東南アジアを回られましたが、どういう任務をもって、どういう資格で回られました。
東南アジアを回られましたが、どういう任務をもって、どういう資格で回られました。
植村さんをその後特使にお使いになり、全権に起用されてその辺の経緯がはっきりしない、そこいらから問題の間違いが出てきておるのです。どうも大臣、そこいらがはっきりしないということはまことに私不満足ですが、特にこれまであの問題が非常に議論されていて今に至るまでまだそのときがどうだったか思い出せない、知っていて白ばくれておられるのならば非常に悪質だし、そうでないとすればあまりにものんき過ぎるし……。それじゃ政府委員の方がよく御存じのようですから政府委員に……。
そのときの外務省との関連はどうなんですか。
当時伝えられたところによると、植村さんが一九五六年三月に東南アジアに行かれた。これは特需——植村さんは御承知の通り、経団連の防衛産業何とか委員会ですか、の委員長、そうして特需がだんだん少なくなるので、その特需を補充するために、そういう軍需商品の輸出市場調査、それを特殊な使命として行かれるんだ、そうして、そういう調査を外務省が公用旅券を出して頼んであるんだ、こういうふうに伝えられておるが、大臣、その辺のいきさつはどうか。
それじゃ、もっと別な点からお聞きしますが、日本のいわゆる特需なるものが、植村さんが行かれるまでの前後を通じて、実績としてどういうふうになっていたか、どういう問題をはらんでいたか、これと、今のベトナムの話し合いのきっかけとが非常に問題になりますので、これを一つ御説明願いたい。
日本からアメリカ軍が撤退したのは、例の、あなたが行かれたとき——あれはいつになりますか。
そうすると三十三年からですか。
それで、はっきりわかるのですが、事務当局の手元には、特需は例年どういうふうに推移してきたか、ちょっと正確な数字を出していただきたい。
三十三年度実績は幾らになっておりますか、もう一ぺん済みませんが。
それで大体わかるんですが、今お話しの通りに、昭和二十七年がピークで八億二百万ドル、特需が非常に多かった年で、貿易上の収支のあれをこれでカバーする非常に重要な機能を果した。それからだんだん減って、今お話しのように六億台になり、三十一年、植村さんが、さっき問題の植村さんが市場調査に出かけられる三十一年から三十二年にかけては、五億台を割ってしまうだろうということが非常に心配をされ、同時に、今お話しのように、アメリカ軍の大量撤退があったために、こういうものも関連をして五億ドルを割ってしまうだろう。そこで、この特需を何とかカバーしなければならないし、それは国際市場に、特に東南アジアに、しかもアメリカのICA資金をバックにして、むしろ国外に出て
そこはいろいろ見解の相違になりますから、他日に譲りますが、それならば、それであのときの調査団として、ベトナムではどういうことを話され、この間からの説明によると、側面的に援助をされたというが、どういうふうな援助、どういうふうにやってもらいたいということが外務省のお話だったのですか。
どうもそうでないのですが、事実を繰ってみるとそうでないのですが、それは後ほど質問を申し上げることにいたします。 それならば、そのころから外務省は、ICAとの関連において、どういうことをやり、特にアメリカのベトナムの軍部当局というか、あるいはICA、あるいはMAAG、TERM、それらとどういう交渉をし、それと日本との間にどういうふうな問題を持ち込んでこられたか、その辺のいきさつをお伺いしたいと思います。
すると賠償部の方もわからんですか。これはどこで……。
すると、たとえばベトナムのアメリカの大使館あるいはICA、MAAG等から日本のアメリカ大使館に話があり、日本のアメリカ大使館から日本の外務省に話があるとすれば、どういうところが直接の担当部局になりますか。このころICA、MAAG等いろいろなあれをやっておられる……。
これ以上問答を続けても……。ではその事実を一ぺんはっきりした上で、大臣のいろいろな御意見なり、御所見を聞きたいと思っておりますが、そんなこまかいことを大臣に聞いて大臣を困らしてみても意味のないことですから……。
これからその問題に移っていきますので、そこからさらに発展さしていきたいのですが……。
それはいいですね。はっきりそのところはさせておいて下さい。
関連。そうしますと、その点はお配りを願ったベトナムの主残する戦争損害及び苦痛の中に、「主として米軍の爆撃による港湾埠頭施設の破壊、鉄道の路線の寸断等が相錯綜した原因となって、」いるという主張をしているんですが、この主張、今の問題に関する限りは、この主張をそのまま日本側としてはお認めになって、その上で損害をお考えになっている、こういうふうに了解をしていいということですね、金額その他は別ですよ、考え方としては。
ちょっと。その人的損害ということについて、常識的にいろいろ勘案してみてというお話ですが、一体その常識的というのが、まず飢饉による餓死者を戦争の損害と、直接にしろ間接にしろ、戦争の損害なんといって賠償の対象に取り上げていいかどうかということが、まず第一に問題だと思うんです。そのことはもう少し後に言いますが、その前に、かりに餓死者を取り上げるとしても、あなた方のお話によると、向こうからは一九四五年の飢謹で百万の死亡者があったと言っておると、こう言われる。ところが、これは先に衆議院でも問題になりましたが、つい二、三週間前ですか、シンガポールでベトナムの外務大臣は、今でも、いや、あれは二百万だったんだということを言っておる。それに対して、あ
つまびらかにしておりませんと言ったって、それらも勘案して、初めて常識的な数字は、もし出すとすれば出るんですよ。それを今つまびらかにしておりませんと言うのじゃ、答弁にならないじゃないですか。これは簡単なことなんです。あなた方が出しておられるベトナム便覧その他にも、よく書いてある。大体、最新のやつによると、死亡、行方不明が九万。八年間の内戦の結果ですよ、死亡、行方不明は九万だ。八年間の内戦の結果がこれだけであるのに、たった一年足らずの間に、餓死者が百万だとか、いや、それをうんと小切っていって、二十万だろう、三十万だろう。その開き自体が非常識なんだが、まして今言ったような数字から見れば、これは非常識きわまるものです。それをそのまま取りませ