法制局長官、簡単にイエスかノーか。
法制局長官、簡単にイエスかノーか。
どうも法制局長官としては私は不勉強だと思うのですが、そこで、私は、総理は、侵略戦争のためのものは程度のいかんにかかわらずこれを禁止するのだ、自衛戦争であれば最小必要限度と、こう言われるのですが、一体侵略戦争のための戦備と自衛戦争のための戦備と、これは観念上は分けられますが、実際上分けられるとお考えですか。
そこで、話を進めますが、交戦権を否認しておって、その法理論並びに実戦上にどういう不便があるか。ごく簡単に、防衛庁長官と法制局長官に伺います。
防衛庁長官への質問は、総理への質問が終った後に伺うことにして、総理に、ごく簡単に伺います。 戦力、自衛戦力を憲法が否定しておるということは、沿革的に、たとえばマッカーサー・ノートにいたしましても、その後の議会、国会における質疑応答から見ましても、きわめて明瞭であります。それから、第一、日本の憲法には軍の規定が全然ございません。世界で五十二国の憲法には、みな軍の規定がございますが、軍の規定がございません。それから、先ほど申しましたが、自衛戦争と侵略戦争を分けるということも実際むずかしい。こういう理由で、私は自衛隊は憲法違反であるということをはっきり実は思っておるのでありますが、 そこで、総理にもう一つ伺いたいのは、現在日本の自
先ほど、交戦権がなければ実戦の上において何らかの不利があるだろう、それに対する防衛庁当局としての長官の御意見を、答弁が保留になっておりますから、その点だけ伺っておきたいと思います。
今、長官は、占領地だけのことを仰せられましたが、交戦権は、国内においてもやはり問題があるわけです。たとえば、個人でいえば、正当防衛権というようなものですが、敵が日本の国内に上陸してきた場合に、これを迎え撃つということはできますけれども、向うを向いているものに追い打ちということは、自衛権の範囲内においてはできないと思うのです。ちょうど個人の正当防衛権が、向ってきた者を受けて立つことはできるが、そうでない者を、向うを向いた者を切れば罪になるのと同じことで、自衛権の範囲内におきましては、ただ受けて立つだけで、追うことはできない。これはもう少し範囲が広くなりますと、たとえば、自衛のために、長距離砲弾で敵の基地から日本を攻撃してくる、その敵地
もう一点だけ委員長のお許しを得て伺うのですが、この憲法の制定当時、金森国務大臣等の御答弁によりますと、九条第一項は問題ないが、九条第二項の戦力と交戦権とは表裏の関係がある。片一方は物的に戦争を不可能ならしめ、交戦の方は法律的に戦争を不可能ならしめておる。この第二項のために、全然自衛戦争の方も、侵略戦争はむろんでありますが、不可能になっておるのだという、非常に交戦権というものにウェートを置いて、終始一貫返事がなされております。吉田内閣においても、多少程度は薄くなっておりますけれども、やはり同じような答弁がなされております。ところが、交戦権の実体について考えてみますと、これは日本の国内の約束として、交戦権を主張しない、交戦者としての権利
そういたしますと、たとえば軍艦は、国際法上認められておりますから、中立国の船舶を拿捕することができる。ところが、自衛艦は中立国の船を拿捕することができない。戦略上、戦術上不利であっても、中立の船舶は拿捕しないという決心である、こういうふうに承わってよろしゅうございますか。
集団安全保障の問題とは関係がないのでありまして、これは十九国会における外務省の条約局長の答弁でありますけれども、軍艦は、国際法上敵船あるいは中立船を臨検拿捕する国際法上の権利を有するが、自衛艦は、国が交戦権を認めていないので、中立船の拿捕はできない。つまり、中立船は自衛艦では拿捕されないというのでありますが、時と場合によってはするというお考えですか、その点はいかがですか。
私は、まず自衛隊と憲法第九条の関係について、お尋ねをいたしたいと思います。 憲法第九条の解釈につきましては、昭和二十一年の憲法制定当時では、吉田首相は、正当防衛権を認めることは戦争を誘発するから、有害無益とまでおっしゃいました。その後第六国会では、武力のない自衛権はある、これは外交その他の手段である、こういう説明が行われたのでありますが、その後警察予備隊が創設され、保安隊ができ、さらに自衛隊に成長するに及びまして、在野時代に自衛隊違憲論を唱えておりました鳩山首相のごときも、自衛隊による日本の防衛は国民の常識となったから、現行憲法のままでも自衛隊は持てる、また、自衛隊は違憲の疑いがあるけれども、国会が認めたのだから、憲法の解釈を変
