われわれは軍がむちゃをやって餓死者を出したということは申しておりません。北部におきましても南部におきましても、軍の米の調達は行なわれておりました、ずっと。それから、北部におきましては、異常な冷害、水害がございまして、例年ならば参ります南部の米が十万ないし十五万トンの米が、交通が杜絶したために来なかった。そういういろいろな原因によって餓死者が出た、こういうふうに考えております。
われわれは軍がむちゃをやって餓死者を出したということは申しておりません。北部におきましても南部におきましても、軍の米の調達は行なわれておりました、ずっと。それから、北部におきましては、異常な冷害、水害がございまして、例年ならば参ります南部の米が十万ないし十五万トンの米が、交通が杜絶したために来なかった。そういういろいろな原因によって餓死者が出た、こういうふうに考えております。
戦争が行なわれました総合的な結果ということは言えると思います。もちろん、その際に水害とか冷害というふうな天災地変的なものが入っております。
爆撃は主として米軍でございます。もちろんシナを根拠地としての爆撃も激化しておりましたが、一番ひどかったのは、艦載機並びにフィリピンが落ちましたあとのフィリピンを基地とする爆撃でございます。そうしてこれによっての損害の大きなものは埠頭、港湾施設、船舶、鉄橋、鉄道、その他の工場等も多少ございます。
損害の具体的な数字はございませんが、鉄橋等のおもな破壊場所、それから爆撃回数等は調べております。
先ほどの通貨の量につきまして私からもう一度補足説明をいたします。一九三九年の流通量がドルに直すのですが、二億一千六百万ドル、これが一九四五年には十九億八千八百万ドルというふうになっております。大体南におきましてインフレーションのあれは五倍でございます。そして北部におきまして約二十八倍というふうなことになっております。 それから、ただいまのお話でございますが、これは本日の証言にもございましたが、現地の現地住民と軍との関係は非常に円滑にいって、軍が非常に注意をしておったということは本日の証言にもございました。インフレになっておりますが、またインフレのときにはもうける人もありましょうから、そういうにぎやかな生活もあったと思います。
われわれが戦争状態と申しております最後の一年につきましては、石炭は一九三九年を基準にいたしまして、平常の状態であれば出るべかりし量に比較しましてこれだけの減少があったというふうな計算でございますが、これは先方の出しておる数字でございます。それによりますと、石炭につきましては二百二十万トン、亜鉛につきましては十一万トンというふうな数字が出ております。石炭を現在トン当たりの値段で直しましても、三千四百万ドル近く、あるいは亜鉛にいたしますと三百万ドルぐらいになるわけであります。これを直ちにこのままに算定するというわけではございません。先方が言っておる数字によりますと、そうしてそれを換算しますと、こうなるという数字でございます。
そうした報告は受けておりません。
残留と申しますと、引き揚げずに残ったということですね。
その数字はあまりはっきり存じません。土橋中将が、兵隊で行方不明になった者があるので、これらを二十四年か二十五年でありましたか、集めて帰られたという事実があります。千名以上か、二千名以上でございましたか、ちょっと数字は今覚えておりません。その数字は調べればわかります。
われわれは賠償交渉をやりました際、過去ビルマに払いまして以来、そういうふうな、どれに対して幾らというふうな算定はいたしておりません。全体としてわれわれが払いますよりもずっと上回る損害があったということだけははっきりいたしまして、どれを幾らというふうなことを交渉の間においてお互いに算定するというようなことは、一切いたしておりません。
賠償交渉の性質としまして、そういうふうに、どの損害をどう算定するというふうなことは、一切いたしておりません。いろいろほかの観点が入っております。負担能力とか、それから他国との均衝とか、あるいは向こうの経済復興に寄与するとか、いろいろな観点から交渉いたしておりますが、われわれとしましては、大体向こうが二十億ドルといってきておりましたが、それを幾らに算定するというふうな数字は、これは一応腹の中にありましても、外交交渉の対象になった問題でありますから、申し上げにくいことでもございますし、もちろん三千九百万ドルよりは、もっと上の数字がわれわれの算定には出てくるわけであります。
けさの新聞にそういうふうな記事が出ておったことは認めますが、これはまあ新聞記事でございます。そういうふうな意味ではございませんで、これは折衝の結果まとままるものだという意味で、幹事長がもし言われたとすれば言ったのだと思っております。
文書で参りましたもののうちの数字を引用したものでございます。文書の中に数字がございます。その数字を引用いたしました。
全文と申しましても、最初の文章は非常に簡単なものでございまして、ずっとあとがやや説明を加えつつ数字が入っておるという状況でございます。全文につきましては、文書の最初に外交交渉の経緯が入っております。これは多少極秘に属する部分がございます。文書の最初に小長谷大使との交渉の経緯を一ページほど述べておりますが、この辺は交渉の経緯でありますから発表できない点がございます。あと数字につきましては全部この中から引用してございます。
数字は先方が出した数字そのままでございまして、四四年九月から四五年八月の一年分の換算は、外務省がいたしたものであります。
最初に出しましたものは、向こう側から参りましたものの数字を引用したものであります。二度目に差し上げました詳しいものは、御質問に応じまして最後の一年分を計算したものであります。それは外務省が計算した、こう申し上げております。
二度目の資料は最近作ったものであります。(「最初のものは」と呼ぶ者あり)最初のものは、交渉の経緯において先方が提出したものであります。
交渉の際には、先方が提出しましたこのエイド・メモワールというものを基礎にいたしまして、交渉当事者が、あるいは外務省の当時の関係者が個々に判断をしてやったものと思います。
最初にお出ししましたベトナム側が出した数字は、交渉の際に使われた数字であります。
全額と申しますと、要するに二十億ドルとして内訳を出してきたわけであります。それが交渉に際して使われたものであります。