昨年の六月の十一日の当委員会で、林法制局長官が自衛権の行使の限界について、「自衛のための必要相当限度の戦う力」、こういうことを言われている。それから、しかし、それには一定の段階があるのだ、無制限ではないのだ、こういうお話があったのでありますが、そこで私が伺いたいのは、憲法第九条の第二項に禁ぜられている、いわゆる自衛のための必要相当限度の戦う力の禁止段階は一体どこにあるのか。
昨年の六月の十一日の当委員会で、林法制局長官が自衛権の行使の限界について、「自衛のための必要相当限度の戦う力」、こういうことを言われている。それから、しかし、それには一定の段階があるのだ、無制限ではないのだ、こういうお話があったのでありますが、そこで私が伺いたいのは、憲法第九条の第二項に禁ぜられている、いわゆる自衛のための必要相当限度の戦う力の禁止段階は一体どこにあるのか。
法制局長官の御意見を。
吉田内閣時分の解釈の方はとにかく筋が通っておりましたけれども、現内閣のその点は非常に実はあいまいなんで、昨年の六月の当委員会での法制局長官は、「戦う力を戦力と考えれば、二項で禁止されておる戦力には段階がある、」こういうことを言っておりますので、おのずからそこに段階があるわけでありまして、私はこの段階の判定基準はどこに置くか、このお答えを法制局長官からいただきたいと思います。
大へんに抽象的ですが、もうちょっと具体的に……。つまり今の自衛隊は目的として外敵の侵略に対して国の安全を守る、こういうはっきりした目的を持っておって、内容としては陸上十六万、艦艇九万五千トン、航空機は五百八十二機、これは相当の装備をもって編成されておる。しかもこれが常備的なものである。こういう目的と内容、実質を有しておる。この実力が日本よりも劣勢な国から見れば、これは非常な脅威になることは明らかでありまして、これが九条第二項に禁止しておる戦力でないものとは考えられない。これはどうも自衛ということを言いましても、自衛権の行使の手段の域を越えておる。こう私は考えるのですが、越えてないというもう少し納得のできる説明を法制局長官から承わりた
ソ連やアメリカ、イギリス等には脅威を与えぬでしょうけれども、東南アジアの小さい国に対しては、これだけの実力でも相当の脅威を与えておると思う。その点で自衛の範囲を越えておると思うが、そうでないという説明を承わってみたいと思います。
私は侵略の意図があるとは申しませんが、脅威にはなり得ると、こう思うのですが、次の問題に移ります。 政府は大審院の判例にある通り、最高裁判所は具体的な事件を通じてのみ法律の違憲性を審査することができる、こういう見解をとっておるわけであります。そうなれば、もし自衛隊法が違憲という判定がせられましたならば、自衛隊法の成立を理由として自衛隊合憲説に変わられました総理の政治的の責任は、一体そういう場合どういうふうにしておとりになるか、官房長官にお尋ねしてみたいと思います。
私は独立的の法律そのものの合憲性の議論を今しているのじゃないのです。政府の見解に従いまして、具体的事件を通じての違憲性が裁判所で確定されたときのことを申している。たとえば一つの具体的の問題があって、その具体的の問題を判決するについて、その前提となる法律が憲法に違反しているかどうかということは、当然これは普通の裁判所でも審査され得るのですから、前提となる法律の合憲性を裁判所が審査して、そうして違憲であるがゆえに具体的の裁判ではこうなる、こういう結果を得た場合に総理の責任はどうか、こう聞いたんです。 それからもう一つは、これはもうこの間の予算委員会でしばしばおっしゃっているのですが、総理は自衛隊法というものが国権の最高の機関である国
次に、先ほど長官がちょっと述べられた法律そのものの独立的な違憲の問題について伺います。憲法第八十一条では、法律そのものの違憲性を審査し得ないのであると、これが政府の解釈でありまして、その解釈の起ってくる理由としては、司法権の範囲に属しないという従来の通念からこれは主張しておられることだと思います。しかしながら憲法の第七十六条には、司法権の帰属は規定しておりますけれども、司法権の異議並びに範囲はどこにも御承知の通り憲法には規定しておりません。しかも司法権の内容というものは必ずしも一定不変のものではないのであります。そこで私の申し上げたいのは、憲法第九十八条第一項は違憲立法の無効をきめております。ところが違憲立法の無効はきめておりますけ
