いまの公報に掲載されております三十五年は、全部改正が行われた時点でございまして、もともとの内訓それ自体は三十三年の四月、この発足のときに定められておるということでございます。
いまの公報に掲載されております三十五年は、全部改正が行われた時点でございまして、もともとの内訓それ自体は三十三年の四月、この発足のときに定められておるということでございます。
結果的にそういうことになっておるわけでございまして、御案内のように、防衛庁はまあ新世帯でございまして、私とか斎藤君はみな警察庁から来ておりますし、次官その他は大蔵省から来ております。装備局長は通産省から来ておるという役所でございます。ここにシビリアンを充てるという考え方は、先ほど私がいろいろ苦心の存するところということを申し上げましたのは、陸、海、空のそれぞれの専門家が集まる部隊でございまして、これは統合機構というものがない以上、やはり共同機関にするということが至当であると思いますが、当然、現在の諸条件の上で考えました場合に、いずれにも属さない事務官で、ある程度こういった仕事についての理解がある人が別室長におさまるということが、全体
この事務官をもって充てることでございますけれども、各幕には御案内のようにそれぞれ事務官の身分を持っておる者がおるわけでございまして、これが指揮官になってはならないということはございません。現に地方連絡部長その他につきましては、シビリアンの地連部長もおるわけでございます。その根拠は、要するに事務官をもって充ててはいけないという規定がないということでございます。
有事の際の権限執行その他の点を考えまして、たとえば師団長、連隊長、こういったところに事務官を充てることは適当でないと思います。しかしながら、本来、この二部別室あるいは地連、そういったところに事務官を充てても差し支えないというふうに考えます。
先ほど私から御答弁申し上げましたように、当初においてこういう陸、海、空の合同の機関を統率する、指揮する者として事務官が適当であるという発想が出たであろうと思います。現実にそれによって効果を上げてきておりますし、現在のところ、この在来の方針を踏襲するということでよろしいかと思います。問題は、先ほどから申しておりますように、これはあくまでも当分の間ということで現在まで来ておりますので、やはり安定した形とすれば、将来共同機関のような形にすべきではないかという、これは私個人の考えでございますが、そう思っております。
この二別の発足について、いろいろその細かい経緯を教えていただいたわけでございますけれども、私ども現在の運用の面から申しますと、先ほど申し上げましたように、何ら不都合を感じておりません。ただ、先ほど私が私見として申し上げましたように、共同機関みたいな形にすべきではないかという考え方を持っておりますけれども、現状は、いまおっしゃったようなものとはおよそかけ離れた、きょう最初から先生との間のやりとりでお話ししておりますように、日本の専守防衛の実を果たすために周辺の軍備事情を把握するという、非常に重要な役目を果たしておるというふうに考えております。
ただいまも内閣調査室へ兼務で二人の自衛官を派遣しております。これはしかし二部別室とは全然関係がございません。内閣調査室が海外その他から収集されます資料なり情報なりがございますが、その軍事的な面における分析、解説という任務を負っているものでございまして、通信、情報とは一切関係はございません。したがいまして、これを除きまして、現在内閣調査室と当方との間に兼務ということはございません。かつて相互に人の派遣をやっておったということはございます。これは結局、収集をいたします情報が、それぞれ内閣調査室に関心を持たれるもの、こういったものを選別するというようなこと、そういう連絡のためにあったわけでございますが、現在は、いま申しました全然違った兼務
大変お言葉を返すようですが、私も警察からこちらへ出向してまいっております。しかし現在役人としては、こちらへ参りましたら防衛庁の人間でございます。ですから、そこにおりました者は、恐らく斎藤氏もその別室長であったときには、防衛庁事務官に徹して仕事をしたと思います。
防衛に関します問題は、いずれも民族の生存にかかわる基本的な問題でございます。御指摘のように、こういった問題に対しますそれぞれの世界観からまいります多様な考え方というものが現実にあるということ、そういう存在があるということにつきましては、私どもも納得がいくわけでございますけれども、現実の問題で、ただいま御引用がございました米ソの戦略核の整備状況、これは一応青天井という状態から脱しまして、ウラジオの会議におきましては、それぞれ上限を二千四百という数字が米ソの間で合意をされまして、これについても、米ソの核競争ではないか、軍拡競争ではないかという見解もございますが、一応シーリングを立てまして、その中でそれぞれ質的な変化ということはございます
