私どものほうの記録によりますと、三月二十五日、おっしゃるとおりであります。そして、それから対馬を経て日本海、朝鮮半島の東のほうに出て、それから四月五日に釜山に入っておることになっております。したがいまして、行きのときに釜山に入ったということを、私ども知っておりません。それから帰港が十二日になっております。それで、第二回目のほうの日にちは、おっしゃるとおりでありますが、あるいは津軽を経ているのかもしれませんが、ちょっとそこのところは、私、承知いたしておりません。
私どものほうの記録によりますと、三月二十五日、おっしゃるとおりであります。そして、それから対馬を経て日本海、朝鮮半島の東のほうに出て、それから四月五日に釜山に入っておることになっております。したがいまして、行きのときに釜山に入ったということを、私ども知っておりません。それから帰港が十二日になっております。それで、第二回目のほうの日にちは、おっしゃるとおりでありますが、あるいは津軽を経ているのかもしれませんが、ちょっとそこのところは、私、承知いたしておりません。
自衛隊の海上艦艇の行動も調べさせてみましたけれども、これはミッドウェーとは明らかに違っております。ミッドウェーに随伴はいたしておりません。ミッドウェーともし合同演習をやるようであれば、当然長官の承認を得なければなりませんので、そういうことはありません。当時の艦艇の行動記録が私の手元にありますけれども、そういったものは出ておりません。
これは三月の末から四月にかけてのミッドウェーの行動に関連をいたしまして、ソ連機と思われる航跡が相当出ております。これに対しまして、領空侵犯措置ということで、自衛隊機は相当スクランブルをあげております。
私も実は、日本海から帰った後に、ミッドウェーに見学に行きまして艦長から聞いたのでは、たしか釜山の市長が来て、釜山の市長が剣であったか何であったかおみやげをもらったという話も聞いておりましたが、そのとき大統領の話は全然出ておりませんし、防衛庁の内部で調べたところでは、少なくとも防衛庁内部では承知いたしておらないということであります。
最初のときには、朝鮮半島の東、つまり日本海西部におきます訓練であったでありましょうし、二度目の場合には、この行動の目的は知っておりません。
米側の艦艇の行動については、実はそのつど私ども知る立場にはございませんので、よく承知いたしておりませんけれども、艦艇に対するソ連と思われる航空機の哨戒といいますか、米艦艇に近寄った航跡から申しますれば、日本海西岸においてしばらくの間、ミッドウェーを中心にして訓練が行なわれたであろうというふうに推測をいたしております。
もう一度可能な限り調べてみます。
原子力潜水艦三十数隻の中で、核兵器を搭載し得るものは、おそらくこれの全部、それと原子力でない通常型の潜水艦の中で、核兵器を搭載し得るものは、ちょっと正確でありませんが、十隻のうちであろうと思います。
以前、自衛隊は十個の単位があったわけでありますが、日本の地勢を検討しまして、基幹部隊の単位を検討いたしました場合に、十三ないし十五あるのが適当であろうという結論が出ました。それは地勢でありますから、たとえば四国を一つにするとか、あるいは北海道の場合でいいますと、ちょうど山脈の関係で四つ置きますと適当であるという、地勢的な検討が一つありました。 もう一つは、やはりどこの国でもそうでありますが、外国に近い地域には、比較的厚い配置をするということであります。これは、その国がどうこうということではございませんで、一般的な抑圧体制をとるならば、そういうことをやっておるということに並んで、われわれもそういう体制をとっておるということでありま
外国に近いという意味で——たとえば外国に近いということと地勢的な見地で申しますと、九州は北と南で二個師団が適当であろう、中国地方は中国の西のほうに一個師団が適当であろう、同様に、師団ではありませんけれども、沖繩は、一つの単位として必要な機能を、比較的小さいながらもまとめたものを置くのが必要であろう、そういうような見当で、観念的にはやはり同じだと思います。
