別の聞き方をしますけれどもね。そうしますと、既設の他の国立大学がありますね、一般的な総合大学あるいはそういうところの体育学部。もう一つは私立の体育大学がありますね。これと一体どこがどう違うんですか。どういう違う大学をつくろうとされているんですか。同じなんですか、違うんですか。
別の聞き方をしますけれどもね。そうしますと、既設の他の国立大学がありますね、一般的な総合大学あるいはそういうところの体育学部。もう一つは私立の体育大学がありますね。これと一体どこがどう違うんですか。どういう違う大学をつくろうとされているんですか。同じなんですか、違うんですか。
これは、局長御存じのように、「新体育大学の基本構想」とございますね、五十五年三月三十一日の。この目的を読んでみますと、基本構想とあって、Iが設立の趣旨ですね、IIが基本構想。その小さい3の目的は、「体育、スポーツ、レクリェーションに関する研究及びこれらの分野における実践的な指導者の養成を目的とする」、こうありますね。この目的どおりですね。
そうしますと、後のところを読んでいくとだんだん少しずつそういうことが出てくるんだけど、目的はそう書いてある。そうしまして、次に教育研究組織として、大講座制、主要授業科目の例示がしてございますね。具体的なカリキュラムとか教員組織というのは、一体、これからは明らかにならないんですけれどもね。現段階で具体的なカリキュラムなり教員組織というのは、この大講座制なり、例示されている主要授業科目、これからどうなるんですか。
これは大臣、一番重要だと思いますのでここを再三お聞きしているんですけれども、局長はいまのようにおっしゃっている、具体的には十月以降準備室でやらなければわからないんですと。ところが、目的はこう書いてあるだけなんですけれども、あと、このところを具体的にいまから一つずつお聞きしていきますけれども、もうどんどんどんどん具体的なことが進んでいるんじゃないですか。そして、その担当者の方々もどんどんどんどんあっちこっちでこのことも言っているんじゃないですか。だから問題だと言っているんです。それなら、準備室ということでなくて、国会審議の段階でもっとそこまで具体的にすべきじゃないんでしょうか、その何が具体的かということはこれから具体的にお聞きしていき
局長からありましたように、社会体育の指導者だということなんですが、以下この基本構想を読みますと、私なりに読んでみても、きわめて偏っているという疑義を持たざるを得ないわけです。非常に狭い意味での専門的、応用的な科目による実用的な教育をねらっている、こうしか考えられません。あと、社会教育なり体育の問題でもお聞きしたいんですが、本来、青少年の体育、スポーツの指導者というのは、単にやはり知識だとか技術を習得しているだけではなくて、生涯教育なり社会教育に対する幅広い識見、そういうものが望ましいんじゃないんでしょうか。この点はいかがですか。
一九六一年でしょうか、あのスポーツ振興法、これができまして以来、社会体育指導員やスポーツ主事の配置というのが少しずつ進んできた。で、文部省の調査研究会が一九七七年からこれらの指導者について何らかの資格付与制度の創設を検討してこられたと聞いておりますが、それは事実でしょうか。しかし、この資料によりますと、その研究会の中間報告では、公的な資格認定制度は見送りとなり、むしろ、指導を求める層の要求が多様である上に、さらにスポーツ主事について言えば、財政困難を理由にかえって配置が抑えられる傾向にあることが明らかになってきたと言われている。こういうことから、文部省としては、一体この中間報告というのを、資格付与制度について一体どうなっちゃったのか
何か年内だったり、最後は年度内ですね、年度内になったりしていますが、年度内に中間報告を出されると。まあその程度なんですよね。 そこで、これはどうなんでしょうか。この単科体育大学の卒業生はどういう資格を得るんですか、卒業されたら。
それではっきりしてきましたけれども、教員免許状を与えるんですね。そして体育学士だと言う。どこが一体違うんですか。普通の大学では教員免許状を持つ体育の専門家を養成するんでしょう。ここはそうじゃないですと言った、さっきは。ところが、免許状、資格の点になると、教員免許状だと言う、あとは体育学士だと言う。それはあたりまえじゃないですか、体育学士というのは。これは大臣、全然おかしいと思いませんか。私は全くおかしいと思いますよ、これ。どうなんですか、資格の点は。一体そういうことで、本当に皆さんがお考えになっている普通の体育大学とは違うんだということになりますか。はっきりしてください。
非常に苦しい答弁になってきていますけれども、大臣、こういうのを羊頭を掲げて狗肉を売ると言うのじゃないですか。文部省ちょっと困るんじゃないですかね。平たく、大臣、常識的に考えてくださいよ。いまやっぱり資格とか免許状というのは重要でしょう。ほかにいま何があるんですか。資格と免許状、そういう社会的な尺度というものはほかに何があるんですか。ここの卒業生は学校教育の体育の教員にはしないんだというのが目的だってさっきから再三言っている。そして、学校の体育の先生にはさせないで社会教育のところに使うんだという人に資格を与えないでおいて、教員免許状は出すと言っているんですよ。全然おかしいんじゃないですか。 お聞きしますけれども、社会教育法の第二条
