そういうことではございませんで、この沈船のこれをやります際に、向こうが大体賠償総額の一%なり二%のものをやってもらいたいというふうなことを申しますので、それじゃ賠償総額はどう考えているんだということを聞きましたら、二億五千万ドルということを申しておるのであります。これはインドネシアの例をとりますと、二億二千三百万ドルに対しまして六百五十万ドルというふうなのが沈船協定に出ました数字でございまして、まあ沈船協定の場合はごく小さな数字でやっているのが、ほかの場合でも同様でございます。
そういうことではございませんで、この沈船のこれをやります際に、向こうが大体賠償総額の一%なり二%のものをやってもらいたいというふうなことを申しますので、それじゃ賠償総額はどう考えているんだということを聞きましたら、二億五千万ドルということを申しておるのであります。これはインドネシアの例をとりますと、二億二千三百万ドルに対しまして六百五十万ドルというふうなのが沈船協定に出ました数字でございまして、まあ沈船協定の場合はごく小さな数字でやっているのが、ほかの場合でも同様でございます。
そういう話は全然いたしておりません。この協定が正式に調印されて発効いたしまして、そのときに北川のやっております事業が円滑にいけばよし、いかない場合はこの協定の一部として北川を助けてやるということができたわけでございますが、この協定が発効いたしておりませんから、北川に対してはこの協定との関連においては何も申しておりません。
調印いたしましても━━これは仮調印はいたしましたが、効力は発生しておりませんから、これに基づいて措置をとることはできないわけでございますが、しかし、仮調印をいたしましたというふうなことが情勢を好転させまして、北川の方は五三年の末から五四年の半ばにかけまして三隻ほどの引き揚げを実施しております。 それからまた日本政府とこの沈船協定とは無関係で、全然、ですから、これは効力を発生しておりませんから、これに基づいて措置をとるということは考えられぬことでございますが、北川のためには別途大使館を通じまして、先方とは常時この北川が困らないようにという話はいたしておるわけでございます。
七月の終わりごろから予備交渉という名前で、私がここの大使と四、五回交渉をいたしております。それで向こう側の考えを最初聞きまして、それに対しましてわれわれの方の考えを述べてございますが、あくまで予備交渉ということでやっておりまして、将来もう少し進展いたしますと向こうからおそらく使節団が来て本交渉をやりたいということに向こうは言ってくるだろうと、こう考えております。
ビルマ側は要するにフィリピンとインドネシアに日本が払います賠償額との比較、これを問題にしているわけでございます。これらに比べて自分の方がやや少ないという感じがするという点を申しております。
予備交渉をいたしまして、ある程度両方の考え方が一致いたしますれば、今度は本式の交渉に入れるわけでありますが、今のところ、予備交渉をやりまして向こうの考えを聞きまして、こちらの考えも入れておりますが、まだこの考え方が一致いたしません。そしてそのままで予備交渉がまあ一時、今のところ中断をしている。われわれの方もべトナム賠償で非常に忙しくなりましたりいたしまして、まあ中断しておるという形でございますから、今後、直ちに本交渉に入るというまだ段階ではありませんで、もう少しまだ下打ち合わせがありまして、あるいは本交渉に入らぬままになるかもしれない、あるいは入り得るか、まだその辺のところははっきりいたしません。
たしか四月の七日でしたか、九日でございます。文書で言ってきております。
ビルマ側の態度は先ほど申し上げましたように、フィリピンとインドネシア、この二つを問題にいたしまして、これに比べて公正を欠く、こういうことを言っておるわけであります。
当然、先方はベトナム賠償の金額は幾らであるかということは知っているはずでありますが、予備交渉を通じ、あるいはその前からベトナムというようなことは一言も申しません。
ビルマ側は具体的な金額は、全然申しておりません。ただ要するに、ビルマの賠償額は、インドネシア、フィリピンに比べて公平でないという原則的なことをまず日本が認めてほしい。その上で、それじゃ今度はどれだけふやしてくれということになるわけであります。とにかく公正でない、均衡がとれておらぬということを一生懸命になって説明して、その点は認めないか、こういう段階でありまして、金額等には全然触れておりません。
まあ交渉の中身に入りますし、いろいろそれは、われわれがなるべくあまり出したくないということは御存じの通りでございますから、いろいろなことを言っております。しかし、あまり具体的なことは、まだ現在やっておるところでございますから。
私も何人というところまでははっきり存じませんけれども、少なくとも十人とか二十人とか、それからまた現地の大使館で、たくさんの人に会って聞いたというふうに言っておりまして、私の方も東京でも聞いておりますが、現地でも大使館が聞いておるわけです。だれにどうというふうに、しかも幾人というような具体的なことも申してきておりませんから、やはり相当数になると存じますけれども、まあそして平均等をとったといいますか、何と申しますか、大体、二、三十万というところではないかというふうな結論を出してきております。
資料として、最初に差し上げました中に、西村━━当時のハノイの総領事の事務所長と申しますか、からの電報あたりは、あれはあの直後、終戦直後九月ごろに打った電報でございますが、これなどにもやはり餓死者百万というふうな数字を引用しておりますから、当時からやはり百万いうふうな数字はいわれておったのではないかと思います。そして百万は少し多いのじゃないかというふうなことで、いろいろな人の話を聞いてみまして、そして二、三十万という数字が出てきたと、私はこう思います。
信徒は約百五十万といわれております。
私の方ではちょっとそれ存じません。
この米の産額と申しますと、だいぶ年によっても違いますが、もみにしまして、大体五百万から六百万トン。もみでございますが、多いときは、一九三八、三九年などは八百万という数字が出ておりますが、まあ六、七百万トン。この中で━━これは全部の統計でございますから、そういたしまして、北を除き、それからカンボジア等にも多少ございます、そういうものを除きまして━━正しい輸出用の米と申しますと、九五%までがいわゆるサイゴン米ということになっておりますので、それが、大体もみにいたしまして二百万トンくらいのものが平時は出ておるわけでございます。こういうものの扱いには、私はやはりシォロンあたりにおる華僑というものの勢力が大きく動いたのではないか、こう考えます
私詳しい点を存じませんので、課長でよろしければ……。
MAAGはたしか一九五〇年の協定から存在しております。それからTERMは五六年からおります。そして任務終了ということにことしの六月かになりましたが、まだ現実に引き揚げを完了してはおりません。
金額だけはわかっておりますが、その中身というところまではわれわれの方としては調べる方法がないようでございます。
造船所の方は存じませんが、海軍工廠につきましては、現在これの所長、副所長というのは文官である。それでベトナムの国防部の方で海軍工廠として復活したいという意思もあるようであり、ベトナムの経済省といいますか商工省といいますか、そちらの方では、一般の民需関係の方の機械を作るセンターにでもしたいというふうな考えがあり、ここのところは、今のところはっきりきまっておらぬというふうな報告が現地から来ております。それが結果に現われまして、所長、副所長というものに文官を置いておるというふうな関係が出ておるわけでありまして、賠償の問題と関係いたしまして、機械工業センターがここにできるとかできぬという話があったわけでありますが、その中にあき家があるのでそ