憲法九条一項も二項も同じような考えで貫かれておる、こういうお考えでありますか。
そういたしますと、憲法九条第二項の、「前項の目的を達するため、」ということは、芦田理論や溝瀬理論のように、やはり「国際紛争を解決する手段としては、」、これにかかっている。従って、戦力は、自衛戦力は持てる、こういう解釈になると思いますが、さようでありますか。
ただいま総理は、「前項の目的を達する」という意味は第九条の第一項全体を受ける、こういうお話でありましたが、第一項全体を受けるという解釈では、国際紛争というものは、自衛戦争でもやはり国際紛争の一種である、こういう美濃部博士のような見解をとりますと、自衛戦争も、また侵略戦争も、ともに第一項は禁止している、こういうふうな解釈になるので、第一項全体を受けるということになりますと、必ずしも第二項の戦力が侵略戦力のみではない、こういう解釈にもなるわけでありますから、岸内閣の見解としては、「国際紛争を解決する手段としては、」、これにかかる方がより明白であると思いますが、その点は一つ法制局長官と打ち合せの上で、御返事いただきたいと思います。
それではさように承わっておきまして、しからば、第二項は、自衛戦争は差しつかえない、何ら禁止しておらぬというのであれば、国の交戦権も同様ということに解釈せねばならぬと思いますが、いかがでありますか。
ちょっと言葉がはっきりしませんが、国の交戦権は自衛のための交戦権であれば、第九条第二項は禁止しておらぬと、こういうお考えですか。
戦力と交戦権は表裏一体をなすものである、戦力は戦う実力であり、交戦権はこれを行使するための法律的の規制である、こういう意味からいえば、九条の第一項の前段が、自衛戦争の、自衛のための戦力を持つことを許す、こういうのであれば当然、後段の国の交戦権も、自衛のための交戦権は禁止の範疇に入らないというのが、私、理論上当然であると思うのであります。たとえば二十一年の七月の八日に、林平馬議員に対して吉田総理が御答弁になったところでは、自衛権による交戦権、侵略をする交戦権、この二つを分けることは、多くの場合において戦争を誘発するものであるがゆえに、分けることは有害だ、つまり交戦権は分けられぬ、こういうことを言っておられます。また佐藤長官も、表裏一体
これは十九国会における内閣法制局長官の答弁でありますが、交戦権は具体的にいえば、敵国領域で戦争する権利、敵船または中立国の船舶を臨検し拿捕する権利、侵入した外国人を殺傷することのできる権利なのである、こういう答弁がございます。これと同意味の答弁を、佐藤法制局長官はなされたことがあります。敵国の人が日本に入ってきた場合に、これを殺傷することができないというような憲法の規定を是認されましたならば、一体、どうして国の防衛を全うすることができますか。この交戦権の禁止規定があるがために、たとい、九条の第一項が侵略戦争のみを禁止しておっても、二項後段の交戦権禁止の規定によって、第九条全体が、自衛、侵路、両方の戦争を禁止しておるのだというのが、こ
今の法制局長官のお話ですと、そうすると、佐藤長官とは意見が違うのだ、こういう意味でありますか。
私は、全然同じだということで、今の説明だけでは納得ができないのであります。たとえば、今引用いたしましたように、外国人を国内において殺傷する権利がない、軍が殺傷する権利がないということを、速記ではっきりおおっしゃっておる。それと、今の自衛行動権として殺したってかまわないということは、私は違っておると思うのですが、それが同じだというのは、一体どういうことですか。
交戦権の概念の中には、外国人を殺傷するということも入る。その交戦権が禁止されておるのに、自衛権の行動の範囲内ならば殺してもかまわない、しかも、その二つの概念が矛盾しないということは、私は常識からいって納得できないのですが、(「その通り」と呼ぶ者あり)おそらく、ここにおられる方は大部分が納得できないと思うのです。いかがでございます、もう少し巧妙なエクスキュースというものはないでしょうか。(笑声)