どの程度にわかるかわからぬとおっしゃいますけれども、これは七月三十日から始めておる。もうすでに相当時日を経過した問題である。それから上院の外交委員会における査問委員会ですから、お調べになれば詳しくわかることは当然だと思います。それを一つお約束を願いたい。
どの程度にわかるかわからぬとおっしゃいますけれども、これは七月三十日から始めておる。もうすでに相当時日を経過した問題である。それから上院の外交委員会における査問委員会ですから、お調べになれば詳しくわかることは当然だと思います。それを一つお約束を願いたい。
外務大臣はこの査問委員会のあったことを、その内容を何も御存じないのですか。
これは今われわれが南ベトナムの問題を審議しており、しかもその賠償なり、技術援助なり、協力なりというものが非常に問題になっているときなんです。私たちがこの問題を重要視するのは、アメリカにもそういう問題があるので、それとの関連においていろいろ問題が出てきておるので、非常に重要視しているわけですから、ちょうどこの調印がなされたころからこの問題は再燃をしているわけですから、ほとんど御存じないというのはまことに心外ですが、あるいは非常によく知っておられながら問題が厄介なこんがらがってくる問題になるので、知らぬとしらを切っておられるのかもしれませんが、まさかそんなことはなさらないと思いますが、いずれにしましても、今申し上げたような詳しい調査と、
ゴ・ディン・ジェム氏がアメリカによってバオダイ政権の中に引き出され、それがどういう経緯をたどって、ゴ・ディン・ジェム政権とかわっていったのか。特にその間においてアメリカとフランスの関係がどういうふうになっていたのかという点を、もう少し詳しく正確に御説明を願いたい。
その程度のことならば、今の中学生でも知っていることなんで、そんなことをここでわざわざ聞いているわけじゃない。ゴ・ディン・ジェムがバオダイにかわってからアメリカとの関係がどうなったのか、あるいはかわる推移においてアメリカがどういうふうにしてそれを引っぱり出してきたのか。それを契機として日本と南ベトナム政権との関係が非常に緊密になり、さらに賠償交渉が積極的に展開をしていったというのが、後ほどいろいろお聞きしますが、事件の推移だと思う。今申し上げた通りに質問をしているのですから、同時にさっき申した査問委員会の問題がここから発展をしている、そうしてそれが日本に関連を持ってくる、そこのところを私たちは明瞭にしたいので、今申し上げた点を特にお尋
どうも今その程度のことならば、今申し上げたように中学生の知識であって、そんなことをここで貴重な専門家の皆さん方にお尋ねしようとは思っていないのですよ。それなら町に行って街頭録音で中学生に聞けばわかることなんです。日本政府が特にそのころになってから非常に緊密に協力関係その他を打ち立てるものとして関係を急速度に結んでいかれた。そうしてわざわざ総理が訪問までされて交歓されたその相手方。私は、政治的な関係がどうだとかこうだとかいうことまで、根掘り葉掘り聞こうとは思いません。それは、あなた方の事実の説明から、私自身が判断をいたします。ただ、事実としてその推移関係がどういうふうになったのかということをお尋ねをするわけです。
それで答弁になるとお考えですか。それじゃ、もう少し具体的にお聞きしますが、ゴ・ディン・ジェムが政権に引っぱり出されたのはいつですか。
そうじゃなくって、バオダイ政権が……訂正されますか。訂正して下さい。
バオダイ政権が内紛を起こし、いろいろ問題が起きて、そして腐敗堕落の極に達した。そういう面がいろいろ問題になって、しかもフランスが非常に弱り果てたそのときに、前から経済援助、軍事援助で相当関係をしていたアメリカが、今おっしゃったように、一九五四年七月——それ以前に引っぱり出す工作をしておると思いますが、五四年七月にゴ・ディン・ジェムが首相に就任をした。そのゴ・ディン・ジェムという人はどういう前歴の人であり、特にアメリカとの関係はどういう関係の人だというふうにお考えになりますか。お調べになっておりますか。
