それならば飽くまでもやはり初手方はどう考えようととにかく戦争というものはできないんだ、自衛のためであろうと戦争はやらないんだということは確守されるんですか。
それならば飽くまでもやはり初手方はどう考えようととにかく戦争というものはできないんだ、自衛のためであろうと戦争はやらないんだということは確守されるんですか。
自衛のためならばあらゆる手段がとれる、武器の行使は勿論のこと戦争に訴えることもできるんだ、自衛のためでありさえすればというようにお考えになつておるんですか。
ところがあなたがたは近代戦争はできないと言つて戦争を限定しておられるのですね。そのことは裏から言えば、近代戦争でない戦争ならばやれるのだということなんだろうと思うのです。従つて自衛戦争ならばできるということをあなたがたは言つておられる。武力行使ができると言われるのだ。そういうことに帰結しなければならないのですけれども、その点はどうなんですか、そこを一つはつきり。
じやその点はもう少し議論しなければならんし、特に武力、軍隊の関係、戦力の関係等々についてもう少し質問したいのでありますが、あと曾祢さんが非常にお急ぎのようですから私は一応この問題はこれで打切つて他の機会に更に。
ちよつと関連して。今の援助期待量、期待の種類、量等については、詳しい表で現在保安隊が保有しておるものが幾らあつて、新たにアメリカ側から期待するものが幾らあつて更に日本自体で装備を増強するものが幾らあるかということを詳細に、明瞭にわかるように資料を提出して頂きたいことを何遍も要求しておりますけれども、まだ出ておりませんので、至急に一つ御提出を願いたい。
今の憲法と条約との関係ですが、このMSA協定は、私たちの見解によれば明らかに憲法違反だと、こう思うのですが、これは議論の分れるところで、それ自体はあとから議論したいと思いますが、仮に憲法違反の条約である場合には、その条約は効力を有しないというふうに考えていいかどうか。ということは、もつと正確に言えば、憲法の九十八条の、「この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。」という規定があるのですが、法律、命令が憲法の条章に反したときには効力を有しないことははつきりしておるのですけれども、条約が反したときはどうなるかという規定は、ここには明示はしてないので
それはおつしやる通りに、違わないように作らなければならないのだけれども、条約その他命令等等についても同じことなんです。ただ併し、仮に憲法に違反した条約が締結された場合にはどうなるのか、その解釈としてはどうなるのか、「国務に関するその他の行為」ということで従つて効力を有しないというふうに考えておいていいいのかどうか。
あり得ないのではなくして、もつとそういう政治情勢まで勘案して入れるならば、野党なら野党が多数になつて従つて、この条約が憲法違反だという判定を国会がしたとします、その場合には、これは従つて効力を有しないというふうにすぐ結論をしていいのかどうか。
まあ別な機会に。
質疑に入る前にちよつとお伺いしたいのですが、大臣はいつ頃中座されるのですか。
そうするといつ頃ですか。
それからもう一つ保安庁長官、大蔵大臣同時に出席して頂きたいということをお願いしてあるのです。というのはMSA協定とそれから日本の防衛計画ですか、再軍備計画とそれに関連する予算の問題、それらを少し相互関連しながらお尋ねをしたいと思いますので、その三人のかたがお出になられるのはいつになるのか。
それではそれでもいいのですが、五分か十分くらいで行かれちやうと困るのですが。
先ほどからのいろいろを御議論を聞いていて先ず一つ非常にわからなくなつたのですが、一体このいわゆるMSA協定なるものによつて、日本はどういう義務を特に新たに負うことになるのか、それを一つ先ずはつきりさして頂きたい。
そうすると第八条も全部義務ということになるでしようが、その場合に自衛力を増強しなければならんという項目は、そうすると自国の防衛力を発展或いは維持しなければならんというのは義務というふうに明瞭に考えていいわけですか。
そこでちよつと言葉の問題ですが、この「自国の防衛力及び自由世界の防衛力の発展及び維持」、ここは例の有名な文句だろうと思うのですが、今までは全幅的に寄与するとか貢献するとかいうふうになつていたし、原文も恐らくそうなつていると思うのですが、それをとつておられるのはどういう意味ですか、全幅的に寄与する、全幅的に貢献するというのがMSA協定の本協定でも、それからこの協定でも。
それはおかしい。限りと、それは文句のあれですからいいですが、どうもそこらに問題を非常に故意にあいまいにしておられるのじやないかとすら思うし、若し故意でなかつたら非常に、重大な誤訳じやないかと思うのですが、これは事務当局ではどういうふうに考えますか。
その限り、という限定は何もMSA協定だけではなくて、例えばMSA法自身にもある文句だと思うのですが、それを今までずつと訳しておられるときには、許す限度で全幅的に貢献するという言葉をずつと使つて来てわられろと思うのですが、それにもかかわらず協定だけには文句は同じであるにもかかわらず、違つた表現をされたのは何か意味があるのではなかろうか。
そうするとMSA法自体の翻訳としては、全幅的に貢献するというふうにしなければならんという恥考えですか。日本の協定だから全幅的ということは若干強過ぎるというお話なんでございます。原文は両方同じだと思うのですが。
それでは一九五四年三月のさつき杉原さんが問題にされた協定の解説、これも極めてずさんなものですな。それにはMSA法の例の六条件が出てその十四頁には何々の限度で全幅的に貢献すると、依然としてそれを踏襲しておられるわけです。