今の御指摘の点は、將來の支拂いについての法律で十分考慮せられるだろうと思います。なお從來関係方面と話をしましたときにも、この借上金の支拂いの問題について、当時戰後いろいろとられましたほかの法律とのつりあいの問題等も話が出ました。從つて將來支拂いが具体的に考えられる法律においては、今の支拂方法、その各限度、そういうようなことについても具体的に考慮し、また規定せられることになるだろうと思います。
今の御指摘の点は、將來の支拂いについての法律で十分考慮せられるだろうと思います。なお從來関係方面と話をしましたときにも、この借上金の支拂いの問題について、当時戰後いろいろとられましたほかの法律とのつりあいの問題等も話が出ました。從つて將來支拂いが具体的に考えられる法律においては、今の支拂方法、その各限度、そういうようなことについても具体的に考慮し、また規定せられることになるだろうと思います。
それはさきにも御説明申し上げましたが、借上金は現地表示になつております。それをかりに一定の当時の関係者の適当と認められた換算率をきめまして、それでかりにはじいた概数でございます。
これをはじきました換算率等につきましても多少問題があると思います。從つてその換算率を、大体当時の関係者の意見で適当だというふうに認められて、一應出した数字でございますが、現在これを拂う際にはどうなるかという問題についても、この法案の審査会でもいろいろ考慮せられ、さらに將來の法律できまる。それ以上どうもどういう額になるかということは、ちよつとここで申し上げにくいと思います。
当時の債権債務関係は、ほかの関係でもほとんど動いておりません。本件についても大体当時の状況を標準にして考えるというのが適当ではないかと考えるわけであります。政府の一應の見当といたしましては、大体現在も九億という標準を持つております。
今の最高の問題ははなはだ申しかねますが、例の九億円のうち、九割以上は一口大体三、四千円という程度のものでございます。
そういう資料を集めたいというのが、この法案の一つの目的でございまして、第五條に九十日以内にその借入金を提供された人から、確認の請求をしていただくという建前になつておりますが、先ほども申し上げましたように、外務省の在外公館が直接関係しました資料は外務省で持つておりますが、そのほか民團等の自治團体で関係いたしました資料はまだその関係者の手元にあり、また調査中であるものが相当あるように存じております。從つてこの審査会がいよいよ発足しますれば、今のお話のような資料がだんだん出て來るようになつております。
それは今ちよつと見当がついておりません。この審査会が出発しまして、確認をされるというのが第一の準備過程でございますが、その後だろうと思います。
在外公館借入金及び普通難民救済金と称せられておりますところの金の性質については、今御説明のあつたようなことで、皆樣御存じの通りでございますが、この問題も政府といたしましては、何とか早く始末をつけたいということで從來努力をして参りましたが、財政上の関係その他でなかなか具体的に整理の段階に來なかつたわけであります。ただ最近この整理の問題につきまして、いつまでもほつておくと関係書類その他資料を集めることがなかなか困難になるという点をいろいろ関係方面とも相談をいたしまして、ごく最近になりまして、本件借入金の確認をする問題についてようやく話がまとまりました。近くその確認をするための審査会というようなものを設けるために、法案を國会の方に提出する
実はただいまこの國会の方に提出いたします法律の案について、閣議でようやく今きまつたところでございまして、この法案についてきよう早速関係方面へ正式に協議をいたしまして、できれば今会期中にこれを通していただきたい、こう考えております。法案の内容につきましては司令部の方と内相談をしておりまして、大体話がついておりますが、正式に國会に提出する前にもう一回協議をすることになつておりますので、この内容は大体かわらないと思いますけれども、まだ確定というまでには行かないわけでございます。政府が現在考えておりますところの要点を申し上げますと、先ほど御説明がありましたように、この借入金関係の行われた当時の状況から申しまして、いろいろな状況のもとにいろい
朝鮮からの引揚げの問題でございますが、御存じの通り南鮮の方は問題なく帰れますが、北鮮の方の問題が今御説明のありましたような状況にございます。御存じの通り、北鮮の関係は、從來は連合國とソ連との協定によりまして引揚げが行われ、昭和二十一年の十二月から始まりまして昭和二十二年の一月、二月、三月、一番たくさん引揚げて來ましたのは昭和二十二年の一月、それから三月、大体昭和二十二年の三月で一應大きな引揚げが終つたのでありますが、その後昭和二十二年の十一月に一回と、それから昨年の七月に一回引揚げが行われたわけであります。昨年の七月の引揚げでは七月の六日に宗谷丸が舞鶴に千二百八十三名の同胞を連れ、帰つて來たわけでございますが、それが現在までのところ
