日商岩井側の資料を精査し、いろいろな関係者の事情を聞きました結果の判断といたしまして、F4ファントムの売り込みのために尽力してほしい、力があるというような認識のもとに、最初の時点で五億円のいわば約束と申しますか、話が出ております。したがって、その履行として日商岩井としてはお金を払っておるわけです。したがいまして、その間にE2Cに関する金という色彩は全く出てまいりません。
日商岩井側の資料を精査し、いろいろな関係者の事情を聞きました結果の判断といたしまして、F4ファントムの売り込みのために尽力してほしい、力があるというような認識のもとに、最初の時点で五億円のいわば約束と申しますか、話が出ております。したがって、その履行として日商岩井としてはお金を払っておるわけです。したがいまして、その間にE2Cに関する金という色彩は全く出てまいりません。
そのときにもよく御説明いたしておりますように、証拠能力というものは刑事訴訟法上の概念でございます。したがいまして、刑事訴訟法上具体的な立証に関連いたしまして証拠能力の有無が問題になるわけでございます。 ところで、具体的な事件がない場合において、一般的に証拠能力がそのものにあるかどうかというふうなことを議論するということは、それ自体意味のないことである、議論をする根拠がない、こういう趣旨のことを申し上げておるわけでございます。
場面を二つに分けて考える必要があると思います。 捜査の段階で、捜査を次第に進展させていく、その間に、たとえば逮捕状を請求する、あるいは捜索差し押さえ令状を請求する、かような場合には証拠能力の問題は起きないわけでございます。 問題は、公判で厳格な証明を要する事項につきまして厳格な証明をしようとする場合に、初めて証拠能力のことが問題になるわけでございます。 そこで、お尋ねの趣旨が、捜査に当たって、このものが参考になるかどうかとおっしゃれば、参考になるとお答えをするわけでございます。ただ、証拠能力はどうかというふうにお尋ねになりますれば、このものについて訴因、立証の趣旨が特定していない現在、何とも申し上げかねるということでござ
そういうことを問題とされ、かつ御質問になるということについて、意味がないなどと私ちっとも申しておりません。 私が申しておりますのは、具体的な公判係属案件がない場合において、特定の思想の記述されました紙をお示しになって、証拠能力がこのものにあるかどうかということをお尋ねいただいても、何ともお答えしかねる問題でありまして、抽象的に、全く具体的な事件を前提としないで証拠能力の有無を議論するということは不可能であり、かつ意味のないことである、こういうことを申し上げたにすぎないのでございます。
ですから、そのときにもお答えいたしておりますように、もし金東雲という人が金大中氏事件に関連して、金大中氏を監禁し、略取、誘拐したという罪で公判に係属している場合を仮に仮定をすれば、証拠能力の問題はある程度判断できますと、判断してみると、原則として証拠能力はないものと思いますと、そういうふうにつけ加えて御説明しておる次第でございます。
公判が開始されたと仮定をいたしましてお答えをいたしますが、まず刑事訴訟法の原則は、その書面の作成者でありますスナイダー氏が証人に立ってその内容について証言されるということが原則でございます。次に、スナイダー氏がわが国の法廷に証人としてお立ちになれない場合であって、その記載内容が犯罪の証明に欠くべからざるものである場合には、刑事訴訟法三百二十一条一項三号の規定が適用されます。されますが、それはスナイダー氏が自分の見たところ、聞いたところのその具体的な状態を米本国に対して連絡をされたと、そういう事柄については証拠能力を持つ場合があると思います。しかしながら、内容を拝見いたしますと、金東祚氏からスナイダー氏が聞いたということがまた内容にな
それですから、私は冒頭から申し上げておりますが、立証趣旨が定まらなければ証拠能力は決められないということを申し上げておるわけでございます。私、常識的に金東雲というような人が、先ほど言いましたような事件で公判になった場合には、金東雲氏がKCIAの一員としてそういう行動に出たということが要証事実になるわけでございまして、そういう事実を立証するためには証拠能力がないことは明らかでございます。スナイダー氏が米本国に対して、そこに記載されたような内容の電文を発したということを立証するということならば、もちろん証拠能力はございましょう。しかしそのスナイダー氏がそういう電文を米本国に打ったということを立証してみましても、罪体についての立証とは、私
先ほど申しましたように、一般論として伝聞証拠の中の伝聞でございます。それはいかに社会的地位のある方がお語りになりましても、そのことのゆえをもって、被告人に保障されております反対尋問権を放棄せしめることはできないと思います。反対尋問権の保障という意味で、証拠能力の制限というものはあるわけでございまして、その面から証拠は厳格に考えていかなければならないと思います。
ですから、この前も申し上げましたが、具体的な事件がないのに証拠能力の有無を論ずるということは、しかく複雑微妙な問題になってまいりまして、どういうお答えをしても誤解を招くおそれがありますので、きわめて適当でない。適当でないというよりも、むしろそういう抽象的な前提のもとにおいて証拠能力を論ずるということは困難でございますし、法律的に意味がないことだというふうに申し上げておるわけでございます。まあ、お尋ねでございますからあえて申し上げれば、スナイダー氏が金東祚氏からこういうことを聞いたということが電文で知らされる。その電文が公になったために、たとえば金東祚氏の名誉が棄損されたとか、そういうような事実関係であれば、立証の趣旨として、スナイダ
