政府としましては、やはり内灘が一番適当な土地であると初めから思つておつたのであります。しかし非常に反対が強い情勢に応じまして、やむを得なければ四箇月というふうな点まで妥協して行かれたのであります。そうして最初に話をつけましたけれども、その後いろいろ話をしておりますうちに、将来いろいろと条件がかなえば五月一日以降も使うことについて話をしようということをわれわれの方は申したわけであります。その話が成功するのではないかと思いましたのでそういうふうに報告しました。その場合のことを考えてそこに書いたのであります。