御案内のように、第一次SALT交渉、それから第二次のSALT交渉を通じまして、これは一に米ソ間の交渉でございまして、ただいま申されましたフランスあるいは中国につきましては、直接このSALT交渉には関係がないように私どもは了承いたしております。この点につきましては、行く行く現在の核防に関します国際会議等におきまして、これは外務省の方からお話があるべきだと思いますけれども、フランスあるいは中国といった現在の核防に関しますアウトサイダーについて、その中に入って、そして同一歩調をとるように、日本としても今回の会議で主張されておるようでございます。こういう形で核保有国の軍縮という成果が上がるように、世界のあらゆる国で努力をいたしていくべきこと
私どもも詳細な情報というものを承知をいたしておりませんけれども、ことしのシュレジンジャー米国防長官の年次報告によりますと、中距離弾道弾、IRBM以下のものにつきましては、中国につきましては、すでに若干の配備を終わっておる。ICBMクラスのものについては、運搬手段の開発についていろいろ技術的な困難があるのかもしれない。したがって、ここ当分の間、アメリカにとって脅威となるようなICBMの開発は恐らくないだろう、こういう報告が出ております。 それからフランスにつきましては、御案内のように、中距離弾道弾、S2と言われるものでございますが、これを二個大隊。一つは九基ずつでございますが、二個大隊をフランスの中部高原に展開をいたしております。
第二次大戦後におきまして、いわゆる戦略核にいたしましても、戦術核にいたしましても、これを使用した戦争というのはいままでに起きておりません。したがいましてベトナム戦争は、いまの三つのカテゴリーに分けますならば、通常兵器を用いる戦争であるというふうに申してよろしいかと思います。
使用されたことはないというふうに私どもは承知をいたしております。
御案内のように、ただいま第三航空団が所在しております小牧のいわゆる名古屋空港でございますが、都市化が進みまして、そのために、騒音の関係、あるいは訓練をやっておりますときに、故障が起きまして退避をする場合、非常に困難を感じておるという状況でございまして、隊員の疲労、航空士の疲労その他を勘案いたしまして、できるだけやはり訓練環境のよろしいところに移すべきではないかという考えがございましたし、また地元からも、いろいろそういう趣旨に沿った御意向が御提案がありまして、長い間の懸案になっておったわけでございます。 それから、先ほど申し上げましたほかに、訓練環境で問題になりますのは、全日空の事故が起きましてから、訓練空域がそれぞれ洋上に設定を
第三航空団は現在86Fをもって構成されておりまして、これは他の要撃部隊と基本的に同じ任務を持っておりますけれども、それとあわせまして、地上の部隊に対する対地支援、地上攻撃機としての特性を持っておりますので、それをあわせて持っているというのが任務でございまして、これが三沢に参りました場合には、三沢にすでに八一空というのがございますが、これとあわせまして第三航空団を改編をするということを考えております。任務といたしましては、現在小牧におります場合と基本的には変わっておらないということでございます。
ただいままでは、この小牧におりました地理的な関係から、主として中部地方、北陸の関係、あるいは太平洋、遠州灘の方向からの領空侵犯に対処するということをやっておりましたので、今度北部に移りまして、三沢に移駐いたしました後におきましては、千歳の第二航空団と相連携をいたしまして、主として北部の地域におきます領空侵犯に対処する、こういうことに変わってくるかと思います。
一応、三沢に移りました後の形を見ますと、北部に第二航空団と、それから今度新たに編成されます三沢の第三航空団、それから中部は小松にございます要撃部隊、それから百里にあります部隊、これは六、七でございますが、この航空団、それから西部は築城と新田原にございます第五航空団ということで、各方面航空隊にそれぞれ二個の要撃戦闘航空団を持つということになりますので、一応バランスがとれるかっこうになるのではないかというふうに考えております。
確かに御指摘のように、三沢にすでに米軍がございますし、それからただいまお話しのように、八一空があるということでございまして、そういう意味におきましては、確かに三沢が過密になるということは否めないことだと思います。 どのくらいふえるのかと申しますと、現在、北部警戒管制団、それから八一空等を主体にいたしまして約千八百名おるわけでございますが、これにただいまの第三航空団の中心部隊が移るということになりまして、そのほか省力化、合理化その他を図りまして、差し引きをいたしますと約四百名の増でございまして、ただいまの千八百名から二千二百名ぐらいに人数的にはなるわけでございます。航空機は86Fが二十五機、それからT33が若干でございますが、これ
この五十年の会計年度の最後の四・四半期の時期に移駐を実現をいたしたいというふうに考えております。
一応形式的には五十年度に移駐を完了いたしたいと思います。施設その他の関係がございますので、全部を移せるかどうかという問題は、これはいろいろあるかと思いますが、形式的には移りまして、看板は掲げさしていただきたいというふうに考えております。