そういう事実については私はよく存じません。
そういう事実については私はよく存じません。
二億五千万ドルの金額が出ましたのは、たしか五三年の七月三十七日の会議において、沈船の交渉をいたしておるときでございます。
沈船の会議は、ずっと九月まで何回もやっております。
五三年の七月二十七日だと思います。いずれにしましても五三年の七月中でございます。
当時から向こうは、この沈船協定の交渉をやっておりますときに、百万ないし二百万ドルの沈船引き揚げというものを初めから申し出ております。その際に、賠償総額の一ないし二%に当たるというふうな注釈をつけております。それに対しましてわが方は、とてもそんな二億五千万ドルなんという数字は問題にならないということを、繰り返し主張いたしておりまして、結局合意議事録におきましては、ベトナムの賠償はベリー・スモールであるということをこちらが言っております。それに対して向こうは、ただテーク・ノートするということで、二億五千万ドルの数字を引っ込めてはおりません。ただ交渉に当たっておりましたわが方の交渉の当事者にいたしますれば、なるべくこういうものでもって少な
沈船につきましては五三年に交渉があったわけでございます。それから純賠償につきましては一九五六年の一月から始まっておりますが、この沈船の交渉の経過におきましても、向こうは二億五千万ドルというふうな数字を出しますし、わが方はベリー・スモールであるというふうな発言をいたしておりますから、このころからすでに純賠償につきましても前哨戦が行なわれておったというふうなことは言えると思います。純賠償につきましてのほんとうの交渉というものは、五六年の一月からでございます。
今の二億五千万ドルの要求が出ましたのは、五三年七月二十七日と申し上げましたが、これは先方の土木局長であるジエムというのが申し出たわけでありまして、これは本国に帰りまして、本国政府の意向として持ってきたのであります。わが方の当事者は大野参事官でございます。 それからただいまのお話でございますが、すでに平和条約の調印の際に、向こう側は大きな賠償要求をするということを申しておりますし、ほかの国との関係におきましても、日本とフィリピンにつきましては、すでに一九五一年一月に、津島さんが向こうのエルサルデ外相との間に話し合いを始めております。またインドネシアにつきましても、五七年の十一月にジュアンダ外務大臣と津島さんとの間に、やはりそういう
ベトナムのチャン・ヴァン・フー首相でありますが、五一年九月七日に次のような趣旨の演説を行なっております。日本の手により被害をこうむったものが賠償を受ける権利を明示しているが、主として役務提供の形式により与えられる賠償は原料をほとんど持っていないベトナムにはあまり役に立たない。日本と同じようにベトナムはその経済再建のために大量の資本導入を必要としている。従って役務提供による賠償を受けることは法定通貨でない貨幣を受け取ると同じようなものである。ゆえにわれわれは他のもっと有効な支払い形式が研究され、規定された手段に加うるに通常の賠償を特に期待していることを要請しなければならない。ついで九月十八日には、ベトナムは日本に対して少なくとも二十億
私が申し上げておりますのは、ベトナム側が平和条約を批准するときからこういうふうな考え方を持っておる。それが表明されておるということだけを申し上げております。
北ベトナム側は、何べんもいろいろな声明において反対しております。たとえば五七年十一月二十六日北ベトナム外務省声明がございますし、五八年二月十二日……。
南北を含めて全ベトナムは第二次大戦中日本軍に占領されたため、人命及び財産について多大の損害を受けた。従って北ベトナムも賠償を日本に請求する資格を有する。日本政府と南ベトナム当局との個別的交渉は正当なものではない。ジュネーブ協定によって南ベトナム当局は日本に賠償を請求するために全ベトナム人民を代表する資格を持たない。北ベトナム政府は対日賠償請求権を留保する、こういう同じような声明を何べんもいたしております。 その次は、北ベトナム労働党機関紙社説、日本は南ベトナム当局と一方的賠償交渉を行なうことによって、全ベトナム人民の合法的利益を侵害しておる。北ベトナムは日本と南とのいかなる協定をも容認しないし、日本に対する賠償請求権を留保する。
最初にちょっと戸叶委員にお断わりいたしまして、せんだっての松本委員の御質問に対して、留保しました点、調べた上で御回答申し上げると申し上げました点を御回答いたします。その技術協力会社とベトナム国防部との契約書の問題でございますが、これは会社の方で公表したくない、こう申しております。それでこれは差し上げるわけに参らないわけでございます。それからベトナム共和国の軍事基地所在地を示した地図をここにお示しになりまして、わが方の調べとどうかという御質問がございました。これはサイゴンの久保田大使からよこしておりますもの、これは北越の、北ベトナムの放送をもとにして作ったものでありまして、それと完全に一致しております。その次に東洋精機の銃弾工場、これ
それからただいま御質問がございました三月十一日かに、バオダイが一応独立みたいなことを申しました。この日本との関係でありますが、これはいわゆる国際法上の関係というふうなものは全然ございません。事実問題として、バオダイにある程度の内政をまかしたというにすぎないのでありまして、国際法上の関係というものは何らございません。
私が承知をしておる限り、その当時は土橋司令官が総督というふうな地位を兼任しておりますし、アンナン国というものに対しては、これは何らそういうふうな大使館としてこれと交渉するということもございません。軍が要するに最高顧問を出したという程度でありまして、原住民との関係をうまくやるために、内政の一部をなるべくまかすようにしたという程度でありまして、法律上の問題はございません。
土橋中将もこの間言っておられましたが、要するに現住民との間の摩擦を少なくするために、まかせるものはまかしておくというのでありまして、この政権を将来育て上げて独立国にするとかいうふうな考えではなくて、実際問題として円満にやらせるという程度の軽いものだったということを言っているわけであります。
事実は今申し上げた通りでございますから、これを何と呼ぶかは呼び方だと思います。
当時のアンナン国とフランスの間には、別に何も関係はないと思います。
先方も、向うのこの文書は発表してもらいたくないと言っております。
先方の文書は四月に参っておりますが、その中ではベトナムには全然触れておりません。自分よりも賠償額が多い国のことだけを問題にしております。これははっきりいたしております。(「局長じゃなく、外相を出せ」と呼ぶ者あり)
岸総理が行かれましたときは、ただこういう問題はお互いに早く解決しようという一般論だけでございまして、十二月に植村さんが行かれたときにこの具体的な数字が出ておるわけでありまして、そのときも話し合いはついておりませんでしたが、植村さんが提案したあくる年のたしか三月になりまして、向こうが受けてきたというのが実情でございます。