹿島港にどのようなかっこうで——具体的に言えばいわゆる貯蔵タンクでございますけれども、その中継方法を、現在ある施設との関連でどのようなかっこうでこれを活用していくかという具体的な方法について現在最後の詰めをいたしておりますので、その方法が確立いたしますれば、その後で手続として消防法なり首都圏整備法の手続が始まる、こういうことであります。
そのタンク三基をつくるということも含めまして、それはいわば鹿島港における石油の燃料の中継のための必要な施設になるわけでございます。したがって、それをどのようなかっこうでその方法を講ずるかということを最終的にいま決めようということでございます。いずれにしても、そのための所要の手続というものは消防法の許可なりあるいは首都圏整備法の承認というものがかかってくるわけでございますけれども、その場合に、具体的に先生の御指摘のようなタンク三基をつくるということになるのか、要するにその辺をいま具体的な方法を詰めておるということでございます。
一時間でございます。
御指摘のように、このアクセスの問題、騒音対策、その他、先ほど申し上げました大きな二つの点のほかにいろいろ解決しなければならない問題があるわけでございますが、アクセス対策については、きわめて残念ではございますけれども、開港当時は現在の施設の活用ということでこれを賄う以外にはやはりないのではないかというふうに思います。 国内線との連絡方法をどうするかということでございますけれども、これについては、成田空港をどのように活用するかという、使用方法との具体的な関連がございますので、この点は開港までに具体的に検討して決定し得ると思っております。
いろいろ検討はいたしておるわけでございますけれども、いずれにしても、端的に申し上げますと、暫定輸送の方法についての見通しが立ちませんと具体的な開港の見通しが立たないわけでございますが、逆に言いますと、大臣が先ほど申し上げましたように、ここ一、二カ月の間に暫定輸送についての確たる方針が確定いたす予定でございます。そういたしますれば、一方で鉄塔の除去ということがあるわけでございますけれども、現在までいろいろ検討をいたしておりますわれわれの検討内容を至急詰めまして、先生の御指摘のような問題は解決していきたいと思います。
三億二千万ドルという金額でございますけれども、これはただいま外務省から御答弁ございましたように、四十七年度と四十八年度の両年度にわたりまして、発注ベースでどの程度民間航空会社が航空機を購入する計画があるかという計画を私どもがヒヤリングいたしまして、そのヒヤリングをもとにいたしまして、いずれにしても四十九年度以降のこの動向がまだ的確に把握できておりませんので、確定的なことは決定できませんけれども、それからまた、機種が、どういう機種になるかということも未定でございました。したがって、そういう不確定要素が非常にございますけれども、とにかく両年度で発注ベースで最低限度どの程度見込まれるかということでこの三億二千万ドルという数字を出したもので
まず、機種統一の問題でございますけれども、これは必ずしもいわゆるエアバス化、大型化の問題が起こって初めて機種統一の問題が出たわけではございません。むしろもっと早くから、いわゆるジェット化というものを実行していくについて、当時はやはり日航が技術的にもいわば先進会社でございますから、そういう意味で、ジェット化の過程について、整備能力あるいはそういう機材の有効利用ということから考えてもできる限り機材を統一した方がいいのではないかという、こういう航空局としての指導方針があったわけでございます。したがって、それは相当早くからあって、その方針が特に変更されずに、折に触れてそういう考え方を示してきたわけでございます。 確かに、この大型化という
近距離航空の設立に至った経緯については先生もすでによく御承知でございますけれども、当時離島辺地の輸送というものが非常に要望が強くて、それを非常に不安定なかっこうで、小規模の事業者が不定期というかっこうで行っておった、そういうときにあたかも事故が起こったという、こういう当時の客観情勢でございまして、したがって、この路線を安全なかっこうで維持するためにということで近距離航空という構想ができ上がったことは先生すでに御承知のとおりでございます。そのときにすでに定期航空事業を運航いたしておりますそういう会社がお互いに力を合わせまして、その他地方公共団体等も協力して新会社をつくったわけでございます。そのときにこういうかっこうによらないで別の方法
DC10のこの事故調査報告書は現在手元に来ておりますかどうか、即刻調べまして、もしございますれば御提出を申し上げます。 それから、騒音調査のデータでございますが、これは全日空をして提出せしめるように手配いたします。
お答え申し上げます。 ロッキード一〇一一が初めて定期運航を開始いたしましたときは四十七年の四月二十六日、それからDC10−10でございますが、これは四十六年の八月五日というふうに承知いたしております。
型式証明は、一〇一一が四十七年の四月十五日、DC10が四十六年の七月二十九日というふうに承知いたしております。
初飛行は、一〇一一が四十五年十一月十六日、DC10が四十五年の八月二十九日というふうに承知いたしております。
私どものデータによりますと、一〇一一が四十五年九月一日、DC10が四十五年七月二十三日というふうに承知いたしております。
この点の正確な日時につきましては、実は私どもが現在持っております資料が正確かどうか存じませんけれども、一応私どもでいわゆる機体の製造を開始いたしました日時として承知いたしていますのは、一〇一一が四十四年の三月、それからDC10が四十四年の一月というふうにわれわれの資料では承知いたしております。
正確な資料がございませんけれども、大体それから一年ぐらい前ということに相なろうかと思います。