一番小さくても、一万一千前後から二万数千まであります。
定員の十八万に合わせまして、装備を持っております。
五十一年度で104の部隊が六個飛行隊、それからF4が四個飛行隊、それから86の部隊が三個飛行隊、FST2改はまだ出ておらないという状況であります。 機数はちょっと、数字を見ればわかりますが、いま手元にありませんが、大体、104でそれぞれ百三十機程度、F4で七、八十機程度、それから86は、おそらく八十機程度あると思います。
従来の計画によりますると、三次防以降、大体要撃部隊は十個飛行隊を持っておりますが、その十個が欠けますのが、昭和五十五年度に一個飛行隊欠け、五十六年度に二個飛行隊欠けということでありますので、従来の計画でありますと、五十五年度あたりから手当てをしないといけないということになります。 それから、支援戦闘機の部隊は、従来から四個飛行隊ございますけれども、それが欠け始めるのが、実は五十一年度から欠けます。これは実は、四次防の計画を立てますときに、若干縮小した関係で、四個飛行隊を持っておったのが五十一年度に一個飛行隊欠ける、それから五十二年度に、従来の計画でいきますと、二個飛行隊、五十三年度に三個飛行隊欠けます。そこで最小限、五十一年度の
先ほど支援戦闘機が五十一年度から若干減ると申しましたが、その五十一年度の数字を維持するためには、五十二年度から手当てをしなければなりません。その点につきましては、FST2改の分について、五十年度から手当てをする。これは四十九年度に手当てする分が一年ずれた、先ほど長官が御説明になった分でありますが、したがって、支援戦闘機については、ここ数年分の手当ては、おそらく四次防の範囲でできるでありましょうということであります。 それから、要撃機につきましては、従来の計画で、先ほど五十五年度からの分を手当てしなければならないと申しましたが、この点については、四十九年度では何ら手当てをいたしておりませんが、五十年度あたりは、あるいは調査費あたり
現在F4は、百里に置いてありますが、四十九年度中には百里から千歳に移駐させまして、千歳で部隊を編成させたいというふうに考えております。
一応、防衛庁内部の予定といたしましては、四十九会計年度の中ごろということでありますけれども、これは地元の方々と御協議申し上げて、具体的には長官から日取りをきめていただくということになろうかと思います。まだ決定しておりません。
四十九年度末で、陸上自衛隊が三万九千、海上自衛隊が六百、合計三万九千六百、お話しのとおりであります。 いま、九万人と抑せになりましたが、事実関係だけで申し上げますと、四次防原案といわれた当時の予定された数字は、六万人でありました。
所管に応じて答弁すべきだと思いますけれども、御指名がありましたので答弁いたします。 先生の御趣旨によりますと、幕僚監部と同様に勤務すべきであるということであれば、部隊は八時半から勤務することになります。そうしますと、いま人事教育局長の説明によりますと、昼の休みが三十分ということになります。 ところで、私は軍隊にいたことがありますけれども、最も楽しいのは、めしを食うこと、寝ること、休むことであります。訓練をきびしくすればするほど、やはり休憩をし、めしを食うこと、そういうものには非常に快適な環境を与えることが部隊を使うゆえんであろうと、私は自分の経験でも思います。そうすれば、部隊というものは、教育訓練が主でありますので、幕僚監部
ただいまの御質問は、本来運輸省の所管でございますが、現在のところまだ台湾側との話ができていないように私ども聞いておりまするけれども、台湾のFIRの中で航空救難あるいは海上の救難作業の必要ができました場合に、海上保安庁もしくは防衛庁の艦艇あるいは航空機が出てまいります。その場合には、おそらく那覇のACC管制部から台北の管制部のほうに連絡をして、その了解のもとに出かけられるということになろうと思いますが、その手順をたしか運輸省のほうでは現在各種の方法を通じておとりになっているというふうに聞いております。