大変恐縮ですけれども、引き続きまして九条の三に、社会教育主事と社会教育主事補の職務がありますけれども、そこもちょっと読んでくれませんか。
そこで、九条の四というので「社会教育主事の資格」というのがありますね。ここに一号、二号、三号、四号とあります。この三号を見ますと、これは私自分で読みます。「左の各号の一に該当する者は、社会教育主事となる資格を有する。」と、こうありまして、三号は、「大学に二年以上在学して、六十二単位以上を修得し、且つ、大学において文部省令で定める社会教育に関する科目の単位を修得した者で、一年以上社会教育主事補の職にあったもの」とありますね。つまり、平たく言っちゃえば、大学を出て一年たったら社会教育主事になれるわけ、そうですね。片方の体育大学の方はどうなんですか。社会教育に関しては何もないんでしょう。それで、教育免許状だけは与えておいて、片方の方は、い
全然違うんですよ、大臣。おわかりでしょう、大臣。私の言っているのは、社会的な尺度というのは一定の資格なり、免許状だと言っているんです、そうでしょう。そして、社会教育法に基づく社会教育主事になれるのは、大学を卒業して一年たったら社会教育主事になれるというのが片方にあるんですよ。おわかりになりますね。ところが、皆さんが専門の体育大学をつくるんだ、それは学校の体育の教員じゃない、社会教育の専門の体育の人をつくるんだ、つくるんだと言っている方が、何にも資格がないし、免許状といったら教員免許状だと言っているんじゃないですか。全然おかしくありませんか。もっとわかりやすく言いましょうか。私がここの社会教育主事になる、大学の四年やって一年たつと社会
いや、一年たったらなれるのだ、三号で。
私は、この今度の新構想大学の問題は、こうしていくつか具体的にお聞きをしていくとこういう問題が出てくる。ところが、最初の目的の二行だけではこういう話は全然出てこない。そして、あとはみんな大学準備室ですという話になるので、これは一つ例として挙げている。私は全然納得できませんね、いまの点は。 それから、このことだけでやっていられませんから次に移りますけれども、本来、社会教育というのは、こういう小規模の単科大学で、十分にして適切な教育研究というものがどこまで保障されるか心配になる、そしてまた、大学教育にふさわしいような内容が一体こういう小規模な単科の体育大学で、強調されているような幅広い社会教育の識見を持つ人が一体できるのかどうなのか、
少し前の新聞で、何か野球人口、野球愛好者のことが出ておりまして、大体国民の半分が野球愛好者、野球のファンだということが出ておりました。甲子園も終わったばかりですし、大臣もこの間いらしたばかりですけれども、このいまの日本における国民的な野球に対する愛好といいますか、それから各地区で早朝野球とかいろいろ行われていますね。こういうような問題について、大体国民の半分ぐらいがそういう状況にあるんだという点については文部省もお認めになりますね。
同時に、これはやっぱりスポーツなり体育というのが選手の養成制度ではない、やはり国民の全般的な体育なりスポーツ水準の向上という問題もあるし、国民の愛好するこの方向というのをより尊重していく、こういうことも必要ですね。
そうしますと、いま私一番心配になりますのは青少年の基礎体力づくりですね。 実はこれは四月一日の予算委員会の分科会で文部大臣と体育局長にはずいぶん細かくお聞きをしました。私が四月一日の予算分科会で強調したかった意味嘆余りにもいま、体格だけは——体格と言っても身長が伸びただけで、あとは全部劣っておる、特に体力が小・中・高校生を含めて非常に劣ってきている、体力の劣ってきている原因というのは、乳幼児期における体力づくりというものがされていないからだという指摘を私はずいぶん大臣と局長にしましたね。その発端というのが余りにもいま多い骨折、すぐ骨が折れちゃう。それから幼児期には余りにもテレビばかり見過ぎて外での遊ぶ場所がない、こういうことを幾
全然抽象的なんですよね。私がお聞きしているのは、二歳から五歳ぐらいまで、つまり小学校へ上がる前の幼稚園や保育園へ行っている子供たちがいま遊び場がない。幼稚園の中だっていまなかなかそのことができないからもう骨折がふえておるんでしょう。家でテレビばっかり見ているんでしょう。 いま野球の話がちょっと出ましたけれども、私は旧制中学一年のときに硬球でやりましたよ。昔はみんな小学校六年間は軟球だったけれども、ぼくらのころはみんな中学一年のころから硬球でしたよね。それだけの差が、もう何かいまのお話だと硬球を持つとどうとかこうとかというお話がありましたけれど、ぼくも硬球の生活が長いけれど、ぼくらのころはそんなことはなかった。そり違いがいまだって
これは、大臣、抽象論でなくて、そういう環境づくりに文部省としてはやっぱりもっと積極的にやってもらいたい。私は、非常にまだ不十分だということをこれは指摘をしておきます。 そこで、次の問題ですが、学校体育の指導者の養成状況というのは現在どの程度なのか。簡単に言えば、量的には過剰生産、過剰になっている、余っているんじゃないか、そういうようにも思いますけれど、この点はいかがですか。
地方大学の教職員、教員の養成課程におきます就職率、これはもう一〇%を割っているところがある、こういうことは事実としてございますか。