ただいまお話がありました技術協力会社等については、われわれの方も承知いたしております。人的関係がどういうふうになっておるかというところまでは存じませんが、会社そのものがどんなものであるか、現在どういうことをしておるかということについては承知いたしております。現在向こうでやっておりますのは、船舶並びに小さい艦艇の修理の技術指導をやっております。
ただいまお話がありました技術協力会社等については、われわれの方も承知いたしております。人的関係がどういうふうになっておるかというところまでは存じませんが、会社そのものがどんなものであるか、現在どういうことをしておるかということについては承知いたしております。現在向こうでやっておりますのは、船舶並びに小さい艦艇の修理の技術指導をやっております。
一九五八年度の軍事費は六十億ピアストル、一九五九年度は六十億一千七百万ピアストル、一九五九年度も大体同じ予算になっております。
一九五七年の予算が百四十一億ピアストル、それから五八年が百四十三億ピアストル、そのうちで軍事費が六十億になっておりますから、約四〇%くらいになりますか。
アメリカの経済援助につきましては、昨日ですか、話しましたが、軍事援助につきましては、これは申し上げられぬと申しております。
その数字につきましては、われわれの数字とちょっと違っておるところもありますから、いずれはっきりいたします。
私の方も、サイゴンの大使館から北越放送に基づいて作りました、ほとんどこれと同じような表を持っております。どこが違いますか、あとでよく比べさしていただきます。
ちょっと見ましたところは、ほとんど同じだと思いますが、調べてみます。
ただいまおっしゃいました議事録は原文のままでございます。ここに原文の印刷したものがございますから、ごらんになればわかります。その通りでございます。九月四日にきまりましたのは、この合意議事録だけでございます。それで、おっしゃいました点は、ジェム局長が初め参りまして、こちらからいろいろ質問をいたしまして、七月初めに、たしか九日と思いますが、——本国政府に問い合わせてもなかなか返事がこないので、一度向こうに帰ったのであります。それから帰って参りまして、七月二十日の会議におきましてわが方の質問に答えているわけでありまして、これは議事録というふうな形では残っておりません。たとえば損害総額はどうかというのに対しては、それは二、三日うちに出すとい
資料としてお出しするようなものでございませんで、会議の応答のうちに行なわれておるものであります。資料という質のものではありません。交渉の経過においてそういう返事が出ております。たとえば資格はどうかという点につきまして、初めはフランスとベトナムの関係がジェムにはっきりしていなかった。ところが帰って参りまして、自分が代表として交渉するんだ。戦争損害につきましてはこれは追って出す。それから戦争開始時期につきましても、初めははっきりしておらなかったようでございますが、フランス同様十二月八日ということをきめたというふうなことをこのときに言っておるわけであります。それだけでございます。
ベトナムが出しました資料は四〇年から四五年に及んでおりますので、それを私の方で最後の一年分だけをそこへ出したわけであります。向こうの資料に基づきまして、私の方で計算したものでございます。
換算いたしましたのは、われわれがいたしたのでありますが、換算の基礎としましては、月別平均をとったということは申し上げております。 それから人的損害につきましては、これは私が最初資料を出しましたときに、堤委員でございましたか、一年分を出せというお話がございましたので作って差し上げたものでございまして、人的損害等につきましては、四四年から四五年にかけて起きたものでありますから、これを割るということはございません。ただ百万を日本側でどう見るか、これははっきりいたしません。まあ二十万か三十万かというのが常識のようでございます。この点につきましては、口頭で御説明いたしておりますから、これはそこに書いてございません。 それから通貨につき
最後の点から申し上げますが、交渉当時からベトナムが出しましたものを持っているだけでありまして、提出できるような日本側の資料というものはございません。 それから今のインフレーションの問題でございますが、この五年間を最後の一年に分けて、それがどういう損害になるかということは、なかなかむずかしくて政府として出せませんから、出しておらないわけであります。ですから、政府として計算のしやすいものだけを、この間も計算して御説明いたしましたが、出せと言われたので差し上げたわけであります。(岡田委員「これは妥当という意味で出されたわけですか」と呼ぶ)妥当という意味よりも、先方も不完全な統計で、統計を当たっても数字の残っておるものは少ないから、数字
最初から日本政府が査定したような資料はないということを申し上げまして、先方の資料を提出するということで先方のものを提出したわけであります。そうしましたら、年度が五年になっておってわかりにくいという御要求がありましたので、それで最後の一年のものを計算して出したのでありまして、計算に関する限りは、われわれが最も適当と考えられる数字をとって計算しているわけであります。 それから餓死者につきましては、先ほど申し上げました通り、向こうは百万と言っております。これは年度の関係はございません。ただ百万を二十万か三十万か——これもみんなの意見を聞いたわけでありますが、どの辺が妥当かということはなかなかむずかしいのでありますが、多くの人の判断でも
賠償交渉のときに特別に使ったというふうな資料はございません。従って、それ以外に御提出するものもございません。
数字がはっきりしたものがございませんけれども、たといば最も大きい調達でありました米について見ますと、大体年間七十万トンを買っておるというふうな数字が出ております。そのほかに買いましたものといたしましては、家畜類、食糧などが多いのでありまして、また当初はゴム等も買っております。米が一番大きい調達物資である、こういうふうに考えております。
先方があげております貿易の減少は、米につきましては約百四十万トン、これのカンボジアとか——はっきりいたしませんけれども、統計が仏印三国を含んでおりますので、大体二割をほかの国にいたしまして、ベトナムを八割と見ておりますから、その八掛といたしましても、その差額になるものはこれは貿易の減少と見て、そのうちから日本軍が買いました米は、外に売るかわりに日本軍が買ったのでありますから、百四十万トンと見まして、その八掛、それから平常時は大体初めのうちは七十万トン買っておりましたから、その差額というものは貿易の面で結局売れなかったというふうな数字になってくるわけであります。最後の年をわれわれは問題にしておりますが、その最後の年は、外には運べません
もちろん日本軍が買いまして、正式に払いましたものを賠償の対象とは考えておりません。ただ標準価格というふうなもので買っておりましたが、やはり当時、最後の年になりますと非常にやみ価格が出ておりますので、そういう差額は、これは一つの損害ということに農民にとってはなると思います。
その、軍が買いまして特別円で解決しましたものは見積もっておりません。
三千九百万ドルというものはどれとどれというふうには考えておりませんで、お手元に出しております資料も、これは不完全なものでありまして、向こうがあげております統計だけをとっております。統計を見ましてもほかに資料がないのでありまして、やむ得ないのでありますが、こういうものから察しましても、今のような軍の調達とか何かを引いて参りましても、三千九百万ドルよりははるかに大きな数字になる、こういうふうに考えておるわけであります。
四十九カ国のうちベルギーだけが南を承認するということをはっきりつけ加えております。その他はそういうことは申しておりません。