サイゴンに餓死者が出たということは聞いておりません。
サイゴンに餓死者が出たということは聞いておりません。
いわゆる北部のような意味における餓死者が出たということは、聞いておりません。
この仏印におりました部隊の数は、ときどき変わっていると思いますが、われわれが調べましたのでは、大体定員にすれば八万くらいの予定になっておりますが、終戦時には南支からも入ってきておりますし、多少ふえているのじゃないか。その八万が大体兵団の兵力で出ておりますので……。一個師団幾らというふうに。これが多少減っておるかと思いますが、われわれが調べました範囲では八万、こういうふうに思っております。
御質問がちょっとよくわかりませんでしたが、各地区別の兵力というものは調べております。
その点は、それほどはっきりいたしません。
御参考までに申し上げますが、英国の政府の外交文書がございます。その外交文書集、その中に、英国政府はベトナム民主共和国、それからベトナム共和国という言葉を並べてこのジュネーブ協定の関係で使っておりますが、それに加えまして注釈を加えまして、このベトナム民主共和国という名称を使うことは、英国が南のベトナムをベトナムのただ一つの正統政府と認める政策に何らの変更を来たすものでないという注釈をつけておりますから、日本の政府も英国的なこういう解釈に立っているわけであります。
今回の賠償協定が承認されまして実施を予定されておりまする計画には、何ら軍事的なものはございません。われわれとしましても、ジュネーブ協定の精神というものは十分考慮しております。
ですから、今度の賠償協定によって実施されるであろうものには何ら軍事的なものはない、政府はこう確信しておるわけであります。
モーラル・オブリゲーションといいますか、そういう精神は尊重してものを考えておるということは、総理もたしかおっしゃったと思います。
南ベトナム側から言わせますと、北越のあの制度のもとでは自由選挙は絶対に行なわれない、こういうふうに南ベトナム政府は言っておるわけです。
南と北が当事者でありまして、その南が、行なわれない、そういうことでは自由選挙は行ない得ない、こういっておりますから、当分行なわれないだろう、こういうことになるのでありまして、また、英国、ソ連両方のチェアマンでありますが、これも、この状況では当分行なわれないだろう、そういうことをいっておるわけであります。
そういう言説を認める認めぬというよりも、実際問題として当分行なわれないだろう、そういたしますと、今度は別の条約上の義務というものが観点に、考慮に入ってくるわけです。
日本自身は自由陣営に立っており、従って判断もその方から出てくるわけであります。
同時にフランス政府とサイゴンに対しまして、ベトナム政府に対して調査をいたしました。両方に照会をいたしました。フランスの方からは、今までお答えしておる通りの回答がきているわけです。ベトナム政府の方は、正式な全権として出ておるのである、それについてとやかく言われるのは不愉快である、こういうことで答えないわけです。それで久保田大使はその点について調査をいたしまして、やはり二重国籍であるという報告が参っております。
御説明いたしますと、サイゴンのベトナム政府の方は返事をいたしませんから、フランス政府の返事を申し上げたのでありまして、(「休憩、休憩」と呼び、その他発言する者多く、議場騒然)それからそのベトナムの方はそういうふうに返事をしないから申し上げなかったのであり、またその後私は何べんも手をあげましたけれども、ちょっと立つ機会がございませんでして、ただ申し上げる機会がなかっただけでありまして、何もそういうことを隠していることは全然ございません。
大丈夫でございます。
交渉が始まりましたのは、たしか五十三年の六月だと思います。そして九月の十何日かに仮調印をいたしております。わが方で交渉に参加いたしましたのは、大野参事官、ただいま英国の大使、それから卜部アジア局第三課長、重光条約局第三課長、この三人でございます。
要するにほかの国、フィリピン、インドネシア等ともその少し前から沈船の引き揚げの交渉をいたしておりました。そこで同じような形でベトナムともいたしたわけであります。これにからみまして、どういうふうに沈船のあれを見るか。先方は賠償要求総額二億五千万ドルの一%ないし二%というふうなことを言い、当方としましては、そうじゃないんだ、沈船というもの、これも賠償額のある程度の部分にしたいのだというふうなことを言ったりしておりますが、そういう点はございますが、その他の点では交渉経緯と申しましてもそれほど別に変った点はありません。
国々と申し上げましたのは、私はフィリピン、インドネシアのことを申したのでございまして、この場合は、こちらは大野、先ほどのあれでありまして、先方の当事者はフィン・バン・ジェム土木局長、ル・ジェニセール仏臨時代理大使、ドジャン仏大使館一等書記官、こういうのがベトナムから出て交渉いたしております。
どうも私自身よく読んでおりませんので申しわけございませんが、日本側は奥村当時の次官、向うは今のフィン・バン・ジェム、そういうふうになっておりますが、あるいはほかにフランスの人がやったのがありますか、ちょっと私調べた範囲ではそういうふうになっております。