損害が北に限られておるというような議論が多かったものでございますから、そうでないという意味でわれわれが書いておりますので、そういうふうな意味でお読みになれば、よくおわかりになるのじゃないかと思います。
損害が北に限られておるというような議論が多かったものでございますから、そうでないという意味でわれわれが書いておりますので、そういうふうな意味でお読みになれば、よくおわかりになるのじゃないかと思います。
われわれが餓死者の点を除いて経済的な損害を見ます場合に、むしろ南の方が、われわれの持っております数字、向うのあげております数字を見ましても、南の方が多いということを言わんとしておるのであります。それは米とゴムという二つをとりましても、これは貿易総額の三分の二ぐらいになるわけでありまして、この米とゴムは南のものであるからそうなった。それからマイニングとかあるいは工業生産、これはマッチの工場が一つ南にある以外は全部北でございます。ただし、その生産高を見ましても、一年分を取りましてここに計算いたしておりますが、約五千万ドル程度のものでございます。ほかにもいろいろございましょうが、こういう北の生産物は大体生産減が五千万ドルと見られる。このう
年次別と申しますと、大体四四年の十月か十一月頃から四五年の春四、五月頃にかけてでございます、多分。それから地域的に申しますと、トンキン・デルタ地域というものが中心になります。そうしてややその周辺に及んでおるということでございます。
一九五六年九月十八日に先方がエード・メモワールというものを出しております。そのいろいろと数字を上げております主な数字だけを拾いまして差し上げたものでございます。全部の数字が御入用ならば提出いたします。
一年分に直して計算いたしましたのは日本側で私の方でやったものでございますが、その他の数字は全部向うから出た数字でございます。
一九三九年の鉄鋼生産は十三万八千二百トンでございます。それが一九四四年には二万九千七百トン、一九四五年は七千九百トンというふうに激減しております。われわれは最後の一年をとります際に、一九四四年の三分の一、一九四五年の三分の二というものをとって一年間と計算いたしております。そういたしますと十二万トンくらいになるわけであります。
間違いはないと存じますが、あるいは計算の間違いがもう一度チェックしてみるとあるかもしれませんが、おそらくないと思います。
先方は全部一九三九年を基準にいたしております。一九四〇年に平和進駐が始まっておりますので、そういう異常なる事態の起きる前をとっております。それからわが方は戦争期商を四四年八月二十五日以降としておりますので、最後の約一年というものの損害を見ておるわけであります。それから経過説明に引用をいたしました数字は三九年はとっておりません。米の場合は四三年という数字をとっております。これは三九年をとってもよかったわけでありますが、この四三年に比べても━━三九年をとりますと、おそらく百四、五十万トンという数字になります。四三年は百万トンという数字でございます。これは当時輸出が減りましたと申しましても、日本側がそのくらいのものを買っておったんだと思い
私は、これは資料をごらんになればよくおわかりになると思うのでありますが、三九年をとりますと、これが平常な時代でありますから、それに比べて損害を見るというベトナム側の主張は、ある意味で私は当然じゃないかというふうにも考えますが、まあ戦争が始まって、戦争は四四年なので、今度はその直前をとってみたらどうかという議論もございますし、いずれをとりましても大して違いはないと思いますけれども、米とかゴムにつきましては日本が買いましたものなどを計算に入れますと、ほとんど違ってこないわけでございます。そこでゴムにつきましては四一、四二、四三の平均をとってみましても、むしろゴムにつきましては四一、四三、四三をとった方が多いわけでございます。三九年は六万
両方申し上げた方がかえってよくおわかりになるのではないかと思いますから、矛盾はないと思います。
このベトナム側の出しました資料には、貿易につきましては金額をあげております。たしか八億ドルか九億ドルになりましたか、その他の生産の減退につきましては、数量だけをあげております。インフレーションにつきましてはこの比率をあげております。生計指数といいますか、物価指数をあげておるというふうなものでございますが、衆議院における説明の際にも、これじゃわからぬじゃないかというあれがございましたので、最後の一年を、時価でもって取ったものを作ったわけでございます。 それから、われわれは先ほども申し上げましたが、向うがよこした資料の範囲内でそれを検討している。それを検討いたしましても、この最後の一年で、たとえば貿易でみれば二億何千万ドルという貿易
年次別につきましては、すでに八月二十五日からの約一年間ということは、はっきり申し上げている通りであります。 地域別につきましては、そういう米とかゴムとかは南である。米ならば、大体サイゴンの南が虫でございます。そういうことでサイゴン米と言われておるのであります。ゴムにつきましても、ほとんど大部分が南でございます。それから工業生産、その他マイニング、それからインダストリー、これらは北であるということは、たびたび説明いたしております。
戦争損害は、向こう側の言っておりますものだけに限りまして、ここにお出ししているわけでありますから、これを基礎にして、御審議願いたいというわけであります。
御提出できる資料は、これしかございませんわけでございます。 そして、一つわれわれが御審議願う際に、このベトナムの損害というものと、インドネシアの損害というものが、非常によく似ておりますので、これと同じような意味において、御審議願ったらいいのじゃないか。こう考えます。
先方の資料によりますと、最初大体二億ドル程度の通貨が、終戦時にはたしか十八、九億ドルになっておる。サイゴン地帯におきまして物価指数が約五倍になり、北方におきましては二十八倍になったというふうなことを申しておりますが、これによります損害額が幾らであるというふうな数字は出しておりません。こういうふうな物価の高騰によりましてベトナムの民衆が経済的に苦しんだということは確かであると思いますが、これを幾らに算定するということは、なかなか困難であると考えます。
どれどれをどういうふうに算定の中に織り込んだというふうにはわれわれは計算いたしておりませんが、確かに、これによって苦痛を与えたとか、ある種の損害を与えたことは事実であろうと思っております。
南ベトナム全土において行なわれたわけであります。
ジュネーブ協定のあとでございますから、現実に議員が出ていますのは南ベトナムから出ておるわけであります。
事実上の問題と法律上の問題は違っておるわけでございます。
ベトナム共和国の憲法にはベトナム全土を代表すると言っておりますけれども、事実問題としましては十七度線以南におるわけでありますから、これはやむを得ないことだと存じます。