先ほど条約局長がちょっとそういうふうに響く御答弁をいたしましたので、私からその点はすぐ訂正いたしまして、これは最高指導会議の決定に基づいて行なわれたものだということは申し上げてございます。
先ほど条約局長がちょっとそういうふうに響く御答弁をいたしましたので、私からその点はすぐ訂正いたしまして、これは最高指導会議の決定に基づいて行なわれたものだということは申し上げてございます。
当時の三月十一日に独立宣言をいたしましたバオダイと、これは承認はいたしておりません。これと後ほどできましたバオダイ政権というものは、ただ元首の名前が同じであるだけで、全然法的にはつながりは、ございません。 それからもう一つ、当時の仏印の国民というものは、これは仏印の歴史がフランスに対する反抗であった、当時までは。というふうな点から見ましても、私は、国民に対して虐政をしいたというものではなく、むしろ一般のアンナン、仏印の国民に喜ばれたものである。かつ、日本軍といたしましても、現地の住民との関係をよくしようという意図に出まして、こういうふうな政権を擁立したということでありまして、決して現地住民を痛めつけたという事実はなかった、こう思
バオダイ政権を擁立いたしました経緯、その日本の真意、意図につきましては、これは今御説明いたしましたが、私はむしろバオダイというふうなものが出まして、直接軍が住民と折衝するのでなくて、バオダイが間接に間に入ったということはむしろ当時の民衆のためになったことでありまして、現実の問題からいたしますれば、むしろこれはいいことをしておると、私はそう考えております。
私は、日本は戦争の責任があるけれども、バオダイが日本軍の、日本と現地住民の間に立つことによってむしろこの日本の与える損害というものを軽減する方に現実的には動いたのではないか、こういうふうに申し上げておる次第であります。
賠償に関する考え方といたしましては、ただいまおっしゃいました通りでございますが、私が、いいことと申し上げましたのは、言語風習等を異にする日本軍が直接現地の住民に対しまして占領行政をやりますよりも、現地の住民に高度の自治組織を持たせまして間接にやる方が現地の住民からは喜ばれただろう、こういう意味において申し上げた次第であります。
終戦前に一時日本軍がどこでありましたか、軍の病院におきましてゴ・ディン・ジェムをかばったことがあるという話は聞いております。
私も当時の軍の方からそういうお話は伺っておりますが、これは要するに、まだフランスが表に立っておったときでありまして、反仏運動をやっておりまして、フランスの追及をのがれて日本軍にかくまってもらったというふうに聞いております。
私はその点よく存じませんので、事務局でよろしければ……。
われわれの方は松下氏の過去の行動等の詳細については存じませんので、ただいまお話しのございました点につきましては否定もできませんし、肯定もできないという次第であります。
カンボジアとベトナムの関係につきましては、必ずしもうまくいっていないことは御承知の通りでありまして、現在のシャヌーク派に反対しましたカンボジア内の一部の勢力というものとベトナムの間に関係があるのではないかということは、現政権であるシャヌーク派の方はそういう疑いを持っているかもしれませんが、私たちといたしまして、そこにはっきりした証拠があるとかないとかいう点までは、私たちには現在のところ突きとめ得ない点でございます。
ダニムにつきましても、機械工業センターにいたしましても、工事が始まっているというふうなことは絶対にございません。これは明瞭な事実でございます。そういうことは全然ございません。ダニム等は、大きな仕事でありますから、日本の関係業者がこれをやりたいと思うのは当然のことかもしれませんが、これも、これがきまっているというふうなことは全然ございません。
旅券の発給を受けます際には、そういうふうな当然書類は外務省に参るわけでありますが、これは旅券の発給という意味において参るのでありまして、われわれが連絡を受けるか受けていないかと申しますのは、このこと自体につきましての連絡を受けたかどうか、旅券発給というふうな段階でなくてその前の段階において連絡があったかどうかという点だろうと思いますが、それについては、われわれは連絡がなかったと思っております。
ビルマ側は、本年の四月七日にここにおります大使から大臣に対しまして、再検討条項に基いて再検討を行ないたいということを言って参りました。その後、いろいろな事情がございまして、七月の二十三日が第一回になりまして交渉をいたしております。私が主任者として向こうの大使と交渉をいたしておりますが、四、五回交渉いたしましたが、意見が合わないままになっておりまして、その後最近はまあこういう国会も忙しいものでございますから、事実上交渉がとまっておるというのが実情でございます。
先方の言い分は、向こうのよこしました手紙の中にもございますが、インドネシア並びにフィリピンに比較して、自分の方は均衡がとれておらない、自分の方はもう少しよけいもらうべきだということを言っているのであります。簡単に申しまして、そういうわけでございます。
これは先方がよこしました手紙の中にも、インドネシアとフィリピンだけをあげておりますし、その後何回か交渉いたしましたが、ベトナムについては全然何も申しません。ただフィリピンとインドネシアだけを問題にいたしております。
ダーブローという人です。
ガーデナーという人です。
ウイリアムズ中将です。
軍人だと思います。
七月二十日から六回にわたりましてアメリカのスクリップスハワード系の新聞がこのベトナムにおけるICAの資金等について批判をした記事を載せたわけでございます。これがいろいろ問題を起こし、アメリカの上院外交小委員会はこの記事を契機としましてベトナム米国援助に関する特別調査を行なう旨決定いたし、ベトナム駐在の米国大使ダーブロー、USOMの団長ガーデナー及び軍事顧問団の団長ウイリアムス陸軍中将の三名を本国に一時召喚いたしました。これが七月二十六日でございます。これら三名は八月十八日サイゴンに帰任いたしましたが、米上下両院からそれぞれ視察団が派遣され、おそらく十月援助計画に関する調査のためサイゴンを訪れる予定であるが、これはアメリカ側援助機関の