そうするとその四千万ドル分の円貨の問題は、日本の勘定科目には入らぬわけですね。
そうするとその四千万ドル分の円貨の問題は、日本の勘定科目には入らぬわけですね。
そうしますと、その一千万ドル分のものはもう確実に日本の経済活動の中に流入されることになるのですね。そうするとそれの分はどうなりますか。これは日本の予算とは別個の特別会計になるわけですからして、それが散超されるということになると、勢いインフレを高進するような原因をつくることになるのじやないですか。
先ほど来のお答えを聞いていると、何とかしなければならないということだけはわかるのですが、その何とかが一体どういう内容であるか。それでは私は業者の諸君も安心できぬと思う。進んでその何とかということの内容を明らかにされて、それが妥当なものであるかどうか、こういうことになつて行かなければ、同じようなことばかり繰返しておつても、何にもならぬと思うのですが、その何とかいうことの内容について、いま少しく立ち入つた説明をしてもらいたい。
私がお尋ねするのは、水産庁の方は何とかしたいということ以上には出られないかもしれませんが、外務当局として一体どういう外交的手段に出ようとされているのか。現在のところでは日韓会談も決裂したままで、ただ両方ともすくんだ状態かあるいはにらみ合つた状態かしれませんが、とにかく手も足も出ぬ状態である。こういうようなことがいつまでも繰返されて、やがてフリゲート艦でも護衛のために出すというようなことになつたならば、とんでもないことになつて、みずから国際紛争の渦中に飛び込むということになつてしまう。そうでなくして、もう一歩外交的な方法で積極的に出かける方法はありませんか。たとえば日米加漁業協定というものが、魚族保護を目的とするという名目でつくられて
日韓会談で、そういう具体的な問題が持ち出されると、向うから避けるような態度をとるということは、われわれも新聞の報道でおよそのことは知つておりますけれども、問題はそこだと思うのです。たとえば、日韓会談へこちらから漁業問題を持ち出せば向うが避けるということは、日本人の言葉でいえば敵本主義、他の、それと引きかえに話合いをしようという、たとえば在鮮日本人の財産の返還の問題等がからみ合つて来るとか、感情問題等については、私はこういう席で言うべきでないと思いますから触れませんけれども、しかしながら、そういうこともひとつ重要な要素として考慮しなければならぬということは考えられるのです。しかしながら具体的に交渉ということになれば、そういう感情問題を
私は日本社会党を代表しまして、ただいま議題となりました日本国における国際連合の軍隊に対する刑事裁判権の行使に関する議定書に、条件付き賛成の意を表するものであります。まずこの議定書は、日本国と国連軍との間に締結されてその後に国会の承認を求めるために委員会に提案されたものでございますが、いわゆる事後承諾を受けるために提出されたのであつて、政府の釈明を聞きますと、これは憲法七十三条三号に該当するので少しも間違いはない、憲法七十三条三号の、時宜によつては事後に、国会の承認を求めるという条項に当然当てはまるものである、こういう説明でありますけれども、憲法の精神から行けば、外国と条約なり、協定なり、議定書なりを締結する場合においては、当然事前の
きのう下田条約局長はNATO協定と同じものだとおつしやいましたが、NATO協定の第九の(g)項を見ますと、ちよつと違うのです。それによりますと、「連絡する権利及び裁判所規則が許すときは」こういう文句が入つているのです。ところが日本の方はそういう言葉が入つていないのです。こういう点は、私はやはり法律的に見れば、相当重要に考なければならぬものじやないかと思いますが、局長はどのように御理解になつておるか、お聞きしたいと思います。
そうしますと、こういうように了解していいのですか。そういう言葉が入れられておろうと、入れられていなかろうと、きのうおつしやつたように、本質的には一般傍聴人とかわりはないのだ。ただ傍聴券等を発行する場合には優先的に入ることができる。それからたとえば風俗壊乱等の公判で公開禁止の場合があります。そういう場合にはやはり立ち会う権利があるのですかどうか、そういう点が今問題だろうと思うのです。今あなたのおつしやつた通りだとすると、そういう点やはり非公開の場合でも立ち会う権利はあるわけですね。
よろしゆうございます。
関連して。ただいまのお答えを聞いておりますと、立会人ということは傍聴人とまつたく同じである、こういう御趣旨のようにお伺いしたのです。すると、日本の裁判公開の原則は傍聴人を許す、非常に特別な場合においては裁判長の権限で非公開にするということもあり得るけれども、普通の場合は裁判公開が原則であつて、傍聴人として来ることはまつたく自由なのですから、特にこういう条項を設けて、立会人という、ことさらに何か裁判上に発言権を持つとか、あるいは発言権までは持たないとしても、無言の圧力を加えるとか、こういうような印象をこの文字から日本国民は受けるのです。そうすると、裁判公開の原則の上に立つという日本の憲法の建前からいいましても、何かしら特別に無言の威圧
