専門家の知識とおっしゃいましたから、おっしゃるとおりだろうと思います。
専門家の知識とおっしゃいましたから、おっしゃるとおりだろうと思います。
事実関係は関係局長から御説明いたします。 私はそこにおりました。
いわゆる久保発言がありましたときには、私は前の晩に電話があったことを失念をいたしておりました。しかし、その後関係者が集まっていろいろ記憶を呼び起こしているうちに、当時の状況をはっきり思い出してきたわけでありますが、私は終始会議に出席をしており、そして電話がかかっておったことも明確に記憶いたしております。したがいまして、この点疑念があるというお話でありましたが、疑念はお晴らしいただきたいと思います。
この委員会は事実をお求めになるわけでありましょうから、評価はどうされましょうとも事実は事実であります。そこで、私が十日の日に衆議院で申し述べたのは、九日の晩取り消しをして十日の朝の新聞に出てすぐに衆議院委員会、たしかお昼前後、午前であったと思いますが、そのころはまだ記憶をしておらない、つまり前夜の会見から国会で呼ばれまするまで調査が行われておらないわけであります。十日の朝私は二時か三時ごろうちへ帰っておりますから調査やっておらない。その後いろんな人と関係者を集めて話をしているうちに、その話の過程でなおかつまだ思い出さない当時の関係者もおりましたが、私は明白に思い出してきた、ということであります。
たしか十日のお昼ごろに当時の小田村経理局長に来てもらいまして……
二月十日ですね。二月九日があれですから、二月十日の、つまり国会で呼ばれて御説明をしたその後、政府委員室に当時の電話を受けたという小田村経理局長に来てもらってそしていろいろ話をし、そしてまた当時私の下にいた課長なんかにも来てもらっているうちにわかってきたということであります。
実は、十月八日の晩の会議の席上、私の下にいる課長は当時出席しておりませんでした。これは本人がそう言っておりますから。そこで電話がかかってきた内容について当時の私の担当課長は知っておりませんでした。ところが、電話を受けたのは当時の小田村経理局長でありますから、小田村氏から話を十日のお昼ごろ聞いて、なるほどと自分で思い当たったわけであります。これはうそではありません。
増原長官、当時の長官が後で記者会見をされたそのお言葉の内容と新聞記事とが同じであるかどうか私は保証できません。それから、私も増原当時の長官も初めて知ったというのは、了解事項の文言、つまり了解事項に示されている事柄であります。つまり、前の日に大蔵から電話がかかってきた事柄と了解事項とは若干ニュアンスが異なっておる、その点について私も増原さんも御存じなかったということであります。
多分長官室であったろうと思うのですが、関係局長、参事官は出ておりました。そこに電話がかかってきたわけでして、どういう文言であったか正確には実は関係者は覚えておりません。しかし、趣旨は、いずれにせよ支援戦闘機はいいけれどもPXLの方はだめですよという趣旨のことが伝えられたわけであります。私どもの方ではそこで若干の議論が行われて、ただいま防衛庁長官もお話しになりましたように、防衛庁としては支援戦闘機が大問題であったわけで、PXLの方は研究開発を行うに当たって機体を入れるかどうかという点だけであったわけでありますから、その点が大蔵省との争点であったわけで、この点がだめですよと、しかしながら主要項目の方の文言は変わらないわけでありますから、
ちょっと御質問の趣旨が私よくわからなかったのですが、二月の九日……
十月の八日に大蔵省から連絡があったのは白紙還元という言葉ではなくって、そこがまあ言葉が、関係者、電話をかけた人、かけられた人、両者とも正確な言葉を覚えておらないのですけれども、要するに、PXLの方はだめですよということを言われたと。したがって、九日の日の了解事項、国防会議の了解事項の趣旨を前日に知っておったわけではこれはありません。
もう一度繰り返しますけれども、十月九日の晩に取り消しをした。そして、十月十日の午前に衆議院でお話を……
二月十日。失礼しました。二月九日の晩に取り消しをして、二月十日に衆議院に呼ばれて御説明をした。その時点においては、さっき申しましたように、小田村氏から話を聞いておりませんので、全く前の日に電話があったことは失念しておりました。したがって、その後関係者が集まって、防衛庁が作成した資料の中には明確に電話があった趣旨が書かれてあるはずであります。私はここで初めてと申されるのは、二月十日以降初めて国会に呼ばれましたから、たまたま議事録の上で初めてになるだけであります。そして電話があったことは、これは関係者以外の方がどう憶測されようとわかるはずがないのでありまして、電話をかけた人、かけられた人、そして私どもが関係しておった人のみが知っておるこ
私はその会議に出ました。あとは関係局長からお答えいたします。
二月九日の次官会議の後の定例の記者会見の席で私が説明をしたわけですけれども、それ以前からPXLについて何か疑問があるのではないかという質問が個々の記者の方からありました。そこで次官会議の後で質問に応じましてPXLについて何らの疑念がない、そういうつもりで私は経緯を説明したというつもりでありました。
政治レベルということよりも国防会議議員懇談会で決まったわけでありますが、前夜、つまり先ほども話が出ましたように、二月八日の晩の大蔵省からの電話を記憶しておれば、もう少し印象の違った発言をしたかもしれません。
いわゆる白紙還元の国防会議の議員懇談会における了解事項ができた経緯は先ほど答弁があったとおりであります。そこで、それについてどういう印象であったかというのは、やはり防衛庁の望むところで本来なかったのがむしろ了解事項では逆に生き返ってきたという印象をそのときは受けているわけです。
これは当時の模様を見ておりますると、先ほども文書のお話が出ておりましたけれども、数名でがやがやと文書がつくられていったのでありまして、だれがどういうふうな形で文書が取りまとめられたかということははっきりいたしておりません。そこで、その意味のとり方というのはあまり詰められたものではなかったと思います。
そのときは、いずれにせよ、支援戦闘機が決まったということで大変われわれとしては喜んだ。それから、PXLの問題については、前夜、実質的な意味としては国産化を前提とする研究開発は認められないという趣旨の大蔵省からの連絡があったということでありますから、その趣旨とそのときは多分理解したろうと思います。余り白紙というのはそのときに具体的に皆でその意味を確かめたわけではありませんので、特に大きな意味合いというものを感じたわけではありません。
これは当時の関係者の言もそうでありますけれども、前夜受けた大蔵省からの内容と、それから了解事項の点はちょっと違うわけです。国産化問題を白紙としというような言い方を当然前夜はしておりません。「輸入を含め」ということも前夜は聞いておりません。専門家会議においてということも前夜は聞いておりません。したがって、意外性があったということは、これは当時の関係者の印象でありました。