判例の中には被告人の自白を内容とする伝聞証拠、伝聞証拠中、被告人からの伝聞を内容とし、かつそれが自白であるというような場合についての判例もいろいろございますが、それらは個々具体的な立証の趣旨に応じて判断をされるべきものでございまして、私は先ほど申し上げましたように、金東雲氏の罪体を立証するためには使えないのじゃないかというふうに申し上げただけでございます。
ただいま御指摘のように、金東雲がKCIAであるということを立証するために、先ほど来御指摘の電文を、テレグラムを出しますことは、証拠能力上否定されると思います。検察官としての立場ということもおっしゃいましたけれども、私は法律問題としてお答えをしておるわけでございます。現場の検察官でございますれば、証拠能力が多少怪しくても相手方が同意すれば証拠になるわけですから、みんな出してみるということもよろしゅうございましょう、実際上の立証上の作戦としては。しかしながら、法律論としては幾らおっしゃいましても、遺憾ながら私、法律解釈としてはただいま申しますように、金東雲がKCIAであるということを立証するために、当該電信文を証拠として出しました場合に
そういう立証趣旨でありますれば犯罪の証明と関連性がありませんから、もう証拠能力を論ずるまでもなく、検察官が証拠として申請することが適当でありませんし、裁判所も採用されないと思います。証拠能力以前の問題でございます。
全く仮定の抽象的な問題でございまして、どういう訴因で起訴されておる場合でございましょう。それがはっきりしませんと、何ともお答えいたしかねます。
そういう事件が起訴されている場合に、検察官側として金東雲氏がKCIAの一員であるということを立証するために当該証拠を出すことになると思いますが、そういうことであれば、先ほど来申し上げておりますように、証拠能力は否定されると思います。
コーチャン、クラッター両氏の嘱託証人尋問調書が三百二十一条一項三号の書面として採用されたことはもちろん承知しております。ただし、その中のさらに伝聞の部分は証拠から排除されております。 それから、先ほど白鳥事件の判決を再度お引きになりましていろいろ仰せになりましたけれども、詳しくは申しませんけれども、白鳥判決で申しておりますのは、公判廷における供述の中の伝聞部分でございまして、今度の公電の問題は、公電自体が伝聞でございます、その中の伝聞という、二つの伝聞が重なる場合でございます。その辺も十分お考えの上と思いますが、大変恐縮でございますが、私も刑事訴訟法に関する書物を幾つか書いた者といたしまして、刑事訴訟法の解釈につきましては一応、
電文という紙切れがあるということを立証するためには証拠物ということになります。しかしながら、ただいまおっしゃいましたように、証拠物たる書面の思想内容が証拠として使われるべき場合には伝聞法則の適用を受けますから、このスナイダー氏は反対尋問を受けておりませんから、その公電の内容に記載された事項は伝聞供述でございます。さらに、金東祚氏からスナイダー氏が聞いたという部分は、伝聞供述中の伝聞になるわけでございます。白鳥事件と相当違うようにも思いますし、まあ先ほど大臣からもちょっと、余り私がそういうことを長々と答えない方がいいかのような御発言もありましたので長くは申し上げませんが、その辺は私も、まあ、万に一つも違いないと思いますが、なお勉強して
公判係属事件の、大ざっぱに言って約九割は自白事件でございまして、それらの事件におきましては、検察官提出の書証をすべて証拠とすることに同意をされまして、三百二十六条によって証拠能力が与えられて済んでおるのが実情でございます。争われておる事件は別でございますが、そういう事情でございます。 それから、先ほど重ねていろいろお話がございましたけれども、伝聞証拠であるかどうかは被告人の反対尋問権が保証されているかどうかと、そこから始まるわけでございまして、証言であろうが書証であろうが同じではないかという御議論は私は全く納得できませんので、その点だけ申し上げておきます。
公文書だから採用されたというような関係ではないので、要するに第三者であるコーチャン、クラッター両氏の供述が記載された書面である。しかしながら、両氏は国外におって法廷で証言することができないという事情があり、かつそれらの供述内容が犯罪の証明に欠くべかざるものであるし、かつ信用すべき状況のもとに作成されたという三百二十一条一項三号の所定の要件を満たしましたので、いわゆる伝聞供述ではありますけれども反対尋問権を経ないままで例外的に証拠とされたわけでございます。しかしながら、その中でコーチャン氏やクラッター氏がまた別の人から聞いた、そのことの内容は原則として証拠能力なしとして排除されておるわけでございます。ですから、そのひそみにならいますれ
ですから、私もその当該公電が三百二十一条一項三号の書面として証拠能力を持ち得る場合はあると申し上げておるわけで、ただし、その公電の中に書いてある金東祚氏が語った内容は証拠能力がないということを申し上げておるわけで、その公電に書いてあるものの信用性が高いとかいうようなことでございますとか、社会的政治的に重みがあるものであるとかいうことを私は否定するつもりは全くありません。ありませんが、刑事訴訟法の三百二十条から二十八条にまで至ります証拠法の解釈としてお答えする限りにおいて、金東祚氏がスナイダー氏に語った内容を証拠とするすべはないということは、私の学徒としての良心に従って申し上げるより仕方がございません。
そのとおりでございます。