前後の経緯からいたしまして、二億五千万ドルというこの数字、これを撤回したのでありまして、その他の数字については何ら合意いたしておらぬ、こういうことであります。
前後の経緯からいたしまして、二億五千万ドルというこの数字、これを撤回したのでありまして、その他の数字については何ら合意いたしておらぬ、こういうことであります。
先方は二億五千万ドルという数字を出したわけであります、賠償総額としまして。それに対しまして、日本は、とてもそんな大きな額は払えないのだ、そんな大きなものではあり得ない。それで非常に小さいということを言いまして、向こうはそれはまあテーク・ノートするが、これはこの際総額については論議しないということを申しまして、そのあとでこの二億五千万という数字並びにそれの二百五十万ドルに対する比率というものを撤回したというのでありますから、二億五千万ドルには固執しないということでありまして、それ以外の数字がきまったわけではございません。
われわれの方の解釈は、私がたびたび申し上げた通りでございまして、先生のおっしゃる見解とは違います。
合意議事録はこれだけでございます。ほかにはございません。
合意されましたものはこれだけでございますが、第七回以後、総額につきましてはたびたび議論はいたしておりますが、これは外交折衝の中身として、記録としては私の方にはございますが、御提出すべき筋合いのものではないじゃないかと考えております。
両国間で正式に合意されました議事録はこれだけでございまして、そうしたものは向こうの政府でも異存がございません。公表されたものでございますから、提出いたしておるわけでございますが、外交折衝の経緯につきましては公表を控えるのが通例と考えます。それから、この総額の議論があとに残っているということは、われわれはこの合意議事録を読みましても明白である、こう解釈いたしている次第でございます。
両国間に合意されました議事録というものはこれ以外にはございません。その他のセッションでは議論はいたしておりますが、その経過をまたわが方の担当者が書きましたメモはございますが、こういうものはわが方だけで書いたメモでございまして、通例、外交折衝を行ないます場合のそういう交渉経緯等につきましては両方で合意したもの以外は発表しておらない次第でございます。
先ほどから申し上げておりますように、議事録というものはこれしかないのでありまして、サンフランシスコ会議は、これは公開の会議でございまして、二国間の会議の交渉経緯というふうなものは通常、これは発表いたしておりません。
具体的に提出できるものはございません。
このビルマ、インドネシア、フィリピンの三国につきまして、わが方で査定したというような資料はございません。
当時ビルマとかインドネシア、フィリピンの交渉に当たりました政府の当局者が、先方のビルマについては三十億、フィリピン八十億、インドネシア百七十二億という要求を出しまして、その向こうの要求を当時の関係者が検討いたしまして、いろいろ人の話を聞いたり、あるいは先方の説明を求めたりいたしておりますが、そういうことは提出できるようなまとまった資料というものにはなっておらぬわけでありまして、断片的にいろいろ話を聞いたり、何と申しますか、客観的な妥当性があるかどうか、その一部を知っている、当時おった人たちの話を聞いてみたりいろいろしまして、当時の交渉をしたというのは、向こうの要求は妥当であるか、これは相当大きいとかということを頭に描きながら交渉して
このベトナムの餓死者のように、先方の主張いたします数字百万あるいは二百万と言ったこともあるのでありますが、二百万ないし百万というようなことも言っておるのでありますが、それもわが方はいろいろな話を聞きまして三十万以内、まあ二、三十万というふうに、これほど大きく損害についての数字が開いた例はほかの国にはございません。そして、大体われわれはこの賠償を要求する方に損害についての挙証責任がある、こう考えておりますので、先方の出してきました要求というものを見まして、その範囲内でもってこれにいろいろと人の話を聞きながら検討を加えているのでありまして、それ以外の資料というふうなものは、われわれとしてはこれを特に探すというふうなことはいたしておりませ
ベトナムにつきましては、ベトナムが出しました資料をお手元に差し上げてありますが、そのうちの米とゴムだけをここに例にあげたわけでありまして、そのほかにもいろいろな生産の減退というふうなものはございます。その他にまだ精神的苦痛とか、その他ございますが、まあ米とゴムだけをあげましてここに掲記したわけでございまして、それでわが方の資料と申しますが、これは向こうが出しました資料も、わが方で調べましたものも、これは同じ統計を使っておりますから、わが方の資料と同じ資料になるわけでございます。でありますから、向こうが出しました資料よりわれわれの方がやや統計の詳しいものを参照いたしたということで、どちらの資料も同じでございますが、向こうの資料の範囲内
そういう調査をいたしますのは、ベトナムの場合、みなこれは外務省のアジア局の管轄でございます。ビルマの場合も、インドネシアの場合も、フィリピンの場合も、全部アジア局でありまして、それぞれ課が違う場合もございます。それと、その当時の局長とか、次長とか、特別の参事官とかというものが交渉の担当官になっております。こういう人たちが当たったものでございます。
どの程度の係官が何人で、何人くらいの人々にお会いしたというほど詳細な記録もございませんけれども、まあわれわれの方で一番古い記録を見ますと、終戦直後、二十年の九月でありますか、当時のハノイにおりました西村事務所長から、居留民を早く引き揚げさせたいという電報が来ております。それに、昨年の暮からこの春にかけて百万の餓死者が出た、それでまた今度そういう事態が起こると困るから、今残っておる居留民を早く引き揚げさしてくれというふうなことが出ております。これがわれわれの公電に出ました最初のものであります。終戦後の混乱状態では、やはり当時も百万ということが常識的に言われておったのではないかという気もいたします。また先般来のこの参議院におきます辻議員
当時の電報には、私がただいま御説明しました通りのことが書いてありまして、昨年の暮から今年の春にかけて約百万という餓死者が出た……。
西村君は、前の条約局長、それからフランス大使をしております。
ハノイであります。そういうのが公電としてございます。あとはいろいろな人にお目にかかっておりますが、皆さん、自分はこう思うというのでありまして、この人がこう言われた、この人がこう言われたということを、一々名前をあげますことは、その方に対しても悪いのじゃないかと思います。たくさんの人から伺っておりますが、名前を一々あげまして、いつ、どなたに伺ったというのは差し控えたい、こういうふうに思っております。
ただいま申し上げました通りでございまして、別に違ったところはございませんが、そこらの二、三行の抜粋でよろしければ書いたものを差し上げます。
もちろん損害がどの程度あったということが最初でございまして、そして支払い能力というものからこれをだんだん小さくしていく、こちらの払います額を小さくしていく、そういう関係でございます。