外務当局は、日本だけに特別にこういう条項を設けたことはないという逃道を一つ持つておられるのです。たとえば火力借款の問題の場合においても、これは日本だけの特殊の問題ではない、いや、これはほかにもあるのだ、こういうことでありますけれども、われわれ日本国民の立場から行くならば、外国の例がどうあろうとも、日本の正当なるものは正当なものとして主張するところに本来の趣旨があるわけです。NATO協定通りというけれども、NATO条約が結ばれた当時のヨーロツパ諸国の情勢と、日本の今日の情勢との間に変化があれば、当然その変化に基いて、条約なりあるいは協定なりの相手国である日本の立場というものは尊重されなければならない。外国にあるからその例を持つて来たと
ただいまの御説明ではまだ納得が行かないのです。なるほどNATO協定通りということを当時日本の外務省側で主張されておつたが、それは根本の精神においては、なるほど現在の段階においてはNATO協定の精神にのつとる。しかるに部分部分においては当然その協定締結の当時の実情に即して、実際に合つたものでなければならぬということが、私はこの協定締結の建前だと思うのです。NATO協定が結ばれるときは、言うまでもなく当時のヨーロツパ諸国の不安、ソビエトに対する脅威が非常に大きく政治的に作用しておりまして、その当時においではアメリカの力を非常に必要とした。そういう関係で、多少アメリカ側から言われた点において無理だと思われる点があつても、政治的な考慮の点か
そういう点についてはまだ十分私ども得心が行きませんが、私はもう一つ法律上の技術的な問題としまして、裁判公開の原則によれば、だれでも自由に傍聴できということが公開の原則のすべてであるわけなのです。ところが裁判所構成法を見ましても、訴訟法を見ましても、憲法を見ましても、傍聴の権利ということはうたつていないのです。そうすると、ここには代表を立ち会わせる権利、こうなつておるのですが、この権利という言葉を特にここにつけ加えられなければならなかつたのはどういう意味ですか。
それではこの点は単純なる傍聴人と同一であるということを法律的には確信していいわけですね。
最近の大新聞のMSA援助に関する輿論調査を見てみますと、反対もしくは懐疑的な数字が半数近く現われておるわけであります。この数字は、MSA援助がいかに日本国民の関心を高めておるかという具体的な表明であると同時に、この問題について多くの人々が非常に懐疑的であるということを、はつきり示しておるものと思うのでありますが、交渉を開始されてから外務大臣は二回国会において中間報告をなさつております。またその交渉の都度外務省から、あるいは双方からコミユニケが発表されておる。もし大臣の中間報告なりその都度発表されておるコミュニケによつて国民が納得に行かれておるならば、こういう反対もしくは懐疑的な数字が、このように高い数字を示さないのではないか。こうい
もちろんこの協定が一年々々になるのはわれわれもわかつておりますか、それならば現状の十二万という保安隊を中心として援助を受けるとするならば、現在保安隊に貸与されておる武器は一体どうなるのか。
これではこんにやく問答みたいなもので話にならぬと思うのです。しかしなからわれわれはそういうような答弁で、今日国際的な輿論等に現われておる、ことにダレス氏が日本から帰つて後に発表したようなことは、新聞記事だから知らぬと言われればそれまでの話だけれども、何にも根拠なくして、いやしくも一国の国務長官たる人があんなことを言うはずがない。それを日本だけが知らないないで通すということは、実に私はけしからぬと思うのです。そんなことであるから日本国民は納得しないのですよ。もちろん岡崎外務大臣は日本の外務大臣であるから、アメリカの国務長官が何を言つたとて、そんなこと知らぬと言われればそれきりの話ですけれども、少くともそういう言葉が現在交渉の相手方の、
とんでもない話である。一体協定というものは、双方の国が平等に責任を負う条約である。この条文の上にそれがはつきり現われていなかつたならば、一体日本国民は何を標準として憲法に抵触するかしないかをきめるか。岡崎外務大臣の考え方は、根本から違つておると思う。それならば日本政府でさしつかえないと思うものならば、アメリカ側に入れしめたならばいいじやないか。われわれはアメリカの保証を求めておるのじやない。そんなことは言うまでもないのです。日本側が責任を持つべき条約において明記ざれるということは、それこそ日本国民の憲法抵触に関する疑義を解明することになる。それを条文の中に入れなくともよいなんというばかなことが一体どこにありますか。私は大臣は考え違い
外務大臣がばかなことだというなら、一体五百十一条の(a)項の(三)は何です。これには「自国が受諾した」という、そういう前書きは書いてあるけれども、「軍事的義務を履行する」ということを書いてあるじやないか。こういうものを含めたものが、ちやんと条約に載つて来るでしよう。これが日本の憲法に抵触しないと言えるか。従つて普通の外国との国際条約とは違うのだ。一方の権力によつて、一方の力によつて、一方が援助を受けようということです。力をもつて援助を与える方が、自分の有利のために、しかもこの条文の前文には、この援助を受ける国はアメリカの安全を第一に考える、大統領の認めたときだけに初めて援助を与えるというように、非常に最初からハンディキヤツプがついて
同時にまたアメリカの回答の公文書によれば、はつきり百平和条約の第五条というものが取上げられておる。この点はどういうふうに解釈しますか。