どうもそういうことじゃ、きょうの質問は進められないですがね、委員長。少なくともその程度のことは……。大体、一番重要な点ですよ。戦争の始期その他も重要かもしれませんけれども、ごく最近のことなんですから。
今ちょっとお話のように、前は何をしておりました、前は。のがれる前、かつて……。
これでやれますかね、委員長。これはどうしますか。まだほんの序の口ですが、これは。
実は、非常に意地悪いようですが、私、ヴィェトナム便覧で大体のことを見たのだけれども……。だから、その程度のお答えぐらいはあるかと思ったんだ。そのヴィェトナム便覧が、実はここのくだりは非常に晦渋でわからないのですよ、私自身。私自身がわからないものだから、これをお書きになり、これを主幹しておられる責任者は、もっとそこいらをよくおわかりになっていて、ただ筆者があまり上手でなかったので、こういうふうに晦渋だからわからないのだろうから、まずここのところを明瞭にして、それから本題に入らなければ、私にも正直のところそこがはっきりわからないのですよ。そこで責任者、当局者にもう少し聞きたい、打ちあけたところそうなんですよ。実に、ここのところはわからな
そのゴ・ディン・ジェムが亡命をしていた、アメカリに亡命をしていたというのは、いつからいつまでですか。
その前に政治的な経歴としては。
私もそこのところがわからないのですけれども、元内務大臣をやって、非常な弾圧をやった、民族運動に対する非常な弾圧をやったということがいわれていたり、いや、それは大臣じゃなかったのだというようなこと等がいわれておるのですが、そこのところがはっきりわからない。それは正確にはどうなんですか。
そこのところが、私にもはっきりしないので判断がつきかねるのですが、今の皆さん方のお話を聞くと、これは元来ユエ王朝のときに内務大臣として、しかも、総督の推薦まで受けて採用をされて非常に弾圧政策、強権政策をやった警察官僚的な人物、それがその後、今お話もありましたように、いろいろな関係から退けられて、フランスに関する限りは反対という形で反仏運動をやって、そういう意味で民族主義者としての一面を持っているという形、同時に、しかし、アメリカに亡命をして、しかも、アメリカではダレスの庇護を受けて亡命をして、そして依然としてフランス植民地主義に反対をしていた。ただし、フランス植民地主義に反対をしていただけであって、現地の広範なホー・チミン政権その他
その点はなお外務省の方でお調べを願って、あともっと、今、非常に不明確でありますから、正確な調査に基づいた資料その他によってもう一度この問題に返って参りますが、従って、そういう意味で留保しておいて次に移りますが……。
私は、そういうことを即座に、局長が全部御存じになって即座にあれしろとは申しませんよ。それはこの調査でこうなっていますというくらいの答弁はここでできるように、資料なりなんなりはおそろえになって持ってきていらっしゃるのが当然であろう、少なくとも事務当局なり政府委員としては。そういう感じがしますので、さっきから不満を言っている。どうもほんの入口のところであまり引っかかっておりますと本題になかなか進みませんから次に入ります。 次に、そういう性格のゴ・ディン・ジェムが今お話のように一九五五年十二月二十三日、国民投票によって国家主席にあらためて当選をして、それで完全にゴ・ディン・ジェムにかわった。そうして、先ほど十月二十六日とおっしゃったが
そうすると、これはおそらく、便覧で見たんだから、便覧が間違いですね。便覧も十月となっていますね、これは私の間違いです。そして、この辺からフランスとの関係がいろいろ複雑になって参るのですが、しかも、その前に国民投票その他において、アメリカ側が手を入れたり、いろいろな問題が錯綜してきておりますが、これらももっと詳しく御説明を聞きたいと思いますけれども、先を急ぎますから、他の機会に譲って、さらに参りますが、その後フランスの軍隊とそれからゴ・ディン・ジェム政権の軍隊との関係がどういうふうに変わっていったか、さらに、アメリカ側の軍関係がどういうふうに変わっていったか、どういうふうになっておりますか、その辺の御説明を願います。