これは裁判所法にございまして、議長は、最高裁判所では長官であり、高等裁判所では長官、地方裁判所では所長というふうに定まっております。そうして議長はその裁判官会議を統宰する、こういう形であります。
これは裁判所法にございまして、議長は、最高裁判所では長官であり、高等裁判所では長官、地方裁判所では所長というふうに定まっております。そうして議長はその裁判官会議を統宰する、こういう形であります。
司法行政をやっておる以上は、国会に対して説明し、あるいはその審議の対象になるということは、もとよりさようであると思います。
もとより国会法においてもやはりさように定められておりまして、「最高裁判所長官又はその指定する代理者は、その要求により、委員会の承認を得て委員会に出席説明することができる。」となっておりますから、その法律の通りだと思います。
先ほど申しましたように、司法行政は裁判官会議できめる、そうして、その司法行政の執行の任に当るのが事務局であり、それを率いるのが事務総長である、かように考えております。
私は、国会法に定めるように、国会に出席して説明することのできる長官の指定代理人となってこちらへ参っておるつもりであります。
特に田中長官が出席をしないということは事務的にも申し上げたことはないと思うのですが、まあしかし、大法廷の裁判長もしておりますし、いろいろ御都合があってあるいは以前に出席しなかったこともありますので、今おっしゃられた御質疑の趣旨は十分私長官の方までお伝えいたしたいと思います。
ただいまの御質疑に対して、何か私が干渉したような御質疑でございますが、私は少しも干渉いたしておりません。ただこの「真昼の暗黒」に関して、私どもが関与した経過を御説明申し上げれば、御了解いくことだろうと思います。六月二十九日の東京日日新聞に、正木ひろしの一裁判官」が現代プロで映画化される旨の記事がありました。次いで七月八日の東京タイムスに、そのシナリオ・ライターは橋本忍という記事があり、七月十四日の時事新報には、監督今井正に決定したとの記事があり、裁判所に関係あるものとして、私どもはこの新聞記事によって初めてこういう事実を知ったのであります。ところが十月二十二日の北海道新聞には、「裁判官」の脚本が映倫の審査をパスしたという記事がありま
日時はちょっと記憶しませんが、そういう事実もございました。と申しますのは、一体係属中の裁判事件に対していろいろな批判をする。ことに事実について、あれはもう確かに白なんだというようなことを、一方的な資料をあげて、そうして批判し、これを新聞あるいは雑誌に発表し、あるいは単行本に出されるということは、厳格ね証拠手続に基いて、公開の法廷において裁判をして、そうして判決を下しておる、この裁判に対して、ややともすれば、国民がこういう一方的な宣伝に乗って、裁判に対しての信頼を薄らげられるのではないか、そういうことがあっては大へんじゃないかというようなことは、私ども常々考えておるところであります。ことに、現に係属しておる事件を映画化して、そうしてそ
私の記憶では、国際通信の「映画芸能」という雑誌に、「裁判官」の映画化についてという記事が出る少し前だったと思います。これが十一月の二十一日の日付になっておりますから、その前だと思います。
いや、その点は、先方の方から山田氏が見えられて、そうして脚本を持参して情報課長をたずねてきて、初めてそこで脚本を情報課長が見たのであります。
これは、多分あの「裁判官」の映画化についてという国際通信が二十一日の日付になっておったけれども、おそらくこの通信はその前日か前々日くらいに業界の方に配られたと思います。そういう関係で、あるいはこういうことをごらんになって、最高裁で映画化について何か言っておるというようなことからだろうと思いますが、私の方から山田プロデュサーに来てくれと言うてやったことはございません。
私も、こもらへこの問題の質疑の通告のお知らせを受けておりましたために、その点確かめて参りました。そして、それはそうでないということが、私もその点を多少疑いを持って尋ねましたが、そうでないということがはっきりしました。
私どもは、やはり日本の司法制度から考えまして、日本の司法制度が国民の信頼をつないでいくことに関しては、あらゆる点から検討いたさなければならないと思います。かるがゆえに、裁判に対する批判云々はすべていかないとは申しませんが、係属中の、ことにシーリアスな事件においては、やはり裁判手続において当事者が十分証拠を出し、主張をし、そして公開の法廷において証拠を提出して、公正なる裁判を受ける、その途中において、いろんなジャーナリズムとか、あるいはマス・コミュニケというようなものによって、裁判を一方的に批判するということは、私どもとしては、やはり裁判手続の進行上、また司法制度の面から見ましても、これは差し携えてもらいたいということを要望することは
私は、直接このことに関係いたしましたのは、柴田君に会ったのは、個人として私はお会いしたことのついでにお話を出したのでありますが、むろんこの情報課長の関係は、やはり情報課長としてさような話をされたと思います。
むろん最高裁の一ポジションにある課長がそういうことをしたのは、それは最高裁の一職員としてしたと認めてよろしいのであります。
私どもは、言論の自由を圧迫したり、表現の自由に関与したりするような考えは毛頭ございません。ただ私どもとしては、先ほども申し述べたように、やはり日本の司法制度が健全な発達をするためは、いわゆるなまの事件に対する国民の批判というものは、よほど慎しんでやってもらいたいという気持は持っております。
私の方としては、そういう点は別に考えてございません。ただあのような係続中の事件で、大衆に間違った印象を与えるのでは困るという点から、係続中の事件を映画に取扱うようなことはしばらく待ってもらいたい。こういう気持だけです。
私の方は、結果としてその映画はやはり係続中の事件を取り扱わないようになること は、それは要望いたしております。
私はやめてもらいたいとまでは、よく記憶がありませんが、話したことはないのですが、ああいうことは困ることだということを裁判の面からいろいろ話をし、外国にもそういう例は、われわれは調べたがないということも話しました。
私のほうは、今申し上げたことは、別に厳密な意味における司法行政ではございませんから、裁判官会議にかけて発言をしたわけではございまません。しかし私どもとしては、なるほど裁判の批判に対して、それは批判も受けなくちやならない場合があると思います。訴訟が遅延するとか、あるいは非常な訴訟の軌道外のことを裁判所がやるというようなことには、どんどん批判されていいと思います。しかしながら、いやしくも当事者同士、検察官と弁護人と被告との間に、公開の法廷においてお互いに証拠を提出し、一方は黒といい、一方は白だという証拠を提出して、そうして厳格な訴訟手続において裁判官をして判断をせしむるというのは、おそらく現代司法の各国における根幹だろうと思います。これ