現在はやはり日本政府といたしましては、この地区の引揚げにつきましても、司令部へお願いするという方法以外にないわけであります。從つて司令部の方にいろいろお願いするときに、司令部の説明では、司令部と現在の北鮮の政権との間に直接話がつかないために、実際船を送るという問題が進まないだろうと承知しております。
先ほどもちよつと御説明したのでありますが、日本政府といたしましては、この地区の引揚げにつきましても、司令部の方へお願いをする。そしてその司令部の関係筋からはいろいろ考えていただいていることと思いますが、結論といたしましては、船を送るまでに至らないという説明を得ておるだけであります。なお現在の状況といたしましては、本件引揚げにつきまして司令部へお願いをするという以外に、具体的に手を進めにくい段階にありまして、その方面は具体的に政府としては進めておりません。
引揚げの從來の経緯を簡單に申し上げたいと思います。お手元に連合軍司令部発表の統計表を差上げてございますが、それがごく最近の数字であります。その表について一言御説明申し上げますが、最初に引揚げ対策基本数というのがございまして、それは終戰当時日本政府の方で、大体各地に在外同胞がどのくらいおるかという見当を立てました数字でございます。その合計をごらんいただきますと、最初の引揚対策基本数というものが六百六十一万三千八百八十四名になつております。それで今日までのところ引揚げました数の累計が六百十四万六千八百四十三名であります。それで現在の残留数は四十六万九千四十一名ということになつております。そのうちの一番大きな残留地域はソ連地域でありまして
その基本数と申しますのは、大体外務省が中心になりまして、日本政府として当時知り得た数字を司令部へ提出したわけでございます。
終戰前の数字で、その後いろいろな情報がありますが、当時最初に提出した数字そのままになつております。
今のソ連地区の問題でございますが、昨日の司令部からの発表にもありました通りに、從來もソ連の関係につきまして、司令部からどれくらいの人が抑留され、どういう状況になつているかということは、私の承知いてるだけでも一、二回以上にわたつて交渉されていると思います。これは請求されてあるようでありますが、ソ連からはつきりした数字の回答がないという状況のように承知しております。從つてソ連地区の数字は、今申し上げましたように、日本側としてまずこれは間違いないだろうという数字を、終戰直後に出しまして、その中から、帰つて來た人の数を引いて行つた残りがこの四十万八千で、ほかの情報を総合してみましても、大体この数字以上には出ないのじやないかと思つております。
今のお話の点でございますが、一應日本側の数字を出しましたときにも、在留同胞でソ連の方へ入つた人たちの大体の見当と、それから軍の関係のいろいろな編成から予想して出て來た数字とを合せてあるわけでございます。その後いろいろな情報や調査によつて、多少の見当はついておりますが、さらにソ連側の方から、はつきりした正式の通報がありますときには、たとえば在留同胞の関係につきましても、満州に在留しました同胞でソ連に行つた同胞につきましても、また軍の関係につきましても、隊の編成その他といろいろ比較することができると思いますし、そうして來れば、そう一般に合点の行かぬ数字にならないで、相当説明のつくことになるだろうと思います。
その理由につきましては、いろいろな想像が行われておるわけでございますが、先ほどから御説明申し上げましたソ連側と司令部との間の往復文書等においては、何らその事由等が述べられておりませんし、政府としましてもその理由については、想像その他の問題を申し上げるようなことは遠慮したいと思います。
見込みを立てることは、はなはだ困難でございますが、協定数字は五万というのでございまして、五月からかりに始まりますと、四十万でありますれば、十二月までには済むわけです。
先ほど申し上げましたように、最初の引揚げの始まつたときには、やはり十二月にやつております。一月からとめております。それが一つと、それからわれわれの承知しておるところは、碎氷船を送れば、ウラジオ、ナホトカの方も、ほとんど冬季いつでもやれるのではないか。碎氷船を送る用意はございますし、さらに從來司令部の方からソ連側へ提案せられておるように、もしも協定の五万以上に一月十六万を帰すことに話がまとまりますならば、これは二、三箇月のうちにしまい得るというふうに考えております。