立法権と司法権の限界についてのお話がありましたけれどもその問題からいえば、今最高裁判所の判例が示しておるように、前提としての違憲性は、算定し得るとすれば、その問題はやはり程度の差こそあれ問題になると思う。しかしこれ以上触れることは時間の関係上避けますが、ただ一点、現行憲法には司法権の範囲というものはきまっておらぬのですから、やはり第八十一条では独立違憲性というものは判定し得ると思う。というのは、九十回の憲法議会の衆議院の帝国憲法改正委員会で、修正で内容は変っていないと報告を芦田さんがしておられるが、最初政府の原案というものは、八十一条は七十七条で、第一項は、最高裁判所は終審裁判所であるということが一つ、それからもう一つは、最高裁判所
政府は、憲法改正をしなければ、違憲裁判手続法を作っても、独立的にある法律そのものの合憲性を判定することはできない、こういう立場に立っておる。ところが社会党はそうでない。独立の合憲性を最高裁判所は八十一条で判定し得るのだ。ただ手続がないからやれんのだ。だから手続法を提案したんです。立場はまるで違うのです。政府はどうとられますか。
法制局長官、一つわかりやすく聞かして下さい。
そうすると法制局長官のお考えではこの法案は無意味だ、こういう見解ですか。
政府の見解は無意味かどうか、はっきりそこのところを一つ、裁判所が何を言ったってかまわぬから……。
そんな回りくどいことでなしに、政府が無慮味だと言うことは、当然の論理上の帰結だと思うのですが、今の考えでは無意味だとここではっきりおっしゃっていただきたいと思います。
いや私は最高裁判所の意見を法制局長官を通じて伺ったのではない。政府のこの法律解釈の最高権威であるべき法制局長官が一体この間からの質疑応答では当然憲法を改正しなければかような手続法は無意味であると、これは論理上そういう私は結論になると思うのです。そこでそうであるかどうかあなたの御見解をはっきりここで伺いたい。
私の伺っているのは、この社会党の二案は提案そのものが無意味じやないか、こう政府はお考えになるのが当然であると思われるが、どうか。どういう話になるかそれは抜きにして、無意味じゃないか、結論だけすらっと一つ伺いたい。
官房長官、政府は小選挙区制を提案されるということでありますが、その理由と利害を御説明願います。
総理は先日比例代表が理想的だとこの席で仰せられました。比例代表のいいところは、結局国民の考え方が縮図として国会に反映する。小選挙区というものは半数は、極端に言えば四割九分九厘まで国民の意思が反映しない。比例代表とはまるで逆なんですが、その点をどう調整されて説明されますか。
政党本位の選挙ということを言われましたが、それには政党の自戒自粛が必要である。数の問題があげられましたが、少数が必ずしも道理にそむくというわけではありませんが、この点に触れることはやめまして、小選挙区が、これは理想であるとすれば、むろん一人一区です。ところが二人一区が十七も十八も今度提案されるということが新聞で伝えられておりますが、これはどう考えても私は無意味であって、党利党略以外の何ものでもない。だから小選挙区をおやりになるならば厳重に一人一区をおやりになるがよろしい、こう思うのですが、いかがですか。例外をお認めになりますか。
人口上でも十一万から二十六万という開きがあるのでありますから、二人区を認められれば党利党略であることははっきりいたしますが、次の問題に移ります。 政府は今度戦争犠牲者の補償の審議会を総合的に設ける、こういうふうに新聞に出ているのですが、家が焼かれたり、農地改革で地主の父祖伝来の地面を取り上げられたということは、まことにお気の毒でありまして、農地改革の当時には、私どももそのやり方が乱暴であると思って、非常に憤慨したのでありますけれども、しかし現在の段階におきましては、戦争で命をなくした人さえも、まだ十分に償いができていないという財政状態にあるのでありますが、いかなる一体成算と確信があってかような問題をお取り上